13. か弱き使徒
快い甘さの香りが室内に満ちている。毒の香りだ。
水路の中心部と思しき池の底に、俺が期待していたよりも巨大な物体が沈められている。何らかの魔獣の腐肉と腐りかけた骨らしいが俺の知識にはない。以前狩った黒竜よりも二回り以上は巨大だ。屍を浸して毒を帯びた水は水路を循環し、排水路へと導かれている。問題は奪い辛い事だ。腐毒の源は術具ではなく、腐乱した屍とは。俺が干渉せずともいずれは全て溶け崩れていたかもしれん。
問答を始めた攻略側と守備側に注意を向ける。
「これはこれは……予想以上の大物の御訪問ですなあ。
確かアガシアめの第七使徒でしたかな? 正国の犬よ」
……使徒だと? 見るべきものを感じたとは言え、この程度の命がか。使徒とはもっと強大でなくては務まらないのではないか?
「おやあ……。第七使徒だってさ、ミラー。鏡的には意外」
第七使徒と呼ばれた聖騎士が吼え返す。俺には信じ難い。鏡もそうらしい。何故、応じる。犬呼ばわりされたのだぞ? 応礼など不要。即座に武威を示す場面であろう。
「応! 我こそは美しきアガシアの祝福を受けし第七使徒アイオロス!
我等が湖畔の宝石リンミに対する暴虐は今日限りと知れ」
使徒が率いているのが騎士でも正規軍でもない点も俺の常識の枠を超えている。解せぬ事は多くあるが、場面としては待ち受けていた防衛側有利。俺の見立ては攻略側の最終的な勝利。相互の前線の衝突は間もなく。
「ほっといたら第七使徒御一行様の勝利はほぼ確実だね、ミラー。
鏡のお勧めは今すぐ全員の心臓と脳に栓をしていただきます、だけど」
喉になら栓をしてやる事はできるが、臓器狙いは臓器の見えない俺には厳しい。
なるほど、鏡が俺に臓器が視える眼の習得をせっついた訳だ。今この場で栓をしてやれたならば、防御側三十余名と攻略側十二名の全員を好きなように、かつ容易く喰えたであろう。乱戦時に持てる行動裁量が全く違う。
「鏡は毒でも聖でも邪でも何でも使えと教えたよね、ミラー」
無論、覚えている。戦槌で片付けられない事は惜しく思うが、なお生き延びた者があれば相手をしてやれよう。砦の部隊長の執務室だったであろう部屋から掘削された地下へ降りて来た先の空間、と言うのも毒向きの場面だ。
俺はこの場の誰に対しても直接的な攻撃はしなかった。ただ、無から変成させた少々効きの良い滴を垂らしてやった。陰険なやり方だが、効果的だ。蔓延した毒に完全耐性のない者が全て倒れるまで、それほどの時間は要らなかった。
立っているのは―――
「貴様は何者だ? 我こそは……」
「既に拝聴した。汝は死ね」
こやつの板金鎧は聖銀で彫金を施されたなかなかに美しい品だ。馬鹿者が口を開いて喉を晒さなければ役立ったであろうに。いずれ製作する俺の鎧も美しく飾りたいものだ。
俺は第七使徒とやらの喉を腫瘍で塞ぎ、文字通り息の根を止めた。毒の効かぬ使徒であろうとも、それだけの事だった。
腐毒の源を採取する手間もあった為に流石に遊びが過ぎ、予定していた帰宅時刻は超過していた。
「なあ、鏡よ」
「言いたい事は解るよ、ミラー。この使徒もどきは幾らなんでも弱過ぎる」
鞘から抜き放った鏡の剣の刀身に亡骸を映して問えば、鏡もどこか不満げだ。
「鏡は使徒と神を警戒しろと言ったが、訂正の意思はあるか」
「真正の使徒ってのはもっとこう……なんだ。表現が悩ましいな。遭遇したら一巻の終わり。
脳味噌まで詰まった筋肉が喋るお化けで、無茶と挑戦と粘着質な情熱の化身みたいな奴だ」
「鏡が言うような迫力はこやつにはないな」
「あったら今頃、ミラーが縛り上げられてぴーぴー泣かされてたよ?」
俺は使徒とはもっと強大で死闘を避けられぬ類の存在だと考えていた。
か弱き使徒の命を手折った後も違和感は強まるばかり。見える前に使徒や神に対して期待していた命の芳醇さもなく、か弱さに見合った命でしかなかった。
帰宅した後も、鏡は得心が行かぬ様子で「使徒の強さとは土着神の強さと権能によるのかしら」などと俺に話し掛けて来る事が増えた。俺は「俺に聞くな」としか答えられなかった。か弱き使徒と言うものを俺の頭は長い事受け止め切れず、辟易させられた。