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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードと硝子の剣
135/502

134. 魂洗い

 煉獄に創った小さな世界の入口である扉を叩かれ、俺達は休憩を切り上げた。書状を届けて戻って来た番人は巨体で跪き、スカンダロンからの返事を母に伝えてくれた。


「我が主よ、スカンダロン様は赤の崩落の深奥でお会いになりたいと仰せだ」

「他の番人がミラーを死者にすべく襲うであろう点はどうなった?」

「スカンダロン様が直々に御三方を呼び込まれる」


 俺が会った事のある複数の『サイ大師』は全て武人然とした外見だったが、召喚術を極めていて魂護りの護符を造ってくれる程度には術師寄りらしいのだ。俺達を召喚もできるだろう。番人が俺に差し出したのは小さいが複雑な術式を刻まれた魔石だった。父が鑑定してくれた。


「ちょっと変わった転移門(ポータル)を開く術式が刻まれてるね。君の魔力しか受け付けなさそうだ。いいんじゃない、ミラー。魔力を通して御覧」

「おう」


 俺の準備はできている。……色々とな。父に言われた通りに魔力を通してやれば魔石が輝き、眼前に細い回廊めいた転移門(ポータル)を開いてくれた。躊躇わずに踏み込む。転移門(ポータル)の先は朱塗りされたミーセオ風の部屋だった。アディケイアにある皇居と同等の格式で建てられている感じか? 室内には赤い石を積んで組み上げられた井戸のようなものがあり、下方からは水の音がする。


「赤の崩落へようこそ、ミラーソード。訪問を歓迎しよう」

「やっぱりサイ大師か。邪魔するぜ、魂洗いを習いに来た」

「……やばいわ、こいつ」


 俺には馴染みのある人物が赤を基調としたミーセオ風の衣を着て待っていたが、珍しく父が渋い声を出した。俺の目には黒髪の美丈夫、ミーセオ帝国の守護者、アディケオの第一使徒サイ大師に見える。内臓と血管を透かし見る邪視を向けても肉体の内部が見えないのは現世で会うサイ大師と同じだ。アディケオに注がれた不正の恩寵が俺よりも強く、邪視を防がれてしまう。


「なあ、サイ大師。スカンダロンってのが煉獄での名前なのか?」

「そうではない。全てのサイはスカンダロンの分霊だ、ミラーソード」


 ……分霊だと? 父が人形だと言っていたのはホムンクルスやゴーレムではなく、煉獄の神が遣わした分霊だと言うのか。認識するとサイ大師と呼んでいた男の危険さが理解できた。全ての、って事は複数の分霊を使役しているのかよ。


「私もまた貴公と同じく傀儡使いなのだと言えば理解できようかな」

「何となくは。だが俺よりも高等だ」


 俺は喰い殺した者の魂を分体に宿らせて。スカンダロンは分霊を造って現世へ送り出して。そういう違いはあるし、どちらがより高度かなど考えるまでもない。

 サイ大師は俺よりも強力な魔性だろうなとは思っていたが、神がアディケオの第一使徒をしているとは思っていなかった。夏殺しのクソッタレも神は狩れないと言っていたか? 鏡護りの力でも届かないかもしれないな。


「いかなる理由があれアディケオには忠実でいるべきだ、ミラーソード。

 私がミーセオ帝国を守護する限り、アディケオの契印には何者の手も届かせない」

「俺とても魂洗いを赦されている限りは力を尽くすさ」


 サイ大師の姿をした者の声音に脅しの色など微塵もなかったが、それでも俺は震えを感じた。現世で会うよりも何故か美しく思え、より強い力を持っているのを(じか)に感じさせられた。母は沈黙を守っているが、騒々しくしそうな父を黙らせてくれているのかもしれない。


「この一室はアディケオがミラーソードに預け、立ち入りをお認めになった源泉の汲み上げ場だ。貴公が赦されている間に限り、現世からであろうとも転移門(ポータル)を介して入室できる」

「来る為に渡された魔石が要るんだな? 解った」


 番人を介して渡された魔石は大層な代物だったらしい。無くさぬように俺は変成術で聖金の鎖を紡ぎ出して丁寧に魔石を繋ぎ、首から掛けた。サイ大師は魂洗いについて教えてくれ始めた。


「魂洗いに用いるのは煉獄に浸出する魂の河から汲み上げる属性分化前の源泉だ。

 ミラーソードは貴公自身の魔力を費やして井戸から汲み桶を降ろし、源泉を引き揚げなくてはならない。消費する魔力は貴公にとってさえ少ないものではなく、薄められて幾千の魂に注がれるべき属性分化前の源泉は僅かな量であっても重く感じられるだろう」


 汲み桶と呼ばれた器は確かにそう大きなものではなかった。井戸には鎖も滑車もなく、ただ朱塗りされた汲み桶が浮かんでいる。桶と言うよりは杯に見える。


「魔力を井戸の下に伸ばして桶で汲めばいいのか?」

「井戸の縁に両手で触れ、井戸そのものに魔力を注げば汲み桶が下降する。魔力を注ぎ続ければ汲み桶が引き揚げられる。下降は容易いが引き揚げは容易ではないぞ。試してみるといい」


 サイ大師に促され、俺は周囲の魔素を感じようとする。……サイ大師から引き剥がせるほどの力が俺にはねえな。俺自身が今持っている魔力だけでやらねばならんようだ。言われた通りに井戸に触れると魔力を引き出される感触がある。逆らわずに魔力を注げば汲み桶が井戸へと降りて行く。魔素吸収なしで魔力を注ぐには厳しいかもしれんぞ、とは感じていた。

 引き揚げが始まったなと察知はできた。井戸に吸われる魔力が増大したからだ。サイ大師に言われた通り、井戸に吸われる魔力が多い。俺にとっての大技の十何発分を持って行く気だ? 集中し、源泉の引き揚げに費やされるべき魔力を注ぎ込む。


「ミラー、大丈夫?」

「かなり重いようだ。父と母の力も借りるべきかもしれん」

「我が子が求めるならば必要な力は捧げよう」


 父と母からの支援があっても井戸が俺に要求した魔力は多量だった。引き揚げの間、サイ大師は無言だったのが少々気味悪くはあった。赤い衣を着たサイ大師が何を考えているのか俺にはまるで読み取れない。

 ようやく揚がって来た汲み桶にはごく小さな杯を満たせるかどうか、と言う少量の銀色とも金色ともつかない液体が輝いていた。サイ大師が両手で捧げ持った赤い柄杓(ひしゃく)を近付けると汲み桶が傾き、液体を柄杓(ひしゃく)へと移し変えた。サイ大師はそれほど重いものを持っているようには見えない。


「多量だな。ミラーソードはこの重みに耐えられようかな」

「とんでもなく重いんだな? 母の為になら何だってやってやるさ」


 だが、今この場で実体を持っているのは俺とサイ大師しかいない。どうやって鏡の剣の中にいる母を洗うのだ? そう思ったら、サイ大師が母に呼び掛けた。


「魂洗いの秘儀を見せよう。崩落の大君スカンダロンの名代が名を喪った聖騎士、暗黒騎士ミラーソードの母と呼ばれる魂を召喚する。我が前に跪き、洗われるがよい」


 反応したのは母に同調させている魂護りの護符だ。銀の結晶が輝き、聖金と聖銀の飾りを脱け出して漂い出した。本来あるべき大きさの十分の一しかない欠けた魂が死者として鏡の剣の中から召し出され、サイ大師の前で跪く全裸の青年の精神体を形成したのが解った。……透けてはいない。もし透けていたなら俺は一発で卒倒を免れなかった。髪が金一色な以外は俺と鏡写しの母が跪かされる姿は、どうしてか俺の両肩の烙印を疼かせた。


「一度に大量に注いではならない。魂洗いの柄杓(ひしゃく)をこのように僅かばかり傾け、糸のように細く注ぐ。

 注ぐ者と注がれる者の属性は一致している事が望ましいが、中立にして中庸のミラーソードが注ぐならば注がれる者の属性を限定しない」


 言葉の通りに糸のように細く液体を滴らせるサイ大師の手付きは繊細で、重いものを扱っているようには見せなかった。源泉から汲み上げられた柄杓(ひしゃく)の中の液体は殆ど減っていないのではないか? 母は苦しげな声を上げたが、跪いたまま耐えている。


「お母さん、大丈夫? サイちゃんに洗われるよりミラーにやって貰うのがいいのよね?」

「私の手から注がれれば正しき悪に傾いて洗われる。ミラーソード、やってみよ」


 鏡の中からの父の声にサイ大師が応え、両手で持っていた柄杓(ひしゃく)を俺に差し出して来た。俺は充分に覚悟して受け取ったつもりだったが、サイ大師に支えられてさえ柄杓(ひしゃく)は重く、手を離されれば何を持たされているのか意味が解らぬほどに重かった。俺は変成術による身体強化の強度を疲労覚悟で引き上げたが、柄杓(ひしゃく)の重さは全く減じなかった。物理的な重さではないのか?


「こんなに重いのかよ」

「源泉から汲み上げた魂の重みを忘れるな、ミラーソード」


 筋力強化の強度は引き下げた。意味がないなら俺の自力で耐えるしかない。やってやる、やってやるぞ! 俺は母を愛している。


「俺にはサイ大師みたいな涼しい顔はできねえ。母よ、やるぞ。痛みが強いようなら言ってくれ、中断しよう」

「……魂の癒えは感じている、やってくれ」


 俺の母は強い。強さにすっかり欺かれ、俺は母の魂の残り少なさと言う致命的な弱点を知らずにいた。ようやく母を治療できるのだ、今はツケにして後でまとめて怯えてやる。

 柄杓(ひしゃく)をサイ大師がやっていたように傾ける。僅かな傾きで止める為に俺は相当な集中力を費やさねばならなかったし、傾けた柄杓(ひしゃく)は俺の魔力を奪って濃密な魂の原質を溶かす触媒にした。

 邪視の異能は母の魂を見せてくれた。毟り取られるようにして欠けた傷跡へと魂洗いの柄杓(ひしゃく)から液体を細く注げば、母の魂が液体を吸い上げる様子が見て取れた。効いてはいる。両肩の烙印が神力を与えてくれている感覚もある。俺にはできるはずだ。糸のように細く、と教えられた通りに意識して重い柄杓(ひしゃく)を捧げ持つ。


「……ぁあ……」


 母の上げる声に俺は平然としてはおれなかった。サイ大師に注がれていた時とは違い、母の声からは喜びを感じられた。魂を癒されるのは快いのだろうか。耳から侵入して来る頭がどうにかなりそうな感覚に俺は父とサイ大師の手前耐えたが、まさか魂洗いの度に耐えねばならんのだろうか。母が欲しくて堪らなくなる。


「ミラー」

「お母さんてば、そんな声出して」


 父よ、嫉妬するばかりではなく母の気を逸らすか止めてやってくれないだろうか。俺は息子として母を愛している。理性を投げ捨てたくなるような声を聞かされては支えるべき手が震えかねない。俺の意志はお化けと母に対しては弱いのだぞ!


「ミラーソード」


 サイ大師の警告は少々遅かった。俺の手は傾き過ぎ、母に注ぐ液体がほんの少し増えた。糸ではなく紐ほどになって垂れた液体を受けた母が精神体を震わせて見上げる。飢えた眼を見た時、暗黒騎士の腐敗を帯びた手が俺を貫いていた。

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