133. 寿命と神格
「そなたの命が持たぬ。私の魂が回復する頃には寿命が尽きていよう」
母の言葉に俺は動揺を隠そうとした。味のしなくなった煎餅を齧り、小気味よく煎餅が砕ける乾いた音をわざと響かせる。
「俺だって100年くらいなら生きられるんじゃねえの」
「ミラー。神子は2歳、そなたは1歳でしかない。他種族であろうとも構わず苗床にして融合を遂げ世代交代する性質こそ、コラプション スライムが短命種であろうと疑わせるに足る最大のものだ」
俺は腐敗の邪神の神子の父が、聖騎士だった母を苗床にした世代交代を選んだ為に産まれた。短命なのは真実だろうな、と言う疑念と確信の混合物が俺の中にはある。……それでも俺には欺瞞のしようがあるはずだ。こんなのは母の鎌掛けだ、引っ掛かるなミラーソード!
「俺は父ほど気が短くもなければ気紛れでもないぞ、母よ」
「ミラー、僕に言わせて貰えばお母さんの気質が強く出ている時の君の方がよほど酷い。僕にも何を仕出かすか解らない事があるぞ。いつの間にかイクちゃんと結婚する事になってたじゃないか」
父から援護射撃ではなく追撃を喰らった俺は煎餅を飲み込み損ねた。父の操る理力術が力の弱い手を形成し、俺の背を撫でてくれた。
「動揺を隠すのが下手よ、ミラー」
「話題のせいだ! こんな話でなければ、俺は……」
考えろ、母が引き出そうとしているのは俺の隠し事か? それとも他の事か? 両親に隠し事がある俺は、どうすれば隠し通せるかが最大の関心事だった。
「ミラー、そなたは自身の命の使い方をこそ考えるべきだ。
そなたの命が尽きれば、そなたに保管或いは囚われている死者の魂は地獄に引き込まれるか、それぞれの魂の引き取りを望まれた冥府へと離散するだろう。
たとえ同じ冥府へ導かれるとしても階層の差がある。大母に恩寵を注がれたそなたは中立にして中庸であろうとも地獄の深海へ堕ちるであろうし、信仰心の希薄な神子も神域の近くには引き寄せられるだろう」
母に分体を与えて表情を見たかった。鏡の剣の中から届く声だけでは手掛かりに乏しい。……俺はどうしたらいい? 母に何を望まれている。
「親子三人で地獄行きなら問題なくねえ?」
「通常、冥府で魂の洗浄を受ける死者の魂は記憶を失うと言ったぞ。我々は互いが何者だったかをいずれは忘れさせられる。正常な魂の循環とはそうしたものだ」
通常に、正常ね。淡々とした声で語られ、俺は反発を感じた。知った事か、そんなもん。地獄と母の属性である狂える悪は法と道理を無視してやりたい事をやる属性だろうに。……ああ、母のやりたい事が解ったような気がするな。
「私は神子を手放す気などない」
「やだ、お母さんてば」
母は俺の母だった。鏡の中で父が照れたような声を上げ、暫し鏡の剣の中から声が届かなくなった。両親の愛情は深いからな、息子の俺が放置されるのも時には仕方ない。
要は母は父と永遠にでも過ごしたいから俺にはどうにかして命を繋げって事だよ、愛する母が言うなら努力はしよう。母が俺への話を再開するまでには少々待った。
「……命を保ち、より一層強大化し、可能ならば神格を得ればそなたの寿命の問題は解決するはずだ。全ての契約者を殺して護りを剥がした契印を用いて神域に踏み込めば、弱い神ならば殺せる事は覚えておけ」
「覚えてはおくよ。俺、レベル30だけどまだ上がるとは思う」
「そうね。ミラーはまだ限界を感じていなさそうだ」
生後直後でレベル22だった俺だ。たった8レベルしか上がっていないではないか。スカンダロンと言う名で煉獄で大君をしているらしいサイ大師は俺よりも更に強そうだしな。まだ強くはなれると思う。出しっ放しにしている烙印の翼を撫でる。俺には祖母に授けられた恩寵もある。
「じゃあ面会には鏡護りで出向いてさ、人質だのふざけた事を言い出したらスカンダロンを殺してやればいいのかね」
「困難と強者に立ち向かう気概をこそ勇敢さと呼ぶのだ、我が子よ」
必要ならばやるさ、魂洗いを習いに来たと言う目的を忘れてはいないし、娘のデオマイアにも必要だと認識しているがな。暗黒騎士ミラーソードにもアディケオに忠実なばかりではおれなくなる案件は幾つかある。両肩の烙印が唆すように囁くのは今も感じている。
俺に扱える力の中で格上を殺すのに最も適しているのは魔術師ではなく鏡護りだ。三種類定める宿敵が複数該当した時の強さは異常個体もいい所だ。格上を瞬殺できる力だ、余程に相性が悪くなければ俺と同等の強者を生かしてはおくまい。茶を啜り、俺自身の組み換えを検討し始める。母と父、エファと繋がる経路に施した細工も検める。機能はするだろう。騙し討ちのようなものだが一度ならば通用しよう。
「お母さんはちょっと行き過ぎて無謀だとは思うけど、愛してるよ」
「私を咎められるほど潔白ではあるまい、神子よ。愛している」
……気付いてはいない、のかね?
隠し事を暴かれずに済んだ安堵を茶と共に腹の中に流し込む。母の望みは記憶を失わずに小さくなり過ぎた魂を癒して貰う事だ。それでいい。俺だって母に忘れられて他人のような顔をされたらと思えば、精神支配でも記憶操作でも何でもやると確信している。
「俺も愛しているよ」
愛を囁きながら、俺は煉獄からの接触を感知していた。意識を向ければ番人が身を屈め、指先で突く様にして急拵えの家の扉をノックしているのが視える。……もう少し頑丈そうな外見にしてやるべきだったかね? 煉獄の旅のささやかな休憩時間は終わりのようだ。