107. 狂魚神への捧げ物
「双頭の狂魚神イクタス・バーナバ。夏殺しの宿敵その人、僕のお友達のイクちゃんだよ」
父が言い放った単語に俺は少なからず衝撃を受けた。適当な父ではあるが、直接前線で戦っていた狂土エムブレポの土着神イクタス・バーナバその人と既に取引を終えた後だと言うのだ。不味い取引だった場合、アディケオに申し開きするのは俺だぞ!? イクタス・バーナバの神格としての属性は狂った中庸だとも知ってはいる。いるが、動揺はする。
「……なあ、父よ。取引には何を差し出したんだ?」
「イクちゃんが真に忠実なるイクタス・バーナバの信徒に望む定番の捧げ物さ、ミラー」
「神子よ、私が奪い返すべきものは何だ」
母など既にイクタス・バーナバの下へ殴り込んででも奪回する気でいるぞ。なんて頼もしいんだ。
「ミラーの中で分かれかけたミラーのうちの半分よ、お母さん」
「長距離転移で送れ! 私が始末を付けてくれる!」
怒鳴った母が闘気と瘴気を全身から開放する。堕落の闘気と腐敗の瘴気は俺にとっては親しみすら感じられるが、大君の館の建物と勤務するリンミニアンの精神にだいぶよろしくない。俺は防御結界を巡らせ、母がダラルロートに貰うであろう小言を減らしてやる。
「まあまあ、お母さん。エピスタタを殺る手順に必須だったと言えばミラーも同意はすると思うのよ。うちの子、ヤン・グァンにイクタス・バーナバが好む供物と子種を授かる為の知恵を借りようとまでしてたじゃない。悲痛な覚悟にお父さんも痺れたわ。親子で発想が同じなんだもの」
……なあ、父よ。俺はどんな顔して鏡の剣を見ればいいのだ。必須だと言うなら俺自身を売り払っても良い、とは思っていた事は否定せんよ。目的の為に肉体を化け物にくれてやったのは身に覚えのある事だ。今回は何を売ったんだ、俺は。母も気を収めてはくれたものの、まだ目と声に険がある。
「神子よ、私には相談してくれても良かったのではないか?」
「それが、ダメだったのよ。お母さんとダラちゃんとアステールは完全にミラーの下にいるから。お母さんに相談したら夏殺しに察知されてしまっただろう。ティリンスに長居するとエピスタタの持つティリンス全土に対する全知で察知されかねないしさ。
僕はダラちゃんから占術を借りて来て認識欺瞞を駆使し、夏殺しの目からは可能な限り隠れるようにしてはいたけどね」
父の言い草に俺は引っ掛かりを感じた。父は俺の下に母とダラルロートとアステールがいると言ったが、しれっと当人を除外したぞ? 父も俺の下にいるはずだが、完全に下ではない?
「僕は鏡の剣に宿っている。分体ではないが、ミラーとは別行動もできるように創ってある。宝珠に僅かばかり残った力を使い、ミラーに鏡の剣を打って貰った時からね」
鏡の剣の柄には父の言う銀の宝珠が静かに輝いている。特別な力のある術具だとは思っていたが、俺は詳しい事は知らない。産み落とされた直後から持っていた、両親から受け継いだ唯一つの遺品だとは認識していた。
「僕はミラーの意に反抗する事が少しならできる。子を叱れない親なんて子育てに失敗するのが目に見えていたからね……。でも、少しだ。僕は本来、世代交代を選択した時に消え去るはずのゆ……」
「言うな、神子よ」
母が鏡の剣を手に取り、優しげな手付きで柄の宝珠に触れている。俺は崩れ掛けていた膝を立て直す時間を与えられた。……発作は来ていたが、踏み止まったぞ。俺に寄り添ったダラルロートが沈静化の術を使ってくれたからだがな! 自力だったら卒倒まで行ったかもしれん。父がその手の―――
「ミラー様のお父君は我々と同様にミラー様の力の源泉であり分体の一つです、そうでしょう」
「ダラルロートの言う通りだ、そうだな神子よ? 我々の見解は同意に達する事ができるはずだ」
詠唱破棄されたダラルロートの心術干渉を感じ、記憶を弄っても良いと受け入れてやる。全く、俺もダラルロートに随分と気を許しているな。まあ、何らかの操作を受けたお陰で怯えは消えた。
「ああ、うん。そうよ。僕もミラーの分体さ。そう考えて貰っていい。
どこまで話したのだったか……そんな訳で、僕はミラーが愛の異能と言うか愛の小権能に操られている間も独自に動けたのよ。いやあ、備えって大事だよね」
「だが神子よ、そなたは一体何をイクタス・バーナバに引き渡したのだ?
『信徒に望む定番の捧げ物』で『ミラーの中で分かれかけたミラーのうちの半分』とは何だ? 私の神学の知識にはない」
母の言う通りだ。確実に何か不味いものを引き換えにしているぞ、俺の父は。
「イクタス・バーナバの分霊の見た目は頭が二つあって尾のない銀色のお魚なんだけど、ミラーは覚えてない? 夢の中で会ったはずよ」
「そんな妙な夢は全くただの一度も見た事がないと思うぞ、父よ」
「イクちゃんが宴席で出してくれたおつまみを美味しそうに食べてたよ」
「……身に覚えがない。ないので母とダラルロートはそんな目で俺を見てくれるな」
……俺は確かに美食を好むが、そこまで節操なしだろうか。アディケオを奉じる第三使徒としては一応、領土を巡って争う神敵ではないのか。
「イクタス・バーナバの第一の権能は夏。季節の大権能で、小権能は夏、密林、熱気、生育、促進、熱狂なんかだね。捧げ物は第二の権能、双頭の権能を分け与えられて作るんだ」
「異名が双頭の狂魚と言うからには双頭なのだろうが……」
母は父に続きを促す。碌でもない内容に眩暈がした。
「双頭の印を授けられた魂は二つに分かれようとする。イクタス・バーナバは片方を受け取って子供を産むのさ。引き裂かれた魂を糧にして生まれた存在はエムブレポの民を統率する王族になったり、イクタス・バーナバの使徒になる。引き渡したものはミラーの半分だ、生まれたらイクタス・バーナバの第一使徒になるんじゃない?」
「……なあ、父よ。そやつは俺の子なのか。それとも弟か何かか」
「子だね。エピスタタとの『神との間の子を成せ』って契約は既に果たされてるよ。エピスタタがイクタス・バーナバの子は嫌だとか言っても知るもんかい。アガシアでなくともよいと言ってくれたのはエピスタタ本人だ」
俺には既に、交わった覚えのない神との間に子供がいるそうだ。
……泣いていいかな。俺は初恋の女性のような可愛らしいスライムと番になりたい1歳でレベル28のハーフ コラプション スライムなのだが、既に頭が二つある銀色のお魚とやらの間で子持ちにされていた。
「ミラー様、気を強くお持ちになって下さい」
「……神に招かれて閨で奉仕するのは使徒にとって珍しい事ではないのだ、ミラー」
二人の優しさが今は胸に痛かった。
「……どんな顔してるんだろうな、俺の子」
俺に搾り出せた言葉はそれだけだった。




