129. 疾駆
俺が戦うのは久し振りではないのか?
判を捺すように準備済みの術式で魔力を型に嵌めて聖火として連打し、得体の知れぬ煉獄の魔性を纏めて焼き払いながら疾駆する。下手に足を止めれば絹布の服しか着ていない俺にいかにも凶暴そうで毒を滴らせる牙が突き刺さり、巨体から馬鹿でかい棍棒が振るわれるだろう。
接近を許した敵は烙印の翼が変形して肩から生えた剣と槌が斬り、或いは叩き伏せる。俺には槌の方がいいな、物理攻撃の定義とは何か考えさせられる勢いで一撃が複数の魔性を殴り飛ばしている。剣と槌は腐敗を帯び、殺した魔性を腐り落とさせて地獄へと送り込む。現世と地獄の間だけではなく、煉獄と地獄の間でも魂の移動はあると俺は学んだ。
異能の囁きは煉獄の魂を刈る俺を微笑ましく思ってくれているようだが、煉獄は俺の信仰神の縄張りのはずなのだがな。俺の祖母―――大母とも称される腐敗の邪神は地獄に接する神域にいるそうだ。まだ直接には会った事がない。俺に力を与えてくれている一番の信仰対象だ。アディケオは二番か、二柱いる二番だ。俺の妻も神なのでな。
後方への攻撃は父に任せている。何をしているか全てを把握はしていないが、殲滅目的で容赦なく術を尽くしている。母は戦況の推移を見てくれている。言わば司令塔だ。
「現時点でおおよそ三分の一は殲滅したものと思われる。大将格は倒さずに支配したいが、可能だろうか」
「情報収集したいもんな」
「そうね、支配はお母さんに任せましょ」
意志は交わしつつも術を行使する手は緩めない。俺と父と言う大魔術師二人掛かりの猛攻だ、数ばかりで見るべきもののいない魔性の群れに耐えられるものかよ。
退魔術はいいのだが元素術は今ひとつ効きが悪いと察知し、攻撃の主軸は変成術に変更している。ちと威力上昇目的で欲張って遠方に魔力を飛ばし過ぎたかね? 地上への到達が遅れていた無数の紅玉の槍が天から墜落した塔めいて突き刺さり、崩落する。現世では高威力過ぎるので行使した事さえなかった。直撃に耐えられる魔性などまずいまい。魔法操作によって対象から除外した俺を魔術が傷付ける事はない。ほんの手妻の火球であれ、大技の終わりなき大火葬や止み方知らずの腐敗であれ、やりたい放題だ。
祖母の歓心の為にも死骸は腐敗させてやる。なあに、どうせ煉獄だ。葬儀よりも地獄送りにした方が確実だろう。何しろ俺はお化けが本当に、全く、これっぽっちも耐え難いほどダメなんでな!
理不尽な事だとは思いつつ、魔性の群れを捉えるべく疾駆し白く燃える聖火を放つ。俺にとっては多段詠唱など何も考えずに判子を捺すに等しい所業だ。リンミの大君ダラルロートにも習得できたのだから、スライムほど柔軟な脳をしていなければならないと言う訳でも……いや、ダラルロートは俺の分体なのだからスライムそのものか? ダラルロートが自らの意思でスライムに姿を変えてなお自意識を保っていた瞬間を思い出し、俺は渋面になった。考えるのは止そう。
剣の方が動きが悪いと思ったせいだろうか。俺の意思を受けずに勝手に動いている烙印の剣は腐敗を帯びるのを止め、堕落を纏った。斬りには行かず闘気として放出すれば、狂属性の恩寵に晒された正しき悪の魔性が不快げに叫び或いは呆然として立ち竦む。槌は変わらず腐敗を帯び、畑を耕すように魔性を叩き伏せては腐らせる。
多重詠唱は多段詠唱よりも少し面倒だ。複数の判子めいて準備術式を束ね、魔力を流し込んでまとめて同時に捺す行為だとでも言えば、魔術師として未熟なシャンディはともかく二重詠唱ができる魔法騎士のアステールなら理解してくれようか。俺は生後間も無くから使えたから詠唱破棄した多段詠唱と多重詠唱が魔術師として当然の振る舞いなのだと思っていたよ。腐敗の雨を降らせながら念動力の竜爪を複数伸ばして手頃な間食を選び出す。煉獄でも命が喰えるのなら喰ってやるさ、美味いといいがな!
命喰らいの異能が呆けて抵抗を止めた命に齧り付き、突き立った触手めいて俺の為に命を吸い上げる。雑に咀嚼し、消耗した術と血の力の回復に充てる。弱く薄い命とは言え喰い散らせるし、吸い込んでいる魔素も旨い。俺はまだまだ元気一杯だ、お化けさえいないなら何も問題はない。喰らった命は父も食んで回復に充てている。
「継戦能力に問題はないな」
「まだまだ大丈夫よ、お母さん」
「母にも俺が戦える所を見せねえとな」
何しろ俺が最後に直接戦った時と言うのは、抵抗の間も無く一方的に弓で射殺されたのでな。我ながら情けない殺され方だったと思う。そうとも、俺は最低でも一回は確実に死んでいる。多分、もう一回は体験させられた恐怖の余りに死んでいると思われるが記憶操作されて詳細を覚えていない。
二回とも蘇生を受けたから俺は生者だ、亡者ではない。死とは絶対的なものではないのだ。冥府にもこうして肉体を持って訪れている。腐敗と堕落の異能を大母に授けられている俺にとっては、煉獄よりも地獄の方が気持ちよく過ごせるだろうがな。
そんな殲滅戦をどれほど続けただろう。害虫駆除にしては随分と殺したよ。母の声が特別そうな個体の発見を告げた。
「支配するならあれが良さそうだ。近付けるか?」
「ミラー、無力化中心に切り替えて」
「喜べ屑ども、我が母の要望だ! 暗黒騎士ミラーソード様直々に少しだけ優しく扱ってやろう!」
俺は変成術による身体強化を一段階引き上げた。高速はまだしも超高速機動は肉体が疲労するのであまりやりたかないが、超高速機動に肉体を慣らしているダラルロートならば常時できる事だ。魔術師と闘士を一緒にされては困るが、疾駆する脚力を引き上げて示された標的を目指す。
烙印の剣は堕落の闘気を放つ。俺自身は血の力を引き出して術共々に多重詠唱する。腐敗と創造と増殖の異能を悪意を持って変成術として行使すれば何が起こるか教えてやろう、こうなるんだよ!
「ねえ、お母さん。うちの子は誰のせいとは言わないけど頭悪いよね?」
「……比較対象と基準を誰にするかによるのではないのか」
……父よ、母よ。俺が久し振りにまともに戦っているのでもう少し見てやってはくれないだろうか。「ミラーは留守番をさせた方がいい」とまで言われた息子としては久方振りの機会なんだよ! 母にも庇われていると言うより視線を逸らされた感が強いではないか。
「色彩剥奪!」
多少、自棄の色合いはあった。俺には本来必要のない結句を唱えて放出した魔力が波動と化し、魔性に触れる端から色彩を剥奪し黒く結晶化させる。黒やら暗い青だか赤でも色彩は色彩だ。命は本来の色彩を失えば身動き一つできない石と化す。更に、俺の術は一つ結晶化させれば次から次へと蔓延する。起点にする剥奪対象を増やせば爆発的に蔓延させられる。
腐敗の大権能とは必ずしも腐らせるばかりが能ではない。色彩を奪い、命を奪い、魂を奪い、名を奪い、時には愛を欠落させもするのが剥奪と言う高等魔法だ。神でさえ対象の同意を求める場合がある業だが、大母を奉じ父から邪神の神子の血を受け継いだ俺にならばできる。俺にとっても変成術の大技には違いないがね。
「中立にして中庸のミラーなら栓や毒を使うよりは剥奪の方がいいかもね」
俺に魔術を教えた大魔術師だが毒をあまり好まず、体内の重要器官内に栓を創り出す事を好む父にも合格は貰えたようだ。全力ではなく多少抑えた為、致死魔法を生き延びたものはいる。母が示した個体がそうだ。
「貴様ならば丁度良かろう」
暗黒騎士たる母の声が呪詛めいて響く。強力な暗黒魔法を行使すべく、神力の導管として大母と繋がっているのだ。母も俺と同じく暗黒騎士として同一の邪神を信仰している。魔性の群れから選り分けられ、選び出された個体は抵抗しようとした。だが、母は俺を支配していた時期があるほど強大だぞ? 抗えるものかよ。




