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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードと夏殺し
106/502

105. アガシアの愛

「おっはよ、ミラー。ごきげんいかが? お夕飯は何がいいですか」


 その日、朝から鏡はえらく上機嫌に朝食の前から夕食に食べたいものは何かと訊ねて来た。聞き入れてくれるのならば鶏でも食うかなと思い、口を開く。


「朝食前から気が早いのではないか? だが、そうだな。詰まっていた疲労感が抜けた心地はする。鶏肉がいい。何を作るかは任せたい」

「はいはい、鏡にはお安い御用よ。おいしいの作ってあげる」


 思えば鏡と他愛無い会話をするのさえ久し振りではないのか。口答えしたアステールを殴り付けて殺してみたり、この所ずっと俺は怒り狂っていた記憶しかない。あやつはアガシアを奉じる正しき善なる者なのだから、中立にして中庸な上に腐敗の邪神と治水の君アディケオを奉じる俺とは意見が合わぬ事くらい承知していたであろうに。何分俺は1歳なので大目に見て欲しくはあるが、大人気なかったとは思う。せめて手加減はしてやるべきだった。



 鏡が用意してくれた朝食で肉体を目覚めさせてから着替える。人里離れた山中にある自宅からリンミの大君の館へ長距離転移で飛び、パラカレ城砦やリンミニア全域、或いはミーセオ帝国からの重要な報告や危急の連絡がないか報告させる。毎朝の務めだが、最近は怠りがちだったように思う。

 俺の私室で顔を合わせた大君ダラルロートは常に濃密な認識欺瞞を纏い本心を隠す男ではあるが、何やら気遣わしげな風情を隠さずに俺を見るので発言を促す。


「どうした、ダラルロート」

「ミラー様。今朝は御気分が幾らかよろしいようですが……」

「そうか。そうさな、仕事をする気にはなっているぞ。今朝は久し振りに父に何が食べたいか訊かれたから、夕食も楽しみだしな。なあ、父よ」

「献立は考え中だから楽しみにしてなさい。今晩はお母さんと一緒に食べたらいいよ」

「良かろう」

「おお、そりゃいいな」

「……今朝は随分と復調しておられますね」


 鏡の剣に呼び掛ければ父と母が機嫌よさげに応えてくれる。……ダラルロートが俺を観察する眼で見ているのは少々気味が悪いか。どうした、今日の俺は機嫌がいいぞ。

 エピスタタに対する殺意が衰えた訳でも、俺を相手に勝手をしてくれる夏殺しの餓鬼への不快感が消失した訳でもないがね。今日の俺は落ち着きを取り戻している。悪くない気分だった、ダラルロートと共にリンミに滞在させた悪魔の手先が俺の私室へ飛び込んで来るまでは。


「ミラー、ミラー!」


 大君の館に勤務する大半のリンミニアンやアステールにとっては人畜無害かつ愛らしい存在に見えているらしいが、俺にとっては真逆だ。アガシアの餓鬼、赤毛の悪魔の手先だ。対抗して魔術を行使しようとした俺は気付く。著しく不快だった忌々しい感覚がない? 今、俺は自分自身の意思で行動できている。昨日まではいいように操られていたのだ、と理解した俺は詠唱破棄(ノーキャスト)で収められる範囲内の魔力で扱える防御魔術を施して身を固める。意志及び魔素の抵抗力強化には特に念入りに魔力を分配した。


「ミラー。エファって呼んで」


 今、俺は自我を保てている。ダラルロートに視線をくれる。惚けても蕩かされてもいないまともな意志があるぞ、と伝わればそれでよい。口角が釣り上がるのを自覚できた。


「断る! 夏殺しはアステールに交代せよ!」


 命令を下し、両肩の烙印の力を借りて強行する。行ける、今日は俺の意志が通る! 忌々しくてならなかった手先がすんなりとアステールに変わった。そのまま多重に梱包するようにして意識の遥か下方へと幽閉する。俺がこうして確固たる自我を保っている以上、簡単には表出させんぞ!


「愛の異能の支配下を脱したか、ミラーソード」

「道理で久し振りにいい気分だと思ったよ。貴様、知っていたな?」


 アステールは知っていたのだろうからな。俺がつい昨日までは狂乱していた原因に違いないのだ。ダラルロートも知っていて口にできていなかったか?


「知っていたが、止める事はできなかった」

「貴様を最奥へ沈める前に理由くらいは訊いてやるぞ。ダラルロートも言いたい事があるなら言え」

「アガシアの血統は愛されねば存在できない為、より多くの存在に愛されようとします。特にと見込んだ個体には殊の外に強く執着致しますからねえ……」

「愛を乞われ続けた覚えはあろう。ミラーソードが支配下にあった間、我々にはどうにもならなかった」

「笑えねえ習性だな」


 俺が命喰らいのスライムなら、奴らは愛喰らいの化け物と言う訳だ。

 アガシア絡みの事ならアステールとダラルロートの二人に訊ねるに限る。何しろ二人とも元はアガシアの使徒だった。使徒としての生の最期まで仕え続けた者とアガソスの滅亡を悟り裏切った者、両方を揃えている俺が知り得ない事などそうあるものかよ。後は俺が聞く耳を持つかどうかだ。

 昼夜を問わず『愛して』と言っていた理由は奴にとっての食餌に過ぎなかったのだと思えば得心も行く。操られ、求められるままに愛していたであろう俺にも腹は立つがな。

 エピスタタの悪魔が手先を押し付けて来た理由は明らかだ。俺を根底から支配させてティリンスの奪回なりイクタス・バーナバ、或いはアディケオとの戦いに駆り立てる気だったな。やはりあの野郎には相当に過酷な報復をくれてやらねばならん。存在するのに愛が必要だと言うのは極めて重要な情報だ。


「アステール、俺も狂乱を抑え難くやり過ぎた。暗黒騎士としての全力で貴様を殺すなど、要らぬ苦痛を与えただけだっただろうに。アガシアの愛など碌なものではないな、アステールよ? 俺が貴様を殺すほど狂ったのは完全にあの悪魔の手先の仕業ではないか」

「……ミラーソード」

「なんだ? 異論があるならば聞いてやるぞ。俺自身の手で俺の分体を殺した事だけは多少、悔いていなくもないのでな」

「執務を邪魔立てしないようあれを抑制して頂いた借りがあるにはありますが、師へ手向ける善意は使い切っておりましてねえ。私が私でいられるならば、みすみす我が主への侮辱を看過は致しません」


 物言いたげなアステールに俺の横からダラルロートが牽制した。ダラルロートは相当な鬱憤を貯めていたようで、嬉々としてやりそうだ。今日のアステールは(あらが)おうとするだろうか。それとも、俺に殺された時のように無防備な死に甘んじるか。


「……エファは……卿を知らなさ過ぎた。あのような幼く未熟な精神でありながら上位の個体として我々全てを同化させた為に、人格の全てを把握し切れてはいなかった」

「ふん! 1歳でしかない俺や2歳の父はともかく、ダラルロートやら貴様は特に手強かったのではないか?」


 笑い飛ばし、会話を続ける。俺が怒りや不興を示せば今日はダラルロートが斬り掛かりかねん。


「奴の方が上位、な。今の所、幽閉できてはいるが」

「卿の一部もしくは大半から愛されなくなったエファは相当に力を弱めていた。儂は日に日にエファの心が病み、弱る姿を見て来た。言葉数は少なくなり、意思疎通も困難になりつつあった」

「あれか、アステールが俺の病み加減と失調振りよりもよほど悪魔の手先の精神状態を気遣っていたように聞こえるのは俺の耳が悪いのかね」


 ……どこまで我慢できるかは俺にも解らぬがな。アステールを傷付けようとすれば、アステール自身や俺の抑制を容易く破って悪魔の手先が飛び出して来かねなかったのが昨日までの状況だ。俺自身の肉体が俺の意志を裏切って操られ続けたあの忌々しい記憶が消える事は、この先生きている限り永遠にないだろう。あれをやらかされるのは本当に不快なのだ。力の源として保管されている人格が破損し、狂乱しかねない程には。


「ダラルロートよ、大君の館の勤務者及び奴に接触したリンミニアンからの記憶の抹消もしくは植え付けられた愛情の敵意への変更を行う精神操作処理には何日欲しい? 俺自身も術者に数えて良いぞ」

「操作の内容によりますが、我が主が自ら行われるならば短期間で完了可能かと」

「今すぐにでも着手したい。今日は夜も……いや、夕食の約束があった。夕刻前に自宅へ戻り、夕食後には戻って来て作業を再開しても良いぞ。悪魔の手先の餌場の駆除は最優先でやりたい」

「我が主の御意思であればそのように段取りましょう。記憶の消去よりは深層意識への憎悪と忌避の植え込みが適切と思われます」

「よかろう。エピスタタに対する憎悪と忌避感ならば尽きぬほど抱え込んでいる。俺から直々にリンミニアンどもに分け与えてやろう」


 俺は通常、陽の高い間しか自宅の外にはいない。夜間は俺の超重篤な恐怖症を刺激する手合いが出没し易いと思えばこそだ。生後1年ほどの間は太陽が天頂近くにある頃合にしか人里を出歩かなかったほどだ。だが俺はエピスタタを殺す努力の全てを惜しまない。夜間だろうと都市部に留まってやる。


「どうした、アステール? まだ言いたい事があるか」

「……いいや。儂は心術には通じていない。暗黒騎士殿に交代させた方がよいのではないかな」

「妥当だな。俺と両親とダラルロートの四人で精神支配するなら、儀式による広範囲化で一気にやっちまおう。俺の憎悪と忌避感を臣民にも共有させてやる。手を貸してくれるな、母よ?」

「憎悪がそなたの身を助くであろう、我が子よ」

「よし、アステールは母に代われ!」


 烙印の支援を受けてアステールに向け分体を支配する意識の交代を命じれば、実体を持った母が薄く笑った。今日は朝から調子がよかったが、母と視線を交わした今は特にいい気分だ。ああ、属性転向の試みやら、悪しき神々と狂える神々への祈りと言った努力が無駄ではなかったと思えるのは悪い気分ではない。今なら正しき神々や善なる神々であろうと礼を言ってやれる気分だ。


「何処の神の援けがあったにせよ、暗黒騎士ミラーソードから感謝の祈りと供物を捧げねばなるまいよ。俺の自力では対処できなかった。

 無論、俺を護り給うたであろう腐敗の邪神と治水の君アディケオには常にそうしている通りに深い謝辞を捧げるにしてもな」

「そのような日々の祈りと実践こそが敬虔な信仰を更に強めるのだ」

「ミラー様の苦しみを終わらせた神にはリンミの大君としても祈りを捧げなくてはなりませんねえ……そうでしょう、お父君も今日は同意頂けるのではないですか?」


 ダラルロートの黒い眼が俺が腰に佩く鏡の剣を視た。何やら確信を伴って。


「何よ、ダラちゃん。僕がミラーの味方でなかった事があったかい?」

「いえいえ、お父君のミラー様への愛情を疑ってはおりませんとも。現状は維持できるとお考えですか?」

「うん。ミラーもエピスタタに干渉されてる感覚はないよね?」

「ああ、今の所は(すこぶ)るすっきりした気分だぜ」


 父が何かした、のかね?

 俺には確信も関心もなかったが、今朝はいい気分でいられたよ。

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