131. 赤の崩落
母が支配した巨人めいた魔性は煉獄の番人、いわゆる悪魔の一種だそうだ。鑑定してみればなるほど100歳を超えていてレベル18、武芸と魔術も相当なものだ。母が支配対象として目を付ける訳だよ。
現世であれば土着神に仕える第二使徒が充分以上に務まる水準に達している。定命の者は通常ならレベル20にしかなれない。俺が生まれた世界の正属性と善属性の土着神は己の血脈を薄くでも引き継いだ者を使徒にする事を好む為、第一使徒はレベル20である事が多いそうだ。一方、魔性を使徒にするのは狂属性と悪属性の神々であれば珍しくないそうだ。サイ大師が崩落の大君スカンダロンその人であるならば、相当に強力な魔性だろう。
レベル30の第三使徒と言う俺のような例外もいるがね。俺がレベル20を越えているのはコラプション スライムと言う大母が産み落とした妖怪の血のせいだ。何せ俺は、生まれた時からレベル22あったからな。その代わり、あと何年生きられるのかは定かじゃない。0歳の時点で俺の擬態は既に二十代半ばに見える青年だった。寿命があと何年あるのかは知らない。1年や2年ではないと思いたいが、100歳以上と鑑定できるような長命の存在を見ると不思議でならない。どうすればそんなに生きられるのだろう、と。本能的に俺には無理だろうと知っている。
「眩しいね、僕には不快だ」
「直視に耐えぬな」
「無理しなくていいぞ。俺はそれほど苦しくないから任せてくれ、母に父よ」
番人の長距離転移と道案内で赤の崩落と呼ばれている場所を一望できる外周部に連れて来られてみれば、確かに赤い。極めて規則正しく張り巡らされた水路が赤いのだ。水路を形成する石のようなものも赤く色付いて見える。属性力は正属性と悪属性が強く、権能としては統治と不正が強く水によっても満たされている。属性と権能の一致がアディケオ絡みの場所だと教えてくれる。
ミーセオ帝国の皇都アディケイアの中心部にも水路が整備されているが、建築物としての規模は全く違う。見えている範囲だけでも明らかにアディケイアの百倍以上は巨大だし、天頂部の高さも比較にならない。地下にまで水路が延びている様子からすればどれほど巨大なのか見当も付かない。
水路を巡る赤い水は血よりも赤く、淀みなく流れ続けている。身体強化で視力を強化すれば水路には細かな区切りが生簀めいて無数にあり、生簀に漬け込まれたような何かが視える。邪視の異能が死者の魂だと教えてくれた。
「見ての通り、赤の崩落は煉獄に堕ちた死者の魂を洗う場だ。
前世の澱を洗い流しながら魂の正と悪の属性を磨き、煉獄に関わる神々に仕えるに相応しい魂として来世へ送り出す」
通常ならば死者の魂は相応しい冥府へと迎えられ、魂の河で充分に洗われると相応しい世界へと導かれ神々の祝福と共に生を受けるとされている。欠けのある魂は洗われて一つの魂となるまでは次の生を得られず、強者として長く生きた欠けのない魂ならばより高次の生命として受肉できるそうだ。冥府で魂の循環機構を眺めるのはどうしてか興奮させられる。
「煉獄だと洗う場所をきっちり管理しているのか? 地獄はどこにいても気持ちよかったんだがな」
俺は番人に訊いてみた。地獄の腐敗と堕落から感じた気持ち良さこそが死者の魂に対する魂の洗浄なのではないのか、とは俺も察しているのだ。地獄とは違って現世を模したような地形や構造物がある煉獄にいるのは気持ちよさがない。
「地獄が無法に過ぎるのだ。煉獄と地獄の法は大きく異なる」
「そういうもんか」
番人は心外そうであった。解っていた事だが、地獄の深海に近い所にいると言う祖母は俺の父の母だ。万事を適当にやっているに違いないぞ。母が番人に訊ねた。
「スカンダロンとやらには面会できるだろうか」
「スカンダロン様は全ての煉獄に堕ちた死者を迎え入れる。剣の中の御二方は問題なく受け入れられるだろう」
鏡の剣の中の、と言う事は。跪いてなお俺の背丈よりも大きい番人の巨躯を見上げる。
「俺はダメだと?」
「現世から煉獄に堕ちた生者は通常、法に則って死者とされる」
「やっぱり、そうよね」
父も納得したようだ。なるほど俺達が煉獄の原生種と思しき魔性の大群に襲われた訳だよ。生きて煉獄にやって来た場合、殺して死者になった後なら歓迎してやろうと言う訳だな。アディケオらしいと言えばらしいのかね。
「アディケオの赦しを得てサイに魂洗いを習いに来たのだが、俺が赤の崩落に立ち入ると殺しに掛かられるのかね?」
「赤の崩落の番人らは特段の下命がない限り職務を放棄はしないだろう」
「肉体さえあるならば私が突破しても良いのだがな。
ミラー、暗黒騎士としての力を最大限に引き出した上で私に身を委ねないか」
三体目と四体目の分体を作れるとは知らない母が提案して来た。俺は考える素振りをして見せた。
「やるなら魔法騎士を主体にした方がいいんじゃねえかと思う。それに、一匹でもけしからぬものがいたら本体では発作が出る」
「…………そうだな。発作が出ている間は私でも無理には動けまい」
母の返事を貰うまでには長い沈黙があった。超重篤な幽霊恐怖症の恐ろしさを母にも体験して貰った事そのものは反省していない。あれは俺達が真の意味で家族になる為に必要な経験だったのだ。やっている最中は母が恐ろしくて堪らなかったし、母の弱点を知った今となっては、父と俺は母をどれほどの危険に晒していたのかと言う点を反省はしている。繰り返す事はあるまい。
「まずはミーセオでいつもやってるように面会要請でも出そうぜ。
スカンダロンがサイ大師だと決め付けて掛かって別人だったら不味かろう」
「書状を認めてこやつに運ばせるのが穏当な所であろうな」
母の口から出た言葉にしては随分と平和的な提案に俺は内心首を傾げたが、表立っては同意した。
「そうしようか。番人には使者に立って貰うとしよう。
煉獄の番人としてなら転移以外の経路で赤の崩落の奥に入れるのだろう? スカンダロン宛に面会要請の書状を書くから、返事を貰って来てくれ。……敬称は崩落の大君でいいのか? 様付けはしないとダメだよな?」
「我が子よ、私が書いてやろうか」
「ダメよ、お母さんに手紙を書かせると物凄く分厚くなるから」
見かねたのか母が書いてくれようとしたが、父に止められていた。
俺は面会を要請する書状を創造し絹布でミーセオ風に包んだ。封書に描いたリンミニアの紋章は宝玉で装飾して形成している。ペンや筆は使っていない。俺はいつもこうするからサイ大師になら俺が来たと伝わると思うし、アディケオも何がしか伝えてはいると思うのだ。
俺達は番人と合流する場所を決め、書状を持たせて送り出した。