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Youth/若さ

 俺は後悔していない。

 はじめからうまくいくなんて思っていなかった。はじめから結果は見えていた。はじめから、完全に終わっていたのだ。

 呻こうが喚こうが何をしようが、結論は既に変わらない。俺が俺じゃなかったとしても、きっと変わりようがない。

 先生は大人で、俺は子供。ただ、それだけで。

「……特に、長嶺くん。お願いよ」

 判っている、隔たりの大きさは。判っていた、叶いやしないなんてこと。しかし俺は、現状に満足出来なくなっていた。

 どうにもなりやしないのに。

 もっと仲良くなりたい。もっと印象に残りたい。もっと傍にいたい。悪足掻きにすらなり得ないのに、俺の願いは膨らんでいく。

「はーい。おとなしくしまっす」

 だから、慣れない学級委員になった。だから、やたらと職員室に出入りもした。だから、くだらない話も出来るようになった。

 だけど、先生にとって、俺はただの生徒でしかなかったのだ。最初から。当たり前に。

 ――長嶺くん、自分で自分を不幸にしてどうするの?

 一昨年の春、先生が発した一言が突き刺さる。今の俺は、前の俺に戻っているのだろうか。先生に気付かされる前の、楽しくて不幸せな子供に。

「それじゃあ、予行演習の準備してね」

 楽しいことが幸せだと思っていた。面倒なこと、嫌なことはなるべく避けて生きてきた。それが正しいと思っていた。

 今も根底には、その感覚が残っているような気はする。自分が可哀想だとは、信じたくないのだ。どうしても。

 叶わない恋は不幸だろうか。或いは、恋をすることは幸福だろうか。

 今の俺は、あの頃よりも幸せだろうか。

 無関心と無感情は同意義で、受け流すことは笑うことだった。だから俺は常に笑っていた。家にいるときは、笑っていた。学校でも笑っていた。

 きっと、笑顔で不幸を誤魔化していたのだ。

「先生、卒業証書授与も全員やるんですか?」

 誰かの声に、現実を思い出す。教室内を見回す。先生が教卓の横に立っていた。安心する。それと同時に、悲しくなる。

 先生は大人で俺は子供だと、思い出してしまうから。

「今日はやらないわよ。各クラス代表が一人ずつ。ね、長嶺君?」

「おう。俺がみんなを代表するぜ!」

 加藤先生が不意に俺の名を呼んだので、少しばかり上擦った声になってしまった。

「頑張れ長嶺」

 何を頑張ればいいのか。どうやって卒業すれば良いのか。そうは思っても、顔には出せない。

「あたぼうよ」

 癖というのは恐ろしいもので、治そうとしても出てしまう。取り立てて不幸な嘘ではないけれど。偽りと呼ぶほどのものではないけれど。

「任せとけ!」

 本心と違う言葉は、少しだけ据わりが悪かった。

 がたがたと椅子を引く音が響き、体育館への移動が始まる。卒業式の練習。卒業の練習。少しは大人になるための。或いは、俺を認めるための。必要だと思うための。

 俺はきっと、不要な存在だった。だから祖父母宅で暮らすことになってからは、絶やさず笑顔を見せていた。無理矢理にでも笑っていた。常に自分を、偽っていた。不要と思われないために。

 笑っていれば、友達が出来る。笑っていれば、楽しい気がする。

 偽っていれば、家族が円満か。偽っていれば、俺はどうなのか。

 今でも自分を認められないのは、根底を偽っているせいだろうか。先生のおかげで無闇に笑うことはやめたけれど、感情は誤魔化し続けている。後悔はしていない。しかし、出口は欲しいと願う。

 もしも先生に出会わなければ、俺は幸せだったのだろうか。この思いから卒業出来れば、俺は幸せになれるのだろうか。

「長峰代表、俺らに恥かかせんなよ」

 ゆっくりと廊下を進み、迫り来る卒業を噛み締める。

「何だよ島本、俺のこと日本代表みたいに言いやがって」

 打ち明けようが秘めたままにしようが、俺の行く末は変わらない。

「そんじゃあさ、使いっぱ長嶺は?」

「ひっでえ言いようだな、それ。俺様ご立腹だっつうの」

 待っているのは失恋のみ。どうしたって変わらない結末。

「長嶺が怒っても、全く怖くねえし」

 砕け散れば、卒業出来るだろうか。きちんと結論を確認出来れば、俺は。しかし。

「何言ってんだよ、寺田。俺を怒らすと、怖えんだぜ?」

 先生が結婚することは知っていた。一縷の望みも繋がらないことは判っていた。

 相手の幸せを願えないのは、きっと幸せな恋ではない。自分を不幸にする呪いだ。だから俺が抱いている思いは。

 違う。

 きちんと笑顔で祝えるはずだ。先生におめでとうと言えるはずだ。

 小野が推測するには、卒業式にサプライズ発表をするために黙っているのではないかということだったが、そんなのは知らない。

 俺は、俺のために。

 先生が俺に言ったのだ。自分を偽るな、自ら不幸になるな。成り行きの、ほんの些細な言葉だったけれど、あの一言で俺の世界は色を変えたのだ。

 ならば、俺は。

「カトちゃん!」

 まだ肌寒い季節。それでも確実に、春の足音は近寄って来ている。

「何? 長嶺君」

 卒業の日はもうすぐそこで。

「もうすぐ、本当の本当に卒業なんすよね」

 だからこそ、俺は。

「どうしたの? まだまだ実感沸かない?」

 このまま、自分に向き合うことなく、過ごしたいと思ってしまう。

「えっと、まあ……はい。そんな感じっす」

 握り締める、手。鼓動が速くなる。終わりが見えている今は、確実に過去に変わりつつあり。

「えっと、その、だから、カトちゃんはさ」

 息を吐くたび、声を発するたび。過去がどんどん増えていく。過去が積み重なっていく。それらが礎となり、俺は大人になれるのだろうか。

「何?」

 俺は大人になりたい。俺は大人になりたかった。

 先生の隣を歩けるような、大人に。

「そ……卒業式の後、打ち上げパーティとかやったら来る?」

 叶うはずのない願いが、頭の中を駆け巡る。

「長嶺君が企画してるの? 懐かしいなあ、そういうの。でも先生が参加して、邪魔になったりしない?」

 いくら俺が大人になろうと、先生には追い付けやしないのに。

「もちろん大丈夫。カトちゃん含めてうちのクラスっすから」

 初恋は叶わない。いつか聞いた言葉が蘇る。

「うん。判ったわ、ありがとう。考えとく」

 加藤先生はそうやって、先生の顔で笑顔を見せる。いつもそう。どんな笑顔でも、先生は先生のまま。

 判っている。最初から、叶いやしないなんてことは。

 だから、必要な言葉を。

「それで、先生」

 俺のための、祝いの言葉を。

「えっと、その」

 握り締めた手に力を込める。あと少し。たった五文字を、口にするだけで。

 判っているのに、続きが出てこない。心からの祝いを口に出来るほど、俺は大人になれていない。情けないほどに、まだ、子供だった。

「あ、ごめん長嶺君」

 体育館方面を確認し、加藤先生がさらりと述べた。握られた俺の手の硬さに、微塵も気付いていないようで。

「まだ集まってないの、うちのクラスだけみたい。急がなくちゃね」

 少しだけ急ぎ足になり、先生は体育館へと向かった。取り残された感情。追いかけても無駄だというのは、嫌になるほど理解している。

 誰だってそう。決まってしまった行動を、止めることなんて出来やしないのだ。笑みを浮かべ見送るしか術のない、子供のままの俺には。

 遠くなる先生の背中を見つめた。この距離が、大人と子供の差なのかもしれない。動けない子供と、進む大人との。

 俺はどうしたって子供なのだ。今は、まだ。

「長嶺!」

 まだ、大人にはなれないのだ。

「……何? 小野っちょ」

 後ろから、というより、下からといった方が正しいかもしれない。体育館の入り口を眺めていた俺に、小野が声を掛けて来た。

「長嶺、私、振られちゃった」

 ひそひそと、俺にしか聞こえないような声。色々と腐れ縁ではあるが、それ程親しいわけでもないのに。だけれど。

「……誰に?」

 だからこそ。俺も、気軽に返すことが出来る。

「えっと、うん。良いや。教えちゃえ。……山口」

 体育館へと流れる人波の中、俺と小野だけがその場に留まっていた。進めない俺と、進めるだろうに進まない小野。

「隣のクラスの?」

 似ているようで、全く違う。

「そ。……やっぱさ、判ってたことだけど辛いね。高校も違うし顔を合わせるのももう少しなんだけど、やっぱね。うん」

 口調とは裏腹に、小野は満面の笑みを浮かべていた。何かをふっ切ったような表情。俺にも、浮かべることが出来るだろうか。

「何で小野っちょ、そんなこと俺なんかに言うの?」

「仲間だと思ったから。じゃ、理由になってない?」

 ああ。なんだか俺、馬鹿みたいだ。小野にまで見透かされていたなんて。

「……なってる、けどさ」

 きっと気付いていないのは、当の本人だけなのだ。或いは気付いているかもしれない。気付いて、気付いた上で、そんなはずはないと否定して。

「本当はあてこすりってか、失恋仲間が欲しかっただけなんだけどね。何かごめんね、ヘコませちゃって」

 どちらにせよ、俺の行く末は変わらない。

「良いよ別に謝んなくて」

 そう。ただ、それだけのこと。立ち止まろうとも、結論を先送りしようとも。

「でも謝らせて。私、長嶺のこと誤解してたと思うし」

 目の前で両手を合わせ、小野が俺を拝むように見上げる。こいつ、こんなに小さかったっけ?

 そう思うと、なんだか無性におかしくなってきた。

「俺も小野っちょのこと、けっこう誤解してたかもな」

 少しだけ、足を進める。子供からの第一歩。大人に近付く第一歩を。

「そうなの? どういう風に?」

 俺も、こういう笑顔を浮かべられるかな。今は無理でも、その内に。

「ただ生真面目で口うるさいだけなんだと、思ってた」

「何それ、結構失礼じゃない?」

 可能性はないけれど、伝えてみたい。大人になるために。

「うん。失礼だと思う。……でもさ、そうじゃないんだなって」

「へ?」

 前に、進むために。

「確かさ、同じ高校っしょ? 小野っちょ、これからも宜しく」

 歩みを加速し、体育館へと向かう。一世一代の失恋ショーは、派手に刻んだ方が良い。後で笑い話にするには、皆で共有した方が良い。

「何それ。長嶺、ちょっと逃げたわね?」

「逃げてねえし。……てか、小野っちょ」

 周囲の迷惑なんて知らない。先生の困惑なんて気にしない。俺はどうしたって若くて子供で、だからそれを最大限に生かしてやる。

 結果なんて判り切っている。最初から、知っていた。だから、俺は。

 振り返り、小野を指差す。高らかな宣言。俺は俺なりに、卒業してみせる。

「イイモン見せてやるぜ!」

 中学校から。初恋から。加藤夏子先生から。

 その全部から卒業し、俺は少しだけ、大人になろう。

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