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Zodiac/黄道帯、或いは巡り廻る歳月

 明日は、卒業式だ。

 紅梅が散り桜が綻び始めた校庭を、私は寺田と歩いている。お互い黙ったまま、口を開こうとはせずに。

 時折気まずい沈黙を感じるが、私はそういうことに慣れているせいか、あまり気にはならない。寺田はひどく落ち着かない素振りを見せているけれども。

「……あの、あのさ」

 土の上に広がる紅梅の絨毯をひとかけら拾い上げ、意を決したように寺田が口を開く。

「明日、卒業式だね」

 幾度となく確認する、中学生活の期限。私は黙って頷き、寺田の言葉を促した。

 いつからか、私は寺田とは会話を交わすようになっていた。他人になんて興味がないはずなのに、何故か寺田は興味深く。

 いつもどこか怯えていて、けれども眼差しは真剣で。そういう二面性が、興味深さの所以なのかもしれない。

「そう、ね」

 教室はまるで熱帯魚の水槽で、私のような平凡な魚には、息苦しい場所だった。

「久保さんはさ、明日……」

 教室はまるで動物園の檻の中で、私のような目立ちたくない存在には、とても厳しい場所だった。

「あした?」

 寺田の存在に、気付くまでは。

「うん。明日、卒業式の後」

 彼はまるで私を護るように、いつも手を差し伸べてくれる。

「打ち上げっていうか、カラオケ行こうかって思っててさ」

 友人なんて上辺だけの存在だと思っていた私には、寺田の存在は眩しくて。

「カラオケ」

 彼が何故、私に構うのか。そんな単純なことすらも、考えられないほどに眩しくて。

「あ、もちろん。嫌ならいいんだ」

 寺田はまるで、空気清浄機だ。淀んだ私の空気を、綺麗に浄化してくれる。彼がいなかったらきっと、私はつまらない人間のままだったろう。

 他人と係わることの喜びを教えてくれたのは、間違いなく寺田だった。こうして他愛のない会話を交わす楽しさを教えてくれたのは、間違いなく。

「いい、よ」

 寺田だ。寺田の素直な心が、私を解きほぐしてくれた。名は体を表す。寺田は間違いなく、スナオ。

 拾い上げた紅梅の花弁を宙に舞わせ、寺田が私を振り返る。驚いたような、嬉しそうな素直な表情。春の陽ざしに似た暖かな、寺田の笑顔が広がっていく。

「本当に?」

 何故、寺田は私に構うのだろう。少し考えれば判りそうなことなのに、浮かんでくる答えを、私はいつもそんなはずがないと否定してしまう。

 彼のように眩しい存在が、私に係わる必要などない。だから、希望を持ち過ぎてはいけないのだ。

 憧れるのは一方的で充分で。太陽に憧れるのは、夜闇の宿命。闇に光が射すことで、私は希望を持ち過ぎてしまう。彼に触れたいと、願ってしまう。

「うん……」

 少しだけ、歩みを早める。少しだけ、寺田の近くに身体を寄せる。

 距離を縮めると、寺田は少しだけ身構えた。彼の纏う暖かな空気が、私のせいで冷えていく。

「寺田くん」

 けれどもそれ以上の速度で、彼は空気を暖めていく。

「な、何?」

 春色の空気に、包まれていく。

「ありがと」

 だから私は感謝の意を表す。寺田に出会えて良かった。寺田と話せて良かった。

 寺田がいてくれて、良かった。

 中学という檻の中で、暖かく優しい光を放つ存在。教室という檻の中は寒くて凍えてしまいそうなのに、寺田のおかげで温かく過ごせた。彼がいなければ、私は、きっと。

「え? 何のこと?」

 きっと、寒さに凍えることも忘れ、無感情に過ごしていただろう。今までも、これからも。

「色々、と」

 気付かないことは怖い。知らないことは恐ろしい。寒さに気付けなかった私は、寒さに気付かせてくれた寺田に。

「……私、寺田くんと同じクラスで良かった」

 人間は独りで生まれ、独りで死んでいくものだと思っていた。けれども違う。周囲に目を向けることから逃げていた私には、判らなかった。判りようがなかった。

 誰かが支えてくれている。誰かが傍にいてくれている。

「ぼ、僕も……久保さんと同じで良かったよ」

 頬を柔らかな色に染め、春色の彼が微笑んだ。去年の春には知りようのなかった、温かな笑みを湛えて。

「あ、あのさ、あの……」

 周期的に辿る季節。一年前には気付けなかったことに、今の私は気付いている。今の私の知らないことを、来年の私は知っているのだろうか。

「あの、えっと、その……こ、こないだの、長嶺の告白凄かったよね。びっくりした」

 そわそわと落ち着かない様子で、寺田が私に同意を求める。この間の出来事。きっと、卒業式の練習時に、壇上で長嶺が叫んだ事件。

「もう絶対、同窓会とかでも話題になるよね。あんなの、忘れらんないし」

 手渡された卒業証書を頭上に掲げ、校長のマイクを奪い取り。そのまま、担任教師に愛の告白。大胆過ぎて、印象深い。私には、意味が判らなかったけれども。

「……そう、ね」

 憧れる気持ちは判る。彼にとっての加藤先生は、私にとっての寺田なのだ。手の届かない、目映い存在。心に温かい光を射す、心惹かれる存在。

 けれども自ら希望を打ち砕く気は、私にはない。明日までの関係性なら、希望を抱いたままでいたい。

 たとえそれが、一方的な空回りであっても。

「く、久保さん」

 夜闇に射す光。本格的に春が来る頃には、寺田はきっと、傍にいない。希望を抱くのは明日まで。

 それなのに。

「えっと……そ、卒業しても、その、会えるかな」

 ぎこちない春色の笑顔で、眩しい彼が希望を繋ぐ。

「……うん」

 恒久の、光射す。寺田が繋ぎ止めた希望が、私の期待を募らせる。十二の月を辿る前には、抱くと思わなかった感情を。

 恋、心を。

「別々の高校だけど、僕、その、会いに行くし」

 頬を紅梅色に染め、寺田が優しく言葉を紡ぐ。巡る季節を寺田と過ごす。これからも、この先も。

「もも、もちろん。あの、迷惑なら行かないし」

 促すよう、春の香りの風が吹く。僅か花弁が舞い上がる。私は、言葉なく首を振った。

 沈黙が、心地好い。寺田の笑顔を見ている今が、とても、心地好い。

 春の日差しは暖かく、私の元に降り注ぐ。空からも、目の前の彼からも。陽だまりのように温かな笑顔と共に。

 私はこの春という季節を、きっと忘れないでしょう。幾度季節を巡ろうと、幾度春を廻ろうと。

「あ、あの、久保さん……」

 心地好い沈黙を破る、心地好い寺田の囁き。緊張を孕んだその響きは、悠久の木漏れ日となり。

「あの、その、ぼ、僕、僕は、久保さんが、す、好き、好きです」

 希望を、期待を、私の全てを包み込み、温かな色に染め上げる。

「……や、あの、その。聞かなかったことにして。ごめん本当に口が滑っただけだから」

 温かな色、紅梅の色。私の身体は熱を帯び、凍える寒さを忘れるよう。

「聞こえたから、聞かなかったことには出来ない」

 繋がる希望は、次の季節を巡る喜び。目の前の眩しさに目を細め、私は寺田に手を差し伸べた。

 春は、あけぼの。夜闇が明け、白み始める。迎える朝は清々しく、明るい希望に満ち溢れ。

「寺田くん。これからも、よろしく」

 私の夜闇を照らす太陽が、戸惑いながら私の手に触れた。温かな手、繋がる季節。冬から春へと。

 私から、寺田へと。

 今は、三月。弥生の季節は春の始まり。私の季節が、春色に変わる。今を春色に染める、寺田の存在によって。

「久保さんって、桜みたいだよね」

 綻び始めた桜を見詰め、寺田がぽつりと言葉を漏らす。

「……え?」

「何でもないよ」

 照れたように呟く寺田の顔は、紅梅の花弁のように鮮やかな色をしていた。

 明日は、卒業式。

 私は何から卒業するのだろう。中学から、意固地な自分から。独りで過ごす檻の中から。

「……あ!」

 一陣の風が紅梅の花弁を舞い上げ、私たちは祝福の色に包まれた。ほんの一瞬の出来事。けれども、私はきっと忘れない。

 春色の笑顔と共に紅色の空気に包まれたことを、私は一生忘れられない。目の前で微笑む寺田と共に、私は、きっと、歩んでいく。

 そのための何かから、私は明日、卒業する。


 私たちは、卒業する。

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