130. ミラーソードの隠し事
「では、サイと言う名の高位かつ魂の河に関わっているらしい者は知らないと言うのだな?」
「うーん……? 煉獄で知られているのはサイって名前じゃないのかしら。
言われてみるとミーセオの貴人の名前として不自然ではあるのよね。ダラちゃんは元々は表向きアガソス寄りで伯爵やってたから、アガソス風の名前でもおかしくはないんだけど」
どうやら隠し通せただろうか。
両親は鏡の剣の中から支配した魔性を尋問している。普段は俺と分体にしか聞こえない鏡の中からの声だが、今は父か母が術で中継しているようだ。武装した巨人めいた魔性が母の支配下に置かれ、質問には従順に答えている。背丈は俺の三倍はあるし、筋肉も相応しいだけ発達している。術の素養までもあるようだ。煉獄の道案内としては期待が持てる。
残骸になった魔性の群れを一瞥し、俺は明ける気配のない薄闇が続く煉獄の夜を眺める。
分体を出す事ならばできた。腕一つ切り飛ばせば足りただろう。本性を現したならわざわざ俺が人型のまま痛い思いをせずともよい。人型を造れる程度の血肉を瘤のように盛り上げて切り離し、力と共に魂を入れてやればいい。
エファだけでも出すべきだったのかも知れない。しかし現世に残っているのだろう二つの分体を戻す事なく三つ目の分体を出して見せたなら、母は確実に気付いただろう。俺は四つ目の分体を創る事も当然できると。
解っていたが、俺はしなかった。母に肉体を持たせて戦わせたくなかった。そもそも、俺が煉獄に堕とされたのは母の治療の為だ。残り十分の一しか残されてはいない母の魂。秘儀として隠された水の小権能の一つ、魂洗いならば小さくなり過ぎた魂を救い得るのだとダラルロートに教えられた。俺がアディケオへの忠誠を誓う今や最大の理由でもある。
誕生時の一割よりも小さくなってしまった魂は砕け散り破滅する危険に晒され、魂を失ったなら確実に次の生を得られなくなる。そんな母を煉獄のよく知らぬ魔性を相手に戦わせたくはなかった。俺の嘘など両親は見抜いているのかもしれない。それでも俺は隠し事をするし、少々頭の悪い暗黒騎士ミラーソード様の振りもしよう。
本当は保管している者全ての分体を創れる事は、魂洗いが母の魂を少しでも癒した後に明かす。俺はそう決めた。今は守り通すべき秘密だ。さもなくば母はどこへ突撃して行こうとするか解らんし、性根が控え目で引き篭もり気質な魔術師の俺と父では止められる保証がない。アステールがいれば母の機嫌を損ねずに行き先を操縦してくれたかもしれないが、どうやら現世と煉獄で離れ離れにされてしまったようだ。俺が演じる副官の魔術師ミラーソードでは、暗黒騎士ミラーソードを演じる母を止め切れまいよ。どれ、捗らない尋問の場で副官ミラーソードを演じてみようか?
「サイは魂の河の源泉とやらにいるんじゃないのか?
アディケオは『魂洗いの秘儀を授け、源泉への立ち入りと汲み上げを赦す』と言っていた。エムブレポを俺が掌握している間に限ると言う条件も付けてな。俺達は魂洗いが具体的にどうやって魂を救ってくれるのかまだ知らないが、魂洗いをする為には源泉とやらに立ち入って、源泉でしか得られない貴重なものを継続的に汲み上げさせて貰う必要があるんだろ。だからサイとアディケオが揃って免許制だぞ、みたいな事を言っているのと違うか」
俺が言ってやれば、魔性はサイの所在については知らなかったものの煉獄の魂の河の源泉がどこにあるかは教えてくれた。
「煉獄の魂の河の源流は崩落の大君スカンダロン様の居城、赤の崩落の奥底から来ていると聞いた事ならばある」
「……大君ね。現世では守護者で、煉獄では大君なのかねサイ大師。赤の崩落とやらは遠いのか?」
「我ならば近郊まで長距離転移できる」
大君と言う渾名はミーセオ風ではある。しかし魔性の手による長距離転移か。母と父に訊ねるように鏡の剣の柄の銀の宝珠を撫で、母の魂に同調させている魂護りの護符に触れる。母の魂を守る為、サイ大師が造ってくれた護符も銀の結晶を飾っている。よく似ていると思う。
「送って貰っていいんじゃない。僕らはミラーの転移に装備扱いで着いて行けるから身軽なもんよ」
「身軽さの利点ではある。私の支配下にある以上、我が子が不利益を被るであろう転移先は避けような?」
父と母は魔性による長距離転移に反対しなかった。
「もちろん、我が主よ。
スカンダロン様は赤の崩落への転移による外部からの出入りを制限している。赤の崩落の深奥には何者も直接転移できない事は理解して欲しい」
「御前には直接転移できない隠れる君の御所の防御に似ているな」
「ああ、そうね。召喚術を極めているらしいサイちゃんなら同じような防御結界を組んでいておかしくはない」
スカンダロンとやらがサイ大師当人なのかね。俺は厳しいミーセオの武人然としたサイ大師しか知らないが、煉獄にいるサイはどんな顔をしているのやら。
「では赤の崩落に近く、部外者にとっても安全な地点へ転移で送ってくれ」
俺達の煉獄の旅はようやく目的地らしき地名が明かされた所だ。




