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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードと硝子の剣
133/502

132. 悪の冥府

「待ち(ぼう)けは芸がない。家でも作るとしよう」


 遣いに出した番人はなかなか帰って来なかったので、俺は煉獄における仮の住まいを創る事にした。ちょっとした創造だ。俺が授かっている創造の恩寵はまだ解らぬ事が多いものの、小さな世界を形成できる力がある。防御力はそれほどないと思う。城砦の類も創ろうと思えば創れるのだろうが、しっかりしたものを創りたいなら設計図と魔力が要る。

 煉獄に設置する扉を一つ創造し、扉の向こうに家を用意した。玄関があり、居間から続く私室を兼ねた寝室が二つ。厨房は琥珀の館にあるものを真似て造った。居間の開放的な窓からは中庭めいて外へ出られる。中庭には俺の好きな果樹を植えてみた。太陽こそないが、煉獄にはない明るさのある俺にとって心地よい世界にしたよ。俺が家族と暮らすには慎ましい住まいだ。


「いいんじゃない、お茶でも淹れよう」


 父は真似て創った厨房に満足してくれたようだ。機嫌よさげに念動力を操って茶汲みを始めた。俺は俺で、居間で待ちながら美味かった覚えのあるミーセオとアガソスの茶菓子を変成術で創ってみた。茶飲み話には甘い菓子が供に欲しい。

 鏡の剣の中の母は分体を持っている時と同じように、俺達の様子をそれとなく注視しているのが感じられた。家の中で肉体を持っているのは俺一人だが、家族で過ごす時間だと感じられる。……分体を創れる事実を明かし、肉体を持った母と父に接したいと言う欲求を抑えるのには難儀したがね。茶菓子の出来が我ながら良かっただけに尚更だ。

 俺は両親を愛している。母を護る為には告げられぬ事実だと考えている。今は我慢しよう。リンミニアの支配者、不正神アディケオの第三使徒、双頭の狂魚神イクタス・バーナバの夫、中立にして中庸なるミラーソードにならできるはずだ。


「悪しき魂もしくは死因が悪に関わるものであった者を待つ冥府は三つある」


 茶飲み話には些か物騒な話題だとは思ったが、俺と父は母に発言を譲った。淡々とした母の声は三つの冥府について簡単に教えてくれた。


「狂える悪の魂を迎え入れる地獄。原始的で根源的な力が氾濫し、形あるものは力ある魂の間近でしか存在できない。

 我々が堕ちて来ているのは正しき悪の魂を迎え入れる煉獄。現世に似てはいるが、煉獄の法によって厳しく統制されている。

 悪ではあるが正しく在れず狂い切ってもいない半端者、寄る辺なき者、不信心者、洗礼を受けられなかった者達を広く受け入れるのは辺獄だ」


 母が神学の講義をしてくれると言うのなら有難く拝聴しようではないか。ミーセオの豆煎餅を小気味よく噛み砕き、茶を飲みながら俺は母の声を聴いていた。少し前まで中立にして悪だった俺には辺獄の説明部分が耳に痛かった。俺は母に半端者だと思われていたのか。


「全ての魂は死後、相応しい冥府に接続した魂の河で洗われるとされている。

 煉獄の様子は目にした通り、極めて統制されたものだ。赤の崩落の底の更に底から汲み上げられた魂の河は一度天辺にまで揚水され、上方に囲われたよりよい魂から順に洗っていた。水路が下へ下へと降りるにつれて使われた魂の河の力は弱まり、次の生を得るまでの時間が長引くのであろうな」


 母は直視に耐えないと言いながらも随分とよく観察していたようだ。父が感心したように言う。


「よく見てたね、お母さん」

「知識と観察と推測の産物だ。神学は聖騎士として修めていた。大母を奉じる暗黒騎士に求められる要件を満たしているかまでは知らぬ」


 母は名を喪った聖騎士とも呼ばれる。かつては聖騎士だったが腐敗によって死に、地獄へ堕ちたのだと俺は聞いた。


「煉獄における魂の洗浄がどれほどの時間を要するのかは不明だ。

 地獄における洗浄よりは速いと推測はしている。地獄の洗浄はごく緩やかだ。私がいた浅さの地獄であれば、欠けた魂の欠片は一年を費やして百のうち一つ得られるかどうかであろう」


 俺は煎餅が急に不味くなったように感じた。母がいた深さの地獄で腐敗と堕落に浸されて過ごすなら一欠片を取り戻すのに一年だと? 母は90年、父は80年、俺は60年近く掛かると言う事ではないか。地獄の深海に行ける俺ならもう少し速そうだが、地獄の洗浄は遅いのだな。それとも十分の一、五分の一足らず、五分の二ほどしかない俺達家族の魂が欠け過ぎているのか。


「冥府において洗われる死者の魂は全ての(おり)を洗い流されるとされ、(おり)とは記憶であると言われている。前世の記憶を留めて生まれる転生者も時折現れるが、洗浄が不十分な魂と看做し殺して冥府に戻せと教える神もいる」


 茶のお代わりを貰い、砂糖菓子に手を伸ばす。俺一人で食うには量を創り過ぎた。母と父が肉体を持っていたなら綺麗に平らげてくれただろうに。


「魂洗いの秘儀がどんなものであれ、地獄で死者の魂が洗われるに任せるよりは確実に速く、なおかつ記憶を奪うものではないのだろう。最低でも、アディケオの第一使徒が我々のミーセオ帝国への加勢を期待できる程度の効能はあると思われる」

「そうだな。サイ大師は10年や20年待ってくれる感じの話し方じゃなかったし、母の力を当てにしたい感じだった」


 母が話しているのは魂洗いの秘儀の正体に関する推測だ。俺は相槌を打ち、魂洗いの詳細を知っている様子だったサイ大師との会話を思い出そうとした。


「ミラー」


 鏡の剣から発される母の声には聞き慣れない感情が伴っていた。情緒に乏しい母が見せる怒りでも愛でもない感情は珍しい。


「アディケオにせよ大師にせよ、悪しき者である事は忘れるな。

 契約として赦されたとしても、あまりに好意的に受け取るべきではない。

 魂洗いの実態によっては、我々三人のうち誰かもしくは全員を人質として扱われる」


 母は勇敢で恐れを知らず、腐敗と堕落に染め上げられた魂は暴威を振るう事に何の躊躇いもない。けれど父と俺を愛してくれているのは確かだ。


「おそらくは私を人質として考えていよう。魂護りの護符を一つだけ遣した理由であろうさ。

 最も脆く、そなたらに対する人質として脅し易いのは私だからだ。圧迫された神子(みこ)とミラーは何をするか皆目解らぬが、私であればアディケオに予想できる範疇の災害に収まるだろう」

「ちょっと、お母さん」


 膨れ面をしているな、と解る声で父が口を挟んだ。俺とても「嘘吐け、俺達の中で一番ヤバいのは母さんだ!」と(なじ)ってやれたらどんなに気が楽になっただろう。母は嘘が下手だ。……本気でそう思っていやがるのだ。


「お母さんの言い方だと僕とミラーが度し難い危険物で、お母さんは一番穏健だと主張されているように聞こえるんだけど」

「現実にそなたらは危険極まりないではないか。

 拘束を逃れる為にどんな神との契約を持ち込んで来るか読めぬし、欠けてはいるが代償にできるだけの魂も持っている。実質的に、アディケオなりスカンダロンにとって扱い易い人質は私だけだ」


 諭すように言う母の分析は冷静だと思う。魂が残り十分の一しかない母が、アディケオとスカンダロンに人質として扱われる可能性は高いと認めざるを得ない。


「なあ、母よ。……魂洗いの話は聞かなかった事にしてさ、地獄の深海で親子で漂ってちゃダメかね。母になら90年掛かっても付き合うよ、俺」


 俺の愛しい母を人質になどされたら、スカンダロンがレベル幾つだろうとも殺しに掛かる自信がある。勝ち目がないとしてもやる。そう思っての言葉だったけれど、母は言った。


「そなたの命が持たぬ。私の魂が回復する頃には寿命が尽きていよう」

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