1. 夕食時
そろそろ食事を用意しようじゃないか、と同居人が言うので俺は慎ましい自宅の居間にいる。しかし何かしていないと落ち着けない性分でな。手持ち無沙汰な時間は苦手だ。
「ステータス」
呪文は必要ないのだが、敢えて口にして自己鑑定の占術を起動した。料理が食卓に並び出すまでの間、己自身を眺めて過ごす。
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偽名 : ミラー
年齢 : 0
属性 : 中立悪
種族 : スライム 分類 : 祝福されたハーフ コラプション スライム
レベル : 22*
クラス : 暗黒騎士2, 魔術師20*
状態 : 活性化
抵抗 : 頑健◎, 反応○, 意志◎, 魔素★.
武芸 : 戦槌開眼, 重装鎧熟練, 剣△, 槌○, 盾△, 水泳, 騎乗, 騎乗戦闘, 神威の一撃.
魔術 : 防衛的発動, 詠唱破棄, 触媒不要, 威力最大化, 範囲拡大, 範囲内対象任意選択, 請願契約, 多重詠唱, 多段詠唱, 輪唱, 前借発動, 発動遅延, 高速付与, 人形練成, 結界, 陣法, 大儀式, 魔力回路, 魔力解体, 超速魔素吸収, 呪詛返し, 低級魔法無効, 中級魔法発動阻害, 上級魔法抵抗力強化.
術適正 : 理力◎, 元素◎, 変成★★, 占術△, 召喚○, 神聖★, 暗黒★.
適正外 : 死霊術【恐怖】, 精霊【暴走】.
擬呪 : 理力◎, 変成★★, 神聖★, 暗黒★
異能 : 不老, 命喰らい, 腐敗, 邪視, 増殖, 堕落, 創造, 祝福, 無呼吸, 無視界.
耐性 : 斬撃, 刺突, 打撃, 腐敗, 毒, 酸, 病気, 精神, 魔素.
技能 : 家事★, 職工★, 工兵, 商業, 交渉, 威圧, 虚言, 真意看破, 潜伏, 柔軟, 脱出, 隠蔽, 監視, 支配, 拷問, 懲罰, 筆記, 速読, 礼法, 兵学, 魔法学★, 神学, 歴史, 錬金術, 調合.
弱点 : 幽霊恐怖症【超重篤】
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「何度見てもしみじみと弱点だけがどうにもならん感じだね、ミラー」
「本当にな」
同居人は覗き見が上手くてな。宙に浮いて軽口を叩く鏡の剣に応じながら、俺は自身の鑑定を維持している。考えたくない事は可能な限り考えない。さもないと狂気の淵まで連れて行かれてしまう。俺の弱点、その手のものへの恐怖症は酷いとしか言えない。世俗から遠く離れた山に庵を結んでなお、恐れを拭い去れてはいない。
「素直に変成術師として慎ましく生きようじゃないか。何でも作ってあげられるよ?」
「作るのは俺だがな」
「まあね。でも手伝うよ、ミラー」
初めて意識を持った直後の混乱を抜け出した俺は、辿り着いた人里で指先ほどの大きさの銀の宝珠を柄に嵌め込んだ剣を一振り打った。魔力を籠めてやった剣そのものは鏡のような刀身に仕上がったが、いざ喋り出した鏡の剣は相当に人格が捻じ曲がっていた。俺と違って軽妙とも軽薄とも付かない喋り方をするが、不思議と他人の気はしない。気の狂いそうな記憶の混乱の中、話し相手にと創造したからだろうか。俺の鏡でしかないらしい。人里で名がないのは不自然に思い、鏡に映る俺自身もミラーと名乗っている。
実の所、俺が扱いに熟練している武器は剣ではなく槌だと思い出したのは作ってしまった後だった。「粗忽者ぶりは元になった二匹のうちどちらの責任なのか」は鏡と三日三晩論じた挙句「どう言い繕ってもどうせ俺のせい」と言う事になった。徒労だった。
視線をやれば、厨房を食材や食器がくるくると忙しなく飛び回っている。俺一人分の食事の用意にしては大仰だと毎日思う。
「特に変化はないな?」
「ないよ、ミラー。もうミラーは簡単に成長するレベルじゃないからね。
ただね、言わせてもらえば戦士として生きるのは諦めてくれた方がいいと思うね」
「……本来、魔術は得手ではない」
「どこからどう見ても立派な大魔術師様が何を言ってるんだい。レベル20だぞ、レベル20。
ちょっと睨んでぴゃーっと魔力を描き直したらどーん、でいいんだよ?
君に解らない部分はこの忠実な鏡がフォローしますよって。任せてくれなさい」
「その軽さが不安だ」
こてりと鏡の剣が傍らで転び、すぐに自ら自立する。誰に似たのか考えるまでもない軽薄さだ。もう良かろうと自己鑑定を打ち切る。
「ひどいなあ。家事万能、市民生活全能な君の鏡は君だけの味方だよ。
何しろ君がそうあれかしと創ったんだ。違うまいミラー? こら、返事は? 無視するなら配膳しないぞ。
今晩の主菜は鹿肉のソテーのベリーソース添え、鹿肉団子と大根のシチューだよ。どうだい、旨そうだろう」
「そうだな。匂いは悪くない」
飯炊きの湯気が芳しい肉の香気を運んで来る。鏡は恐ろしい凝り性で、鏡的には失敗作判定の食事に「悪くないのではないか」と失言した日には完全に臍を曲げる。匂いしか嗅がされていない段階で味について言及するのは御法度である。掴み切れない己自身の力の扱いを助ける為に創造したはずが、どうしてこんな料理好きの世話焼きになったのか。俺には本当に解らない。
「お飲み物はどうしましょうね?」
「蜂蜜酒が合うようならそれで」
「好きだよね、蜂蜜酒。いいよ。次の樽も仕込まないといけないね」
野葡萄を摘んで醸した葡萄酒と変成術で仕込んだ蜂蜜酒の二択ではあるのだが、正解がある場合に誤答すると鏡が拗ねてしまう。「君が修めた技能を使っているだけだぞ」と鏡は言うが、奇妙な事に俺が用意する料理はそれほど味が良くならず品数も減る。俺の意識下では飯炊きの技量と魔術師としての研鑽のどちらも上手く引き出せていない。肉体は戦士としての戦い方を覚えているが、鏡は「今更物理に路線変更は遅いんじゃない」とにべもない。
「ミラー、仕上げの胡椒をちょっとだけちょうだいな。黒いのがいい」
「ん」
変成術の要望を出され、俺は意識を集中する。本来なら集中すら不要な技量だと言うが、俺には手順が必要だ。殊、変成術に関しては呪文など唱えようものなら鏡が血相を変えた声音で「何たる劣化! 堕落だ! 離婚だあ!」などと騒ぎ出すので口にできない。俺は鏡と結婚した覚えはないのだがな。
創造した挽き黒胡椒の出来は問題ないと思うものの、掌の上から念動力の手で取られるに任せる。俺が目分量で胡椒を振れば鏡は確実に機嫌を損ねる。「その手に触りたかったのに」などと言い出すのは本当に理解できない。理力術だぞ? 鏡本人は俺の傍にいて、念動力の手を器用かつ縦横に振るっているのだろうに。余った黒胡椒はすいと差し出された布の上に移してやる。
こうして俺に魔術師としての訓練をさせているのだ、とは理解している。もどかしいほど進歩は遅く、自己鑑定を信じるならばとうに登極しているはずの魔術の頂きはあまりにも遠く思える。
「鏡よ、俺は暗黒騎士なんだ」
「諦めてくれた方が手早く幸せになれるよ、ミラー。
ま、用意ができたから召し上がってね、暗黒騎士様?」
準備万端整えられた食卓を前に、喜色も露に促す鏡の剣。
鏡のような刀身に映るのは妖怪ではなく人間型の男。金銀混淆の髪の下で青の両眼は安らいで見えた。
「お夕飯を用意したのは鏡だよね?」
「……有難く頂くとしよう」
「よろしい」
小言の多い鏡に謝辞を述べ、俺は湯気の立ち昇る夕食にありついた。