144. 晩餐の裏側
返事がサイ大師から来るのか、それともスカンダロンから来るのかは知らんよ。俺にとっては同じ事だ。
「時に、俺はいつまで絨毯の上におればよいのだ?」
「何しろ戦術級ですから巨大でしてねえ」
「もう大丈夫じゃないかしら。ミラーは結構長く意識がなかったのよ。行軍が止まったから野営準備には入ってるね」
面倒な事だな。娘は俺としての記憶を引き継いでいるのだろうな、とは思っているが初対面を迎える前から少々雲行きが剣呑だ。
「なあ、父にダラルロートよ」
「なあに、ミラー」
「何か気懸かりな事がございますか?」
「俺から引き裂かれてイクタス・バーナバが連れて行った魂は、俺に対して腹を立てていると思うか?」
スダ・ロンが微笑みを少々翳らせた気がした。ダラルロートは認識欺瞞をやや緩めて言った。本心として聞こえるように、との配慮だろう。
「私が分かたれた半身ならばミラー様の殺害とお母君の奪取を企図致しますねえ」
「やはりそう思うか、大君」
ダラルロートに魂を引き裂く双頭の印を授けようとして拒まれたのはごく最近の出来事だ。まだ忘れてはいない。ダラルロートは『分かたれた半身が幸せそうなら殺しに掛かる』と答えた。デオマイアとなった俺の半身がダラルロートと同様の考え方はしないとどうして断言できよう? まして俺は母と父と共にいる。父はまだしも、母と共にいるのは恨まれるには充分な理由だ。
想像してみるがいい。ある日突然、父が決めた取引の席に呼ばれたとしよう。
『やあ、ミラーちゃん。今日から君は僕達と別れる事になった。
イクタス・バーナバのお腹に宿って女の子になって貰うよ』
「……とでも言われたと想像してみろ。
売り渡された半身が契約の場で父を殺さなかったのが俺は不思議でならない」
「あー……そうね。イクちゃんが出してくれた御馳走を美味しそうに食べて機嫌が良くなかったら、そういう事もあったかもしれない」
「超重篤恐怖症よりも重篤なマザーコンプレックス持ちのミラー様です。お母君との別れに同意するはずがありませんからねえ」
父は責任を感じていない様子だ。俺が分かたれた半身ならば父の首くらいは絞めるかもしれんぞ? 鏡の剣には《非破壊》を刻んでいるのでほぼ破壊できないが、分体に入れてしまえば父は肉体的には貧弱だ。
「妻よ、デオマイアは何と言っているのだ?」
「分かたれた半身と祖父母に会わせて欲しいと言われたのは事実だ」
訊ねれば、沈黙を守っていた妻が俺の肉体で答えてくれた。ダラルロートが粘着質な声と意地の悪い目を俺に向けて来る。スダ・ロンは温和とも酷薄とも受け取れる曖昧な微笑みを浮かべている。
「デオマイア様はミラー様を殺してやる等とは仰っておられませんでしたかねえ?
しかも魂を引き裂かれた当時、ミラー様は大変な荒れようでございました」
「デオマイアはミラーソードがアディケオと会見し、煉獄に下りている間、毎日欠かさずに無事を祈っていた」
「祈っていたのは愛しいお母君の無事を、ですよねえ? ご祖母様と呼ぶべきでしょうか?」
そうだ、俺は視たぞ。アディケオとの会見に臨む前だ。銀の髪の幼子が俺の無事を祈ってくれている姿を視たと思っていた。……母の無事を祈っていたのだとしたら、熱心に祈る様子だったのも納得できる。
俺の肉体を操るイクタス・バーナバが視線を逸らした。俺とダラルロートと父にとっては是を意味する所作に他ならなかった。
「大君、俺達は殺されずに済むと思うか?」
「お母君の為だけに生かされる事もお覚悟なさるべきではないでしょうかねえ」
出迎え名目で巨大な戦術級精霊を二十体も並べて来たのだ。俺とてデオマイアの感情には気付く。エファは何と言っていた? ではどうする?
「俺、急用を思い出したから自宅に帰るわ」
「そうだね、ちょっとお夕飯のおかずと酒の肴でも作って来ようねミラー」
たとえ俺を殺す気だとしても愛しい娘には違いないとも。
俺と父は転移の目標となる小さな印を野営準備の進む場から隔離された即席の天幕に残し、慌しく長距離転移して自宅へ取って返した。俺は魔力付与室で作業し、父は厨房で料理を拵えて大箱に収めたものを酒類共々転移で野営地へ送り込んだようだ。
「やあ、マカリオス。今晩は初めて共にする夕食だ。父が夕食の足しにと作ってくれた皿と酒で一杯やらないかね。連れの兵には大皿と酒を幾らか差し上げよう。晩餐と言うにはささやかだが、招待を受けてくれると嬉しいな」
「喜んで、婿殿」
マカリオスを誘えば快く招待を受けてくれた。
俺達親子は共に変成術の権威だ。ちょっとした晩餐風の設営など僅かばかりの集中で呪文を要さずに創ってやれる。灯りは魔術で昼に等しい明るさで灯してやれる。夜間は出歩きたくないし仕事もしない俺だが、ダラルロートと母とエファに護衛されているのなら野営も妥協できる。ましてや妻の縄張りの中だ、精霊以外のお化けは出て来れまいと言う安心感はある。
調子に乗って食卓を大きくし過ぎた分、大皿に載せた焼けた牛肉やら季節感を無視して熟れた果実を盛り上げた盆と言ったものをを創造して埋めてやった。俺が食べたかったので菓子を山ほど盛った皿ばかりの小さな卓も創ってやったら、食後に母とエファが暫く張り付いて食べていた。同伴している大使に自由行動を許さずにいてくれるのなら構うまいよ。
酒も創ろうと思えば創れるので樽で兵どもにくれてやった。安い酒よりは美味いのではないかとは思うものの、俺は果汁の方が上手く創れる。果汁は何種類か容器に収めた状態で創り、給仕係に命じたミーセオニーズに注がせた。マカリオスに振舞ったのはティリンス特産の甘いワインの中でも気に入りの蔵のものだ。俺が醸造するよりも美味い酒と言うと真っ先にワインが思い浮かんだから、買い置きを持って来た。
「ミラーソード様は相変わらずの子供舌ですねえ」
「そう言うなよ大君。そもそも俺は1歳だぞ」
俺好みの甘い飲み物ばかり並べたらダラルロートには嫌味を言われたがね。ミーセオの甕酒も俺は嫌いじゃないが、ワインと甕酒が並んでいたらワインを選ぶだけだ。
マカリオスは顔面も銀の鱗で覆われているが、料理と酒を振舞ってみればなるほど魔性ではないのだなと思えた。異形と交渉の困難さから未開の蛮族と思われがちなエムブレピアンだが、眺めていると食事の作法はアガソニアンとそう変わらない。ダラルロートが落第点を言い渡すかな、と思える程度であり世間的な宮廷作法の及第点は取れている。
エムブレポの精鋭兵はもっと砕けた作法で子牛やら子豚を焼いてやった皿を楽しんでくれたようだが、料理は食われてこそだ。皿まで食う勢いで平らげた客に苦言は言うまいよ。父は原料を創ってきっちりと下拵えして調理するのを好むが、俺は完成品を創造して与えるのが嫌いではない。俺の味付けは父の手料理が基本なのだから、技能を継承はしていると考えて欲しいものだ。挽いた黒胡椒を創るよりも焼き上げた子牛を供してやる方が早いではないか。
「デオマイア様が嘆かれるのを伺った事がある」
体格に見合った健啖家振りを見せたマカリオスは余興めいて娘の話を聞かせてくれた。
「腐敗の邪神の恩寵が弱まり、変成術が上手く扱えなくなったと。
弱まったとは言えども相当に深く修めてはいらっしゃる。デオマイア様はもっと様々なものを創れたと悔しげに仰った。婿殿の創造の魔法を見せられた後ではデオマイア様の嘆きに納得せざるを得ない」
「俺もこれだけできるようになったのは最近の話だ。幼い娘よりも男盛りの俺の方が伸びは速かろう。父親の沽券は守って見せるぞ、俺は」
「婿殿は頼もしい事だ」
1歳のスライムの男盛りとは一体? とは言いながら思ったが、アステールの知識から父親らしい言い回しを引き出して来たらこうなったんだよ。マカリオスの反応も良かったしな。
「民に肉と穀物を与える事もエムブレポの神王に求められる重要な資質だ」
「王族から産まれた男が就くべき位なのであろう?」
俺はかわそうとしたが、イクタス・バーナバの第一使徒は言った。微笑みを崩さないスダ・ロンは母とエファに付き合わされているが、俺への注視が深まったのを確かに感じられた。
「我等が女神が善しとする者こそがエムブレポを統べるべき者だ」
「伝統だとか歴史は尊重すべきだと思うぞ、俺は」
俺自身よりはアステール寄りの考え方だがね。亡国の公爵が与えてくれる知識と見解に頼っているな、とは思う。近衛にして側仕えだと言う陽銀の部族はイクタス・バーナバの意向を最重視するようだ。他の七つの部族はどう考えているのだろうな?