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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードと硝子の剣
121/502

120. アステールの仮面

 明白な問題の一つは俺が魂とは何か知らなさ過ぎる事だ。

 俺は狂神から祝福として超重篤な幽霊恐怖症を授けられてしまっている。発症すればレベル30のスライムである俺が現住種族のか弱いスライムよりもなお酷く弱体化する。だいたいは叫び声を上げるし、腰は砕け膝からは力が抜ける。頑健さ、意志力、魔素への高い抵抗力、毒や病気への耐性と言ったものが全て剥ぎ取られる。場所も状況もお構いなしだ。あまりに強い恐怖に晒されれば卒倒では済まずに冥府まで連れて行かれかねない。

 発動遅延(ディレイ)した多段詠唱(ステアキャスト)で恐怖除去を連打しながらでなければ考えたくもない事だが、死者の魂を扱う魔術は殆どが死霊術に分類される。俺は相当に強力な魔術師だと自負しているが、恐怖症を刺激されるせいで死霊術と精霊術は全く扱えない。数少ない例外は死霊術ではあるが退魔術の領分でもある、と言った複合術だ。


 これまでは恐怖症を喚起されるのが嫌で積極的には研究に取り組んで来なかった。だが俺はもはや魂について知らなさ過ぎるままではいられない。知らなくてはならない。何が魂を害し、どうすれば母の魂を守れるのか。祖母からの警告にはきっと意味がある。


 魂についての基礎的な講釈はダラルロートに頼んだ。


「魂についてですか。講釈であれば私が適切でしょうねえ。卒倒は可能な限り回避するよう内容を選びますが、何度かの中断はありましょう。ミラー様のお覚悟はよろしいか」

「……知らなけりゃならん事だ。イクタス・バーナバは俺の意識を保たせてはくれるし請えば直々に教えてもくれようが、あまり頼り過ぎる訳にはいかんのでな」

「そうね。もし神降ろしが過ぎるようなら中断しよう」


 俺の父は魔術師だが俺と同様に死霊術を扱えない。母は死霊術を扱えるものの地獄で邪神に習ったのは死者を亡者に変え、彷徨う亡者を支配下に組み込むと言った類の術が多いのだそうだ。


「講釈の席にはアステールを同席させて下さい」

「アステールをか?」

「ええ。そしてミラー様がお与えになった認識欺瞞の仮面は講釈の間、着用を禁じて下さい」

「仮面か。解った、そうさせよう」


 講釈を引き受けたダラルロートが要望して来たのはアステールの同席と認識欺瞞の仮面の着用禁止だった。俺が大儀式を行って製作したくすんだ白銀の仮面は、占術を極めた占術師からの最上級術による鑑定や探査さえも軽々と防ぐ。アステールの正体をなるべく隠してやる必要があったものだから渡した品だ。

 認識欺瞞は占術の一つで、偽りの認識や鑑定結果を与えて周囲を欺く。占術の達人であるダラルロートも常に認識欺瞞を纏っている。ダラルロート当人は帯と表現していたか。ミーセオの絹衣を留める帯のようなものだ、と。




「そんな訳で集まって貰ったって訳よ。ダラちゃんの講釈の間、アステールは仮面をミラーに預けてね」

「……了解した」


 召集した畳敷きのミーセオ風の会議室で、鏡の剣から響く父の声に応じたアステールが仮面を差し出して来た。俺が作ったアステールの仮面。だが亡国アガソスの公爵アステールは彼自身の仮面を持っている。便宜上、俺はやかましい御老公と温和なじいやと呼んでいる。今はじいや寄りだ。俺に見えている魚の目、イクタス・バーナバの注視はアステールに向けられている。

 余程の事がなければ温和な忍従の人だが、憎悪に満ちた目を見せた事もある。仮面を預かり、布に包み小箱に入れておく。絹布と木箱は俺が今創った。祖母に増殖と創造の異能を強化されてからと言うもの、何かを造りたいと言う衝動を感じている。物品の創造には小さな満足感がある。


「講釈に(かこつ)けてダラルロートが喧嘩を売っては来るだろうが、双方とも会議室で魔術の連打は勘弁してくれよ」

「そのような事は致しませんよ、ミラー様とは一緒にしないで頂きたい」

「そのような場にはなるまい」


 アステールの表情は硬い。軽く受け流したダラルロートは魔術の連打はしないだろうよ、だが腰には帯剣がある。必要だと思えば抜くだろうさ。会議室に来たアステールはアガソス貴族の衣装で、一見して丸腰ではある。アステールとダラルロートの間に妙な緊張感が漂う中、座卓を囲み座布団に座る俺達を前に一人立つダラルロートが魂について講釈を始めた。


「そもそも魂とは何か。魂の河で充分に洗われた魂は世界に生を受けるとされています。命は魂を内包しています。

 精神と魂は混同される事が多いですが、心術による精神支配を受けた者の魂は掌握されているのか? 答えは否です、心術によって操作できるのは魂を護る外殻としての精神に過ぎません。魂に接触し、根底からの掌握或いは防護を望むのならば死霊術の領分となります。究極的な対個人支配魔法は死霊術に属しています。ここまではよろしいですか、ミラー様」

「深層意識を操作できる心術よりも死霊術の方が更に高度なんだな?」

「その通りです。心術が操作するのはあくまでも精神であり、魂には触れておりません」


 気力を振り絞り、滲む脂汗を感じながらではあるが何とか耐える。俺が知りたい事を教わるにはまだほんの触りなのだ。


「魂は通常、肉体の容器である命と魂の外殻である精神によって傷付かぬように護られています。穏やかな生涯を終え、寿命を迎えて死した者の魂は通常であれば傷付いておりません。

 ミラー様は命喰らいの異能によって命を啜り、犠牲者の知識と経験を奪う事ができますが魂についてはどのように理解されていますか?」


 俺に喰われたダラルロートから同様に喰われたアステールを前にして問われるのは妙な心地がしたが、祖母に教えられたばかりなので簡単に答えられた。


「ダラルロートとアステールの魂は俺の中にあるが、傷付いてはいないのだろ。欠けのない魂を持っていると祖母に聞いた」

「我々の魂の総量については仰る通りです。ミラー様の精神に繋がれ、魂を保護する部屋を与えられているとでも申しましょうかねえ。ミラー様の中で魂を留めていない者、喰らわれた後に溶け消えた弱き命の魂の行方についてはどう認識されていますか?」


 む……? 考えた事がなかったな。どっちだ? 俺は消えた魂を喰ったのか、それとも魂だけはどこかへ行ったのか?


「……俺が喰ってなくなったのかどこかへ行ったのか、どっちなのか解らん」

「相応しい冥府に属する魂の河へと還ったのですよ、ミラー様。ミラー様の力の源泉である腐敗と堕落によって腐り溶かされた後に赴く冥府は地獄と呼ばれる領域でありましょうがね」

「そうだ。腐敗と堕落を経た魂は地獄へと送られる。生前の属性が悪ではなかった場合でも腐敗によって死せば地獄へと堕とされる」


 鏡の剣の中から感情を感じさせない声で母が答えた。地獄から蘇って来た暗黒騎士その人の言葉だ。アステールは黙って聞いているが、表情は険しい。


「お母君の事例の場合、地獄で充分に洗われ悪属性と狂属性に満たされたなら次の生を迎えるべく相応しい世界へと送り出されるはずだったのです。しかし生前に強者だった彼は地獄で相応しい神に祈り、魂を捧げてしまった。冥府における神との取引による現世への復活と言う事例は他にも存在するとされてはいますが、稀な事です」


 ダラルロートは別におかしな事は言っていない。俺の母は男性だ。父は俺と同様に無性だが男親を自称している。


「……本来、破滅しない限界まで神に捧げるなど無謀な事なのですよ。こうしてお話ししているのは奇跡に近い事例だとお考え下さい。

 魂を捧げる対象にもよりますが、強者から魂を捧げられれば神々は契約に応じる可能性があります。売るとなれば私の魂であれば随分と高値が付きましょうが、それでもアステールの魂の価値には及びません。何故だかお解かりですか、ミラー様」


 俺に振りながらもダラルロートはアステールの前に立ち、黒い瞳で冷たく見下ろしている。どうしてそう喧嘩腰なんだようちの大君は。


「……年の差?」

「魂を分割する事なく存在した年数、と言うのが正しい表現ですね。

 御年1歳でしかないと言うのに、明らかに複数回の分割を受けているミラー様の悲惨な魂の値打ちはこのままでは幾らにもなりますまい。ミラー様に多大な恩寵を注いだ腐敗の邪神、ミラー様が大母と呼ぶ存在との所有権争いを嫌がりもしましょうな。死後にミラー様が魂を洗われるのは狂った悪の領域である地獄、もしくは正しき悪の領域である煉獄です」


 1歳だけど俺、死んだら地獄か煉獄行きが確定なんだとさ。


「問題はねえよ。地獄なら俺は地獄の深海に行けた。ちと眩しかったが、気持ちいい所だったぞ。引き篭もるには最高だろうな」

「卿は地獄の深海にまで堕ちて帰還できたと言うのか?」

「そうだぞ」


 アステールが信じられないものを見る目で俺を凝視して来た。……そんなに妙な事を言ったのかな、俺。母の声が鏡の剣から響く。


「地獄の深海であれば大母の神域に近いはずだ。我が子に授けられた恩寵の強さに説明は付く。

 異能の奥底で地獄に直接繋がっているそなたは知るまいが、生きながらにして冥府に触れて力を引き出そうとする者は本来なら高い代償を支払わねばならない」

「冥府に接触する生者に要求される代償もまた魂です、ミラー様」

「そうよ、ミラー。君は地獄へタダで降りられる通行証をかーちゃんに貰っているようなもんよ」

「有り難い……のかねえ」


 首を傾げながら俺は軽く手を振り、飲みたくなった果汁を収めた容器と杯を創造した。味はいい。欲しいものは創ればいいのだ、と異能を介して常に囁かれている心地がする。俺が果汁を創ったのを見て父が念動力を操り茶の支度を始めた。


「ミラー様に死霊術の才能がない事は我々の世界にとっては幸いでしたねえ。地獄と直接接触できる死霊術師であったならばどれほどの規模の災害を引き起こせた事か。アディケオに臣下の礼を取って下さったとは思いません」

「婆ちゃんは本当に何を考えて俺をけしからぬ者どもに対する恐怖症になどしてくれたのだ……?」


 大母は異界の狂った悪の狂神であり悪神なのだから、サイ大師の術に支えられた正気で考えるだけ無駄なのかも知れんがね。何だよ、俺の噛み合わない才能は。暗黒騎士にして魔術師で代償なく地獄に接触できるが、お化け怖さに地獄の力を生かせてはいない。


「考えるだけ無駄よ、ミラー。だってかーちゃん、子を産む時に深く考えちゃいないもの。捧げ物を貪り喰らい、命を産み散らして歩く事そのものが目的と化してるのよ」

「私は捧げた魂に相応しいだけの力を授けて頂いた。強大な神の真意は我々に推し量れるものではないのだ、我が子よ」

「そうだな。俺は大母を一番に信仰しているよ」


 かーちゃんと呼び信仰心の薄い神子(みこ)たる父。敬虔な信仰を大母に捧げる暗黒騎士たる母。おそらく二人の言う事のどちらも間違ってはいないのだ。狂っているが故に神の解釈としては両立してしまう。


「強者の魂には捧げ物としての価値があり、分割される事があります。この点は既に分割を実践され、五分の二、五分の一、十分の一などと欠けた魂しかお持ちでないミラー様の御一家にはよく理解されている事でしょう」


 ダラルロートがアステールの前で長い指を突き付け嫌味を感じさせる声音で言えば、アステールはダラルロートへ静かな視線を向ける。


「師よ、悲惨なまでに残り少ない魂しかお持ちではない御一家を前にしてもまだ血迷った考えをお持ちですかねえ? 中途半端な欠けのある魂は魂を欲しがる性質の神々に狙われ易くなり、小さくなり過ぎた魂には完全性を保った者には無縁の脅威がある。

 理解していない訳ではありますまいに、四分の一では飽き足らないイクタス・バーナバに八分の一にまで引き裂かれて隷従する可能性に甘んじるのですか?」

「保留は継続している」


 魚の目を感じる。保留の継続を口にしたアステールを見るイクタス・バーナバの思念には密やかだが確かな喜色がある。


「魂を分割する事なく存在した年数とやらが長いといい事があるんだよな?」

「ええ。完全な魂を持ち、属性の一致した冥府で洗われた魂は次の生においてより高次の存在として受肉し易くなると言われておりますね。

 アステールの魂であれば、ミラー様と交渉或いは引き剥がしてでも完全な状態の魂を引き受けて己に近い冥府へと貰いたがる正神や善神は幾らでもおりましょう。狂った中庸の神と取引して引き裂かれようとなさるのは理解できかねますよ、本当に」

「分体を持たない間、儂の祈りが神に届く事はない」

「分体の支配時間を私から一刻も分配されておいて仰いますか。やろうと思えばとうにできている事をしていないだけだ」


 平時、俺はリンミの大君として執務するダラルロートに俺の分体を一つ預けている。一日のうち一刻だけはアステールに交代させ、仮面の着用を命じてはいるものの好きなように過ごさせている。ダラルロートが不機嫌さを隠そうともせずに言っているのは交代時間の事だ。魂についての講釈のはずが、ダラルロートはねちねちと言う。


「それともミラー様の手で腐敗と堕落の源泉へ沈められ、地獄へ堕ちる事に甘んじるおつもりなのですかねえ?」

「……儂の行いには相応しい冥府かもしれんぞ」

「やはり血迷ったままですねえ。

 ミラー様、隠れる(きみ)の御所で行う事になるであろうアディケオとの会談にアステールを同席させるのは反対致します。何を口走るか知れたものではない」

「はーい、みんなお茶よー」


 深刻げな空気を叩き斬る父の声が盆を浮かせて茶を運んで来た。懐から取り出した扇を閉じたまま言い、ダラルロートは父の淹れた茶を一口口にした。アステールの前にも茶が用意されたが、口にせずアステールは俺に視線を向けて来た。


「イクタス・バーナバが『アステールに関心がある事を忘れずにアディケオとの会談に臨め』と言って来てさ。

 アディケオからなんか言われるんじゃねえかと思うし、今回の俺はアディケオに魂洗いの秘儀を授けて欲しいと懇願せにゃならん立場だ。命じられれば拒み難い」


 俺は自作の果汁を啜る。甘くて俺好みだし、気力にいい刺激もある。我ながら上手いもんだ。変成術は元々得意だったが、祖母の力を注がれて創れるものが以前にも増してよくなったと思う。


「アガシアの事を考えるのもいいけどよ、アステール。

 俺はアガシアのクソ女が大嫌いだ。夏殺しのクソッタレがあんな真似したそもそも大本の原因はアガシアじゃねえかよ。渇愛に狂った愛人を放り出して善神面できるんだから四大属性なんざ当てにならんと思うぜ、俺は」


 アガシアが契印をアディケオに捧げられ、アガシアの恩寵を失った今でもなおアガシアへの祈りを捧げるアステールは反論して来ない。感情を押し殺した表情でじっと聞いている。


「俺は夏殺しだったエファを引き裂いた時に交わした契約を遵守せねばならん。約定したんだ、『エファが俺に仕える限りアステールは消滅させない』と。与えた自由時間に何をしようが消しはせんよ、だが……」

「イクタス・バーナバが魂を引き裂く事は、ミラー様がエファと交わした契約内容に抵触は致しませんからねえ。師のお覚悟はよろしいのか、と言う話ですよ」


 閉じた扇を手に粘着質な声を出していたダラルロートだが、認識欺瞞の上からでも解るほど不快げに眉を顰めた。口にしたのは唯一この場にいない五人目の名だ。


「エファ、私はアステールをいびりたいのでも(なぶ)りたいのでもない。

 私の部屋をあなたに開放した覚えはありませんよ」

「エファの干渉か!? 止せ、儂に案じられる価値などないのだ」


 アステールが血相を変え、ダラルロートに何かしたらしいエファに呼び掛けた。じいやは本当にエファには甘いな。ダラルロートが陰気な声で笑った。


「……なんでしたら直接にエファと話を致しますか、師よ? 何分にもイクタス・バーナバの双頭の印によって引き裂かれた魂ですので、意向を受けた言動をするでしょうがねえ。私を手酷く(なじ)ってくれた程度には師の身を案じてはおりますよ」

「あらやだ、ダラちゃんが怒ってる」

「アステールなりエファが話したいのならダラルロートと入れ替えてやるぞ」


 意思を問えばダラルロートが不快げに軽く首を振り、眉間に長い指を当てて暫く黙った。言葉にせず、何事かを精神の裡で話し合ったようだ。扇を懐に戻し、帯剣を外して脇へ遣った。


「師が直接受けるべき(なじ)りですよ、これは。我が主よ」


 俺としてもアステールの気持ちを聞き出しておきたくはある。182年も魂を欠かさずに生きた老公爵の相手は俺には荷が重いんだよ。聞き出すべき事を聞き出し切れなかった事は一度や二度ではなかった。

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