103. 師と弟子と
「ダラルロートとアステールと言う組み合わせは珍しい気がするな」
煮え滾る憎悪を溜め込んでいると本当にどちらが正気で狂気なのか解らなくなる。中立にして中庸なんざ碌な属性ではないぞ。確固たる軸を信仰に求めるしかなくなる。ティリンス領の奪回作業は夏喰らいと名付けた専業のスライムにさせ、俺自身は憎悪を汲み上げては魔力に変える作業に従事している。
分体をダラルロートとアステールにしているのは魔力付与の都合だ。俺と父と分体一つの三人でやるより、俺と父と分体二つの四人でやる方が付与は確実に加速する。時間が足りないと言い訳をして怠け、装備を最善の状態にしなかった事を俺は本気で悔いているのだ。
「ハハハ!! 形になって来たのを感じられる術具製作はいい。進捗は順調で目標も明白だ、こうして見ると規則正しさとはいいものだと思うぜ本当に」
俺が連日魔力を注ぎ込んでいるのは、保管している人格の中ではおそらく母と俺にしか扱えぬ。戦槌と呼ぶには些か巨大な代物だ。俺は最優先作業を戦槌の完成に定め、身を焼く憎悪が命じるままに全力で打ち込んでいる。力の源が憎悪に偏り過ぎて少々恐ろしい外観になりつつあるがな。暗黒騎士にはさぞ似合う事だろう。手に取れば殺戮の為の道具の重量感が心地よい。俺の荒れた内面をほんの僅かにだか潤してくれる。
「……」
「……」
「なんだ、どうした二人とも」
束の間の事ではあったが、アステールが何らかの合図をしダラルロートも刹那のみではあったがアステールに応じていた。元は師弟だったとは言え、この二人は基本的に仲が良くないのだがな? いがみ合えとまでは言わぬが、沈黙を通しているのは何か隠し事でもされている気分になる。
「……ミラーソード、心身の失調に自覚はないのか?」
「ないはずがなかろう。俺が陽気な時はだいたい間食に食った煎餅の焼き加減がよろしくなくて激怒してるぞ、覚えとけ」
アステールが探るように問い掛けて来たので父を真似て適当に答えてやれば、ダラルロートが俺にそうと解る形で眉根を寄せる。
「ミラーソード様はお疲れなのですよ」
「こうして付与しているのは疲れの原因を殴り飛ばして地上から永遠に掃討してやる為だ。魔力付与が原因で疲労している訳ではない」
俺が言ってやるとアステールとダラルロートは二人で視線を交わし、自宅である琥珀の館での作業につき仮面を着けていないアステールは明らかに悲痛げな視線を俺に遣した。ダラルロートは認識欺瞞でよく解らんし興味もない。
「師が説得を試みれば激発される可能性が高いのですがねえ。私ではあれの支配権奪取にも勝てませんしねえ。全く、忌々しき事」
ああ、なんか知らんがダラルロートも怒ってはいるな。珍しく布張りの扇子など取り出して広げ、口許を隠している。『苛立っているぞ』と言う表明のミーセオの礼法だったと思う。
「ミラーソード、儂は責任を感じている」
「何に対してだ? 夏殺しを前にして盾となれず瞬殺された事か? 夏殺し相手に不利な契約を強いられた事か? それともアガシアの餓鬼に構って俺の精神の均衡を崩す手伝いばかりしている事か?」
「……それらの全てだ」
「アステールに耐えられないなら他の誰でも不可能だったろうよ。なあ、ダラルロートよ」
「ミラーソード様の仰る通りです。あの気配察知能力を前にしては師を用いるのが最善の選択だったでしょうからねえ……。忌々しいとしか言葉が出て来ない愚かな宦官めに御容赦を下さいませ」
「よい。あれはダラルロート向きの仕事でもアステール向きの仕事でもなかったのだ」
俺は手を振りながら言う。正気に見えるように気を張って。
「夏殺しは痕跡も記憶も記録も残さず必ず殺す。完全なる抹消で贖わせてくれる」
ああ、心の内から憎悪を絞り上げたと思っていても尽きる事なく湧き上がって来るものだな。付与を続行した方がいいだろうか。アステールとダラルロートは何も答えなかった。俺は構わず喋り続ける。
「アガシアと同じように呼び掛けられれば貴様が絆されて当然だ。しかもアステールは愛の異能をエファから受け取っているではないか。絆されるなとは言わぬ、ただ」
「……卿はどう感じている?」
「時折、全てを腐敗と堕落の奥底へ放逐してやりたくなるだけの話よ。生後からずっと感じている本能的な衝動の一部だ、最近は特に強いか。忌々しい」
まだまだ未完成の戦槌の重みを確かめる。こうしていないと俺がどちらなのか本当に解らなくなる。何もかも殺し尽くすだけの力が俺にあったなら直ちにそうしてやるものを。ダラルロートが忌々しいと言う訳だよ、全くの同感だ。
「師よ。お勧めしませんし、私が止めた事はお忘れになってくれるな」
ダラルロートの言葉にははっきりと強い棘が埋まっていた。牽制されてなお、アステールは俺を激昂させた。
「卿の今の力では諦めた方がいい」
「ダラルロート、戻って来い」
命じればダラルロートが一礼して俺に触れる。漆黒のスライムに戻った分体が俺と同化し、割いていた力を返して来る。……今の力、今の力か。
俺は魔術師として引き出していた力を源泉へ還し、母から暗黒騎士としての力を借りて来る。更に魔術師としての力を全て捨て、夏殺しの力で器の隙間を埋める。あまり相性のいい能力ではないが、こうする利点はある。
「貴様に耐えられたら聞いてやる、アステール。俺の第一の宿敵はアガシア、第二の宿敵は騎士ぞ!」
夏殺しが行う宿敵の宣言は厄介な事に重複し、効力を積み上げる。夏殺しエピスタタと戦った際、アステールと俺が一方的に殺された最大の理由だ。アガシアとアガシアの信奉者を第一の宿敵とした上で、騎士と宣告したので魔法騎士のアステールは第二の宿敵の対象にもなる。そして俺が振るうのは母が一切の防御を省みずに放つ暗黒騎士としての全力攻撃だ。止められる者がこの世にいるとすれば神々と第一使徒に類する存在のみ。
「エファ、ならん! 出ればミラーソードは……」
「死ね」
防御の構えさえ取らなかったアステールなど、暗黒騎士としての力を振るえば容易く叩き潰せた。自宅が揺れるのも構わず五度は殺せるだけの連打を叩き込んでやった。アステールは絶命した。確かに殺したのだが。
「ミラー、ダメだよ」
俺の口が俺自身を裏切り、俺を導管として愛の異能を発現させる。息絶えて正体を晒した俺の分体に命が吹き込まれ、ゆっくりと立ち上がる。姿はアステールではない。
「殺してやりたい」
「エファを愛して、ミラー」
俺は意識を保てなかった。ただ、完成の遠い戦槌にもっと大きな力を注がなくてはならないと怒りに震えた。
―――なんだ、これは。
正気付いた時、俺は掃除を怠りがちなはずの自宅の壁が随分と綺麗になっとるなと場違いな感想を抱いた。琥珀の館の中でも、ここは魔力付与に使っている部屋だ。中央には俺が分体と共に魔力付与を進めているはずの戦槌がある。
「ミラー、ミラー」
「何故、ここにいる? 分体も一体だけ、俺は暗黒騎士で夏殺し……」
エファに魔力付与を行うような能力はない。この部屋にいるのはおかしいし、そもそも俺自身の力の引き出し方がおかしい。暗黒騎士と夏殺しだと? 現状の俺に可能な中では最大限に物理攻撃に寄せた構成だ。魔術師でも魔法騎士でもないから自己鑑定もできんし……何があった? 魔術師主体の俺に戻り、占術で過去探査でもしようとした。
「だめ、ミラー。エファって呼んで。お願いだから、戻らないで」
「……エファ、別に俺はどうもせん」
戻るとは何の事だ……? 俺は嫌な気配が確信に変わりつつある気はしていた。