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Cause/理由

 何だかなあ、と思う。

 最初はやる気があるのかと思っていた。一応、立候補だったし。

「小野っちょ、帰って良い?」

 良いワケないだろ! そう怒鳴りたい気持ちをぐっと抑えて、私は冷静に言葉を紡ぐ。

「長嶺、まだ終わってないっしょ?」

 連休前の放課後は、どこか浮かれた空気に包まれていた。窓の外から聞こえてくる、楽しげな喧騒のせいだと思う。

 だからもちろん、帰りたい気持ちは判るのだ。私だって、帰れるものなら帰りたいし。

「めんどいんだな、学級委員って」

 自ら名乗り出たはずの長嶺は、不満げに愚痴を漏らした。

「じゃあ何で立候補したの?」

 長嶺を見ていると苛々する。やる気はないし、適当だし。

「何でだっていいだろ?」

 理不尽に怒るし。そのくせ、先生の前では良い子振るし。

 今もそうだ。連休前にまとめなければいけないアンケートを、長嶺は見ているだけ。ちっとも私の手伝いをしようとしていない。

 私たちしかいない教室内に響くようわざとらしく音を立て、私はプリントの束を整えた。

「じゃあ手伝いなさい、副委員長」

 この束を名前順に並べ替える。ただそれだけのことなのに、何故だかちっとも進みやしない。

「うるせえよ小野っちょ」

 長嶺は机に突っ伏すと、まるで駄々をこねる子供のように耳を塞いだ。

 小野っちょ。私はこの珍妙なあだ名が嫌いだ。小動物みたいで、私の背の低さを揶揄しているようにすら感じる。小野委員長、略して小野っちょ、らしいけれど。

 言い出しっぺは、私の前でひたすら駄々をこねている馬鹿。

「いいからやりなさいよ。早く帰りたいのは私も同じなんだから」

 本当に。やる気がないなら初めから立候補なんてしなければ良かったのに。

 だいたい私は長嶺みたいなタイプは嫌いなのだ。いい加減で適当で口先ばかりでやる気がなくて。

「ああもう!」

 悪口雑言ばかりが頭に浮かぶ。私は思わず、手にしていたプリントの束に力を込めていた。と同時に、嫌な感覚が指先を襲う。

「小野っちょ、何してんの?」

 机に突っ伏したまま視線だけを私の手元に移し、長嶺が呟く。腹立たしいことに、口元がかすかに緩んでいる。

「うるさい。あんたが手伝わないからよ」

 責任転嫁も甚だしい。けれど、端の破れた数枚のプリントたちは、そんなことで元に戻るはずもなく。

「小野っちょが勝手にやったんだろ?」

 読めないことはないけれど明らかにぐちゃぐちゃになっているそれらの束を、副委員長とは名ばかりの馬鹿に手渡し。

「長嶺がやりなさいよ」

 私は職員室にいるはずの担任を呼びに行こうとした。

 けれど。私が教室の扉に手をかけるより前に、長嶺が立ち上がっていた。

「カトちゃんなら俺が呼んでくる」

 長嶺はいつもそうだ。カトちゃんに用事があるときだけは、はつらつとしてやる気を感じさせる。何だろう、この豹変ぶりは。

 そんなに内申が大事かよ? 私は苛立つし、益々もって長嶺が嫌いになる。

「今日は私が行くから」

 あんたはプリント束を片していなさい。思い通りにさせてたまるか。私は有無を言わせぬよう長嶺を睨み付け、廊下へと歩みを進める。

 街を彩る花が桜からつつじに変化したように、季節は夏に向けて確実に移ろっていく。開きっぱなしていた窓から吹き込む風が、ほのかに湿り気を帯び始めていた。

 連休が開けたら、夏がまた一歩近付いてくる。

「カトちゃ……加藤先生、います?」

 私の嫌いな夏が、近付いてくる。

 職員室前で鉢合わせしてしまった社会科の角田先生に、いかにも学級委員です、といった態度を取り繕い尋ねてみた。

 私の心の内を見透かしたように、角田先生は静かに答える。

「加藤先生? 英語準備室だと思うよ」

 カトちゃんと言いかけたことに気付いた様子だったけれど、そのことについて特には言及しようとしない。正直、ちょっとだけほっとした。

 三十代半ばの独身男で少しばかり陰気な印象も受ける角田先生は、それでも先生としては問題のない人で。せっかくの中学三年生で、担任にならなくて良かったとは思うけれど。

「ありがとうございます」

 思ってもいない礼の言葉と共に軽く頭を下げると、私はそのまま英語準備室へと向かった。

 放課後の校内は、部活動に勤しむ生徒の喧騒が遠くから聞こえてくるだけで、至って平穏。窓から見下ろすと、校庭ではソフト部が練習に励んでいた。

 運動なんて、しなくて良いのならしたくない。私には、わざわざ部活に入ってまで身体を動かす人たちの気が知れない。

 だいたい元からの才能に左右されるような教科を勉学に並べて評価すること自体が、私には納得がいかないのだ。

 学問なら努力でどうにかなる。運動や音楽なんて、努力ではどうにもならない。いくら練習をしたって、元から足が速い人には敵わない。どんなに練習をしたって、音痴はいつまでも音痴のまま。そんなの、判りきっているじゃないか。

 ぐだぐだとそんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか英語準備室の近くまで来ていた。

「カトちゃん、いる?」

 扉を軽くノックし、答えを聞く前に手をかける。すうっと扉をひくと、部屋の奥の窓から外を眺め、電話をしている加藤先生が目に入った。

 先生は私に気付くと左手のスマートフォンを慌てて隠し、何ごともなかったかのように口を開き。

「終わったの?」

 いかにもわざとらしい行動。私はにやける頬を両手で押さえながら、先生を見据えた。

「誰ですか?」

 思春期特有の勘というか、何でも恋愛に結びつけようとしているだけというか。私は疑問を口にしながら、電話の相手が先生の恋人ではないかと考えていた。

「関係ないでしょ?」

 妙に慌てた様子から、私の勘は正しいと確信する。根拠は、ないけれど。

「ねえ、カレシ?」

 カトちゃんは結構美人だし、若いし、恋人がいない方がおかしい気がする。もちろん、ただの直感だけれど。

 にやける頬を解放し、先生の左手首をぐっと握った。これで誤魔化しが利くまい。

「何が?」

 スマートフォンの画面を見ると、既に通話は終えているらしく、待ち受け画面が映し出されている。残念。すでに証拠は隠滅されていた。けれど。

「とぼけても無駄っすよ?」

 待ち受け画面は、カトちゃんと誰かの写真だった。カトちゃんより少し若いかもしれないし、カトちゃんと同い年かもしれない男性が、満面の笑みで映っている。

「そんなことより小野さん」

 先生らしい口調で仕切り直そうとする加藤先生の言葉を制し、私は話を続けた。

「良いんですか? 先生は学校でスマホ使って」

 私たち生徒は、携帯電話やスマートフォンなどの持ち込みを禁止されている。もっとも、校則を守っている人の方が少ないけれど。

「使ってないわよ」

 言いながらも視線はスマートフォンに釘付けになっている。誤魔化せていると思っているのだろうか。

 私は口元の緩みが益々増していくのが判ったが、抑える気は既に失っていた。

「それ、カレシ?」

 他人の恋バナは、嫌いじゃない。けれど自分のことは決して話す気にはなれない。話したいとも思わない。

「……内緒ね」

 人差し指を立て、観念した様子で、カトちゃんは口を開いた。

「今度の春にね、結婚するの」

 今日は彼の仕事が休みだから、会場に手続きに行って貰っていたの。先生は幸せそうな笑みを浮かべ、続ける。

「その報告ってわけ」

「マジで?」

 思わず大声で叫んでしまったけれど、これは私のせいではない。誰だって唐突にこんな話を聞かされたなら、叫ばないはずがないだろう。

 廊下に声が洩れているような気もしたが、私は目の前に転がる魅力的な話題に夢中で、気に留めることなんてしない。

 やっぱり先生は大人だな、なんて若干的外れな考えを巡らせ、要件のことなどすっかり忘れかけていた。

「どんな人なんですか?」

「どんな人なのかしらね」

 芸能リポーターよろしく、私の口は止まらない。けれど。

「どこで出会ったんですか?」

「さあ、どこでだったかしら」

 さっぱり情報が引き出せない。ひょっとして。

「何歳? 名前は?」

「それ以上は、秘密」

 カトちゃんは私の興味を逸らすために、この話を振っただけなのかもしれない。私は大人のやり口に、不覚にも嵌っていたらしい。

 今更スマートフォンの話題に戻るわけにもいかず、私は少しだけ粘ってはみたものの、仕方なく要件を口にした。

 我ながら、要件を思い出せたことが偉いと思う。

「ごめんね、球技大会のアンケートまとめさせちゃって」

 個人情報保護法やら何やらで、本当はアウトなんじゃないかという気もしなくもないけれど、これも学級委員の仕事の一環なんだと、私は考える。

「長嶺さえちゃんとしてくれればもっと楽なのに」

 任せられることは、嫌いじゃない。

 本当は、私は生徒会に入りたかった。過去形なのは、選挙で落ちたからとかそういう理由ではなく。

「やる気はあるっぽいんだけど。島本くんたちにのせられちゃったのかしらね?」

 うちの中学は、生徒会役員同士では同じクラスにはなれない。一年のときに書記として入った生徒会で、山口にさえ出会わなければ、今頃は。

「ないっすよ全然、やる気なんて」

 辞めたのは私の勝手だ。卒業の年に一緒のクラスになりたいなんて、偶然にかけてみたりして。

「長嶺、本当にうざい」

 結局、偶然なんて叶わなかったくせに。

「こら、うざいとか言っちゃ駄目よ」

 結局、距離が開いただけのくせに。廊下ですれ違っても、大した会話が出来なくなっただけのくせに。

「だってうざいもん」

 未練がましい。私は、自ら手離した全てを、取り戻したくて仕方がないのだ。今更。

「中学生くらいのときはね、女の子の方が大人なのよ」

 学級委員になれば、少しは近付ける気がした。頼られる私になれば、山口も頼ってくれる気がしていた。

「だったらやっぱりうざいんじゃん」

 全く無意味なくせに、戻ることが出来るような錯覚をしていた。

「女の子なんだからそういう言葉使いはしないの」

 戻れない原因を、全て長嶺のせいにして。

「はーい」

 責任転嫁も甚だしい。私は、自分に対する苛立ちを、長嶺にぶつけていただけなのだ。

 教室に戻る道すがら、部活終わりの元気な同級生たちとすれ違う。ほんのり漂う汗と制汗剤の混ざった香りが、大人のいう青春の匂いなのだろう。

 私には無縁な、青春の。

「こら長嶺!」

 教室の扉を勢いよく開きながら、副委員長の名を叫ぶ。けれど、そこに長嶺の姿はなかった。

 代わりにあったのは、整えられセロハンテープによる補強をされた、プリントの束。置いてあるはずの鞄も、机の脇にはかかっていない。

 勝手に、仕事はとりあえず終わらせてから、帰ったのかもしれない。

「きちんと文句言って貰おうと思ってたのに」

 プリントの束を手に取り、順に並んでいることを確認する。

「はい、カトちゃん。出来てたみたいっす」

 なんだか拍子抜けしてしまった。長嶺のことは嫌いだけれど、謝りたかったのかもしれない。

 無闇に当たり散らしてごめん、と。

「やっぱりやる気あるみたいね」

 紙束を受け取った加藤先生が、私を諭すように呟く。判っている。私の、視野が狭いだけだということは。

 長嶺のいない教室はやけに静かで、部活終わりのクラスメイトたちが戻って来ても、騒がしさからは程遠かった。

「あ、カトちゃんだ。さよなら」

 長嶺がいない教室は、落ち着かないほど落ち着き払っていて。

「こら村井、私もいるっつうの」

 連休前の浮かれた空気を感じない。

「ごめんごめん。気付かなかったよ」

 理由は、判らない。

「悪かったね背が低くて。さては村井、爽やかに言やあ誤魔化せるとでも思ってるな?」

 判らないけれど。教室は主を失ったようにしか見えなくて。

「違うってば」

 長嶺の存在感は恐ろしく大きいものだったのだと、感じた。

「しっかし、村井もようやるよ。ソフトなんてさ」

 青春の汁が滴るクラスメイトに、ほんのり嫌み混じりで問う。ちょっとした八つ当たりのようなもので。けれど。

「楽しいよ?」

 うちのクラス一モテる村井は、と言っても同性の後輩にだけれど、嫌になるほど爽やかに答えた。私の口調は気にならないらしい。

 心根からして清々しい奴なのか、あるいはただの鈍感か。

「さいでっか」

 きっとおそらくは、前者だ。私みたいな人間とは違う。色々な意味で違う。

 村井がタオルで額を拭く姿は、何というか、さまになっていて。何というか、まさに青春そのもので。本当に同じ生物で、本当に同じ性別なのだろうか。

 私が汗を拭うのは、体調を崩して熱があるときくらいのものなのに。

「そういやあさ、村井。あんた矢島真央と喧嘩でもしてんの?」

 私には、青春は似合わない。

「え? してないよ」

「あっそ。なら良いけど」

 私には、恋愛は似合わない。私には、何もかもが、似合わない。

「……じゃ、さよなら」

 村井はタオルを片手に颯爽と去っていく。その姿がやっぱりさまになっていて、少しだけ羨ましいような気がした。

「そしたらカトちゃん、私も帰るっす」

 早く帰りたかったはずだ。それなのに何故か、後ろ髪を引かれている。私の中で中途半端になってしまった、責任感の所在なさのせいだろうか。

 鞄を手にとってはみたものの、足が動こうとしてくれない。窓の外の夕焼けは色を増していて、夜がすぐそこまで迫っていることを示唆しているというのに。

 私は、頼られたい。クラスのみんなから頼られれば、山口にも頼られるような気がしていて。

 隣のクラスで、生徒会長で。私なんかに頼らなくても、きっといくらでも頼れる相手がいるはずなのに。

「……馬鹿みたい」

 思わず漏れていた。それはとても小さな声で、誰にも聞かれてはいないけれど。私が頼られたい理由。学級委員になった理由。全てが、独りよがりで馬鹿みたいだ。

 まるで夜に染まっていく窓の外のように、私の心も闇に染まっていく。

 恋ではない。思い込みたいのに。

「じゃ、さよならっす」

 取り繕ったように満面の笑みを浮かべ、私は教室を後にする。

 私はきっと、ちっぽけだ。長嶺みたいに存在感もなく、だからといって頼りにもならず。勝手に責任を感じているだけで、ちっとも必要な存在なんかじゃなくて。

 もしも、過去に戻れるのなら。

 山口に伝えてしまった感情を、言葉を。なかったことにしたい。去年の夏に、戻りたい。

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