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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードと硝子の剣
129/502

128. 初めての煉獄

 俺は暗黒騎士ミラーソード、1歳。レベル30のハーフ コラプション スライムで、神との間にできた娘と信仰神に認められた結婚相手はいるんだが素直に喜べる心境にない。信仰神であるその身の醜悪を覆い隠すアディケオの手で堕とされて今、正しき悪の冥府である煉獄にいる。但し俺が煉獄のどこにいて、修行の為にどこを目指すべきなのか解らない。肉体を持ったまま冥府に堕ちて来た所なんだよ。


「「ミラー」」

「ああ、無事か?」


 馴染んだ声を聞いて俺は安堵を禁じ得なかった。太陽も月も星もない、未知で薄暗く得体の知れない冥府に独りで堕とされていたら不安で仕方なかっただろう。夜間は基本的に外出も仕事もしない俺には煉獄は落ち着かなさ過ぎる。女とも男とも付かない声が父、感情を感じさせない淡々とした声が母だ。


「うん。ミラーは大丈夫? 煉獄は正しき悪の冥府だよ」

「おそらく我々にとって地獄ほどは心地よくあるまい」

「問題は感じていない。母の言う通り、地獄ほど気持ちよくはないな」


 俺自身は中立にして中庸だからどの冥府でもそれなりに暮らせるかもしれんが、母は狂った悪で父は狂った中庸だ。正しき悪の煉獄にいては肌に合わぬ感覚があってもおかしくはない。堕とされる直前に現世から覗いた煉獄は規則正しい世界に見えていた。


「準備術式はどうすればいい? 肉体を持って冥府に降りて来たのは初めてだ。何があるか解らん」

「……地獄と似た環境を想定するなら私が幾つか準備した方がよかろう」

「そうね、ミラーは退魔術と変成術を中心にして残りは治癒術と元素術と理力術でいいんじゃない」

「退魔術か。準備変えるわ」


 確かに冥府なのだから、けしからぬ手合いが幾ら湧いて来てもおかしくはない。そう考えると身が竦んだが、準備術式の変更を急ぐ。母に頼れる事がどれほど俺を支えてくれている事か。柄に飾りを三つ括り付けて腰に佩いた鏡の剣の感触を確かめ、俺はようやく気付いた。


「ダラルロートとアステールはどこだ? 俺の中には戻っていないぞ」

「えー、じゃあ堕ちて来てないんじゃない?」


 父は軽く言ってくれるが、ダラルロートとアステールがいないのは不味いのではないか? エファは分体さえ用意すれば出せると思うが、俺は三体以上の分体を同時に出した事がない。ダラルロートとアステールを戻せないなら、入れ替えでエファを呼び出す事もできないのではないのか。何より、俺と違って前後不覚に取り乱す事がなく、殺されて死んだ事はあっても精神的な動揺が原因で卒倒などしない二人だ。


「……あの二人がいないと困ると思うんだがな。

 アディケオが言っていたサイはサイ大師で間違いないと思うか?」

「同一人物だとは思われる。煉獄にいると言うのは解せないがな」


 信仰神に師事せよと言われたのはサイと言う名の人物で、俺達が知っているサイと言えばアディケオの第一使徒サイ大師だ。会う時はいつもミーセオ帝国の皇都で、どんなに俺が成長しても同等の強者の顔をして面会に応じてくれた頼れる上司だ。母の言う通り、まさか煉獄にいるのだとは思っていなかった。


「おかしな事じゃないね。あの男は異常だもの。多分、天使か悪魔の類だ。

 冥府にいながらにして現世にも人形を使って干渉して来ていると言うのは、ちょっと規格外だが」

「人形? 俺が会っていたサイ大師はホムンクルスかゴーレムだって言うのか?」

「そんな下等なものかなと言う疑いは持っているよ。本当の所は僕に鑑定させてくれなかったからね、サイちゃん」


 俺は小さく唸った。第一使徒は強いだろうとは感じていたが、父の言を信じるなら相当な化け物ではないのか。強者だと察し、最初から逆らわなくて良かったとは思う。サイ大師は第二使徒のスコトスとは実力差があり過ぎるとは感じていたが、定命の者ではなかったのだ。


 両肩から実体化している灰色の烙印の翼で煉獄の空気を打ち払ってみる。空気を吸ってみても害を受ける感覚はない。俺は人型に擬態しているが、スライムとしての俺は本来呼吸をしない。有害なら息をしないだけでいい。吸いたいのは空気ではなく周囲の魔素だ。魔素は濃く、魔力には困りそうにない。俺は一通り術の準備変更を終えた。退魔術を中心に準備を組んだが、さて俺は……


「母よ、父よ。……お化けが出たら任せていいか」

「……肉体が欲しい所ではあるが、力を尽くす」

「やれやれ、お父さんが頑張るしかなさそうね」


 俺には超重篤な幽霊恐怖症と言う致命的な弱点がある。ダラルロートとアステールの二人がおらず、俺の身と鏡の剣一振りで何やら大群の気配がする冥府に放り込まれたと言うのは歓迎したい状況ではない。

 地獄へ降りた時に襲われた事などなかったのだが、どうやら煉獄は勝手が違う。俺の命の気配に引き寄せられたのか、咆哮やら足音を響かせながら怪しげな手合いが近付いて来ている。

 烙印の翼に異能を満たし、変成術で充分に強化した肉体を持ち、濃い魔素を吸い放題だと言うのに何が出るのかと怯えを隠せないと言うのは本当にしょうもないな。言いたかないが護衛もなく夜にふらついていい者ではないのだ、俺は。


「術の射程に入り次第、先制する」

「異議なし」

「支援しよう」


 友好的な接触には聞こえないからな。暗黒騎士にして大魔術師としての戦いをするしかあるまいよ。俺を餌だと思ったのなら高い代償を払うがいい。

 俺は呪文など唱えない。多段詠唱(ステアキャスト)した聖火を連打し、同時に多重詠唱(マルチキャスト)した元素術の最上級術と上級術が爆炎を産み出す。どこまでも灰色で生気のない煉獄から這い出て来た手合いはどうやら透けてはいない。白と青の篝火に照らし出された魔性どもに俺は安堵し、殺戮に着手した。

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