アイドル地獄変/試作品
(どうしよう)
端母戸ミユキ(はしもと・みゆき 十六歳 高校生)はため息を吐いた。
学校が終わり、これから彼女が所属してる事務所に向かう事になる。
正確には、事務所が契約してる練習場に。
そこで運動・発声などの基礎練習をする事になる。
この二年ほど、こんな事を繰り返してきた。
しかし。
(このままじゃ……)
それで何がどうなったかというと、大きく何かが変わったわけではない。
技術の方はそれなりに上達した。
素人よりは上手にこなせるものもある。
あるが、しかし。
あくまで素人よりは、である。
本当に才能のある者や、より努力を重ねた者達に比べればそれほどではない。
そんな者達の中で評価するならば、ミユキは中の下が良いところである。
つまりは、平均以下。
それでも何とか活動を続け、それなりに仕事が回ってくるようにはなったが。
(でもねえ……)
地方都市のドサ周りばかりだとさすがに気が滅入ってくる。
こういう所から初めて、仕事を確実にとっていく、というのは分かっているが。
それが今以上の待遇を呼び込むかというと、そうでないのも確かだった。
このままやっても、大した事も出来ずに終わるだろう。
ため息が出る。
(せっかく、アイドルなのに)
アイドルと言っても千差万別である。
名前が売れ、顔が売れ、CDが売れ、ライブやコンサートのチケットが売れ。
そんな者は一握りでしかない。
アイドルになりたいと思う者は山ほどいて、そのうち事務所に所属できる者が千分の一か万分の一。
そこから更に人気が出て売れる者は更に少ない。
毎年多くの女の子が事務所に所属し、人知れず消えていく。
ミユキも、そんな立場の一人だった。
運は少しは良かったと思う。
何はともあれ事務所に所属はしてるのだから。
だが、事務所も上から下まで千差万別。
どうやって成り立ってるのか分からないような小さな事務所もある。
ミユキがいるのはそんな所である。
力もなければ人脈もなく金だってない。
そんなところが所属してる芸能人を売り出す事ができるわけもない。
社長(兼その他諸々兼務)はがんばってくれている。
人柄だって悪くはない。
無能とは言わないまでも、それなりに仕事はがんばってくれている…………はずだった。
仕事の能力の有無など社会経験のほとんどないミユキに分かるはずもないが。
それでも、社長の力に限界があるのも今では理解していた。
どれほど有能でも一人では出来る範囲が限られる。
また、能力があっても、それを用いる道具がなければどうしようもない。
人脈と金は、能力を有効活用するための道具である。
それが無いのだからどうしようもない。
事務所を存続させる程度には持ってるのだろうが、それ以上に押し上げるには足りないのだろう。
何とか仕事をとってくるだけでも御の字と言うべきなのかもしれない。
(けどなあ)
それで納得出来るかというと、そういうわけでもないが。
(何のためにやってるんだか)
夢なのは分かっている。
現実が厳しい事も。
世間的には子供と言われる年齢であるが、いい加減そこにくくられるような範疇でもない。
実体験はまだ少ないが、世の中が、社会が厳しい事くらいは想像はできる。
二年間の事務所所属とそれにまつわる仕事の現場をいくつか見て、それを体感した事もある。
思い通りにいく事は何一つない。
それでもだ。
(私だって…………)
人のまばらな商店街の中で、笑顔を顔に貼り付け、声をあげるためだけにこんな事をしてるのではない。
人がほとんどいないライブハウスのステージに上がるためだけにこんな事をしてるのではない。
テレビで歌い、ラジオに呼ばれ、何千何万の観客の前で歌う。
そんな事を夢見てここにいるのだ。
ミユキとて自分の事を過剰に見積もってるわけではない。
顔はクラスの中では一番か二番、学年でも上位に入るとは思ってる。
歌も踊りもそれなりに出来る。
少なくとも、学校の中ではかなり上位に入るだろうという自負はある。
誇張や希望による期待感を全く入れずに分析して出した結論として。
だが、あくまで学校で上位に入るというだけである。
都心から結構離れた所にある、全校生徒600人程度の中での話だ。
それくらいの人間なら芸能界にごろごろいる。
むしろ底辺と言ってよいかもしれない。
アイドルのトップにいるのは、数千人や数万人に一人といった逸材だ。
さもなければ、事務所などの後ろ盾が強力な者がのしあがる。
綺麗事などどこにもない。
厳然たる実力や、社会的な力が必要なのだ。
それをもってしても売れない者は確かにいる。
しかし、それらが無いのに売れる者は皆無と言ってよい。
「駄目よね…………」
ぼそっ、と呟く。
何かがミユキの中ではじけた。
何かがミユキの中で生まれた。
「このままじゃ…………」
その先は口にしない。
言わなくても分かっている。
いずれ大した事も出来ずに芸能界から消えていく。
誰の話題にものぼらず、誰にも気にかけられず。
現に、こうして町を歩いていても、誰も気にもとめない。
その程度の、いるとすら認識されてない存在。
それが今のミユキなのだ。
(このままで、いいわけないじゃない)
ふつふつと、何かがこみ上げてくる。
それは、夢にあこがれていた時に抱いた想いとは違う。
それとは正反対の、ドロドロとして、どこか陰湿な何かだった。
(絶対に…………)
今までブレていた何かが一つにまとまっていこうとする。
様々な思い、願い、希望、願望、夢が。
ありとあらゆる、無念、悔しさ、絶望、哀惜が。
正と負の感情の全てが、決して相容れないはずのそれらが。
今、ミユキの中で一つになろうとしていた。
一つの方向性を生み出し、それに向かって突き進もうとする。
(こんな所じゃ終わらない)
明確な意志がはっきりとした事で、ミユキの中に様々な考えが浮かんできた。
すぐさまミユキは最寄りのコンビニに入り、必要な物を買う。
それから駅まで向かい、電車に乗る。
乗ってから、わきめもふらずに思いついた事を書いていく。
事務所の最寄り駅に到着すれば、改札を出てすぐの喫茶店へ。
全国展開してるその店で、最も安いものを一つ頼み、席に向かう。
それからコンビニで買い、電車の中で考えを書き込み続けていたメモ帳に更に考えを書き込んでいく。
学校の勉強でも塾での補修でも見せたことのない程の集中力を用いて、ありったけの考えを記していく。
書きながらそれらを整理し、まとめ、また分解して再構築する。
メモ帳はすぐにいっぱいになってしまった。
やむなく店を出てコンビニに。
再びメモ帳を買い込む。
今度は何冊も。
消しゴム、シャープペンの芯もついでに買って、先ほどとは別の店に。
空いてる席につくと、同じように考えをまとめていった。
二時間後。
何とか考えをまとめたミユキは、あらためて事務所に向かう。
前もって遅れてしまう事は伝えておいたので問題はない。
そもそも、練習以外にやる事もない。
仕事が来ることはまず滅多にないから考える必要もない。
だが。
もっと重要な事がある。
(社長は……いるわよね?)
遅れる事を伝えた時に、事務所唯一の事務員に聞いたところでは、夕方を過ぎれば帰ってくると言っていた。
ならば、そろそろ事務所に到着してるはず。
その時が勝負だった。
(まず社長を……)
説き伏せねばならない。
もちろん相手も大人だ。
十代半ばの小娘がどうにかできるとは思ってない。
それでも、まずは意志を伝えねばどうにもならない。
(やらなきゃ…………!)
こんな所で終わらないために。
終わるにすても、今よりはマシな所で終わるために。
そのために、するべき事を社長に叩きつけようと思っていた。
事務所のあるボロいビルに入り、よく動いてるなと感心するエレベーターに乗る。
その間に深呼吸。
気持ちを落ち着かせる。
(まずは……)
頭の中で、考えをまとめていく。
まず、自分がどうしたいのか?
────売れたい。
単純にそれだけだった。
今のまま、仕事もろくになく、何をしてるのか分からないひょうな状況を続けたくはない。
そのためにどうするのか?
────事務所はうつらない。
社長次第でもあるが、ミユキに辞めるつもりはこれっぽっちもない。
他の事務所に移籍ができるならともかく、そんな宛はこれっぽっちもない。
移ったところで今より待遇がいいとも限らない。
同じような弱小の所に移っても、境遇は今とかわらない。
むしろ、途中で入ってきたという事で更に悲惨な扱いになるかもしれない。
大手にいけば違ってくるのだろうが、大手がミユキ程度の人間をあえて引っ張る事もないだろう。
なお、この業界、大手以外は基本的に弱小である。
間に中堅は存在しない。
そんな状況で何ができるのか?
────分からない。
まずはこれに尽きる。
どう頭をひねっても、土台となる情報や知識がないミユキに分かるわけがない。
だが、だからこそ思った。
────開き直る。
今の状況が変わらないなら、それはそれで仕方ない。
だが、何もしないでこのままでいるのも、もう止めようと思った。
────どうせ売れないなら。
────ならば、好き勝手やってやろう。
でなければ今のまま何も変わらない。
変わらないままでいいなら、何も努力しないでもよい。
アイドルにこだわる必要などこれっぽっちもない。
さっさと辞めてしまえばよい。
しかし、その選択肢はミユキにはなかった。
売れるようになってやる…………そんの思いは決して揺らぐことはなかった。
────ならば周りを動かさないと。
周りに合わせるのではなく、自分のやりたいことのために周りを動かさないと。
でなければ何も変わらない。
今の状況の中では、今の状況の中で行動しなくてはならない。
いつまで経っても、今より少しは良いかもしれない所で留まってしまう。
ミユキが求めているのは、更に高い所なのだ。
そこに行くためにも、このままではどうしようもない。
────あるいは、更に高い所を作るために。
場所がなければ作るしかない。
簡単な事だとは思わない。
だが、自分たちが輝ける場所がないなら、自分で用意するしかない。
でなければ誰が用意してくれるのか?
(やってやる)
気持ちは固まった。
迷いはない。
ただし、絶対にやってはいけない一線だけは守ろうと思った。
人として決して踏み外してはいけない部分を。
この世界にいて見聞きしてきた、汚い部分。
そこには踏み込まないように。
それも守らなければ、のし上がっていく意味や意義がない。
明確な理由はないが、ミユキにもそれだけ決して曲げてはならない何かだとはっきり自覚できていた。
それらを確かめた上で、エレベーターから下りる。
目の前には、事務所の名前を記したプレート付きの扉がある。
もう見慣れた場所である。
だが、気持ちをあらたにしたミユキは、深呼吸を何度もしてから手をかける。
踏み出したらもう戻れない。
戻ってはいけない。
ここで一歩を踏み出せなかったら、何も変わらない。
今まで通りの毎日になってしまう。
(そんなの、絶対に駄目!)
もう戻らないと決めた。
今まで通りなんて絶対に認められない。
だから、気持ちを固める。
自然と表情が引き締まる。
ドアノブを回して扉を開いた時には、もう余計な事は考えていなかった。
「おはようございます」
挨拶をしつつ事務所を見渡す。
社長の姿を見つけてそちらに向かっていく。
「社長」
考えるより先に言葉が出る。
「お時間よろしいでしょうか?」
自分でも驚くほど滑らかに出た。
その言葉に社長が驚いた顔をしてる。
「どうしたんだ?」
いつもと違うミユキの雰囲気に何か感じ取ったのだろう。
驚きながらもミユキの目を見据えている。
それを見てミユキは、自分が本当に引き返せない所に踏み込んだのだと感じた。
(売れてやる)
その意気込みだけを胸に、ミユキは自分の倍は生きてる社長との対談に臨む。
何をすればいいのかは全く考えてない。
だが、不思議と混乱したりもしない。
自然と何かが出てくるという根拠のない自身がある。
それを頼りに、ミユキは社長に自分の思いを打ち明けていった。
というような話を考えてみた。
実際に出来るかどうかは分からないけど。
まずは短編として、「こんなのを考えてます」と示してみようかと。
興味湧いたら、応援よろしく。