Reliance/信頼
体育祭は、ある種の戦場だ。
意外と格好良い応援旗を掲げた我がクラスは、お昼前の一大競技であるリレーを前に、他のクラスと比べてかなり得点をリードしていた。クラスというか、正確には一年生から三年生までのチーム対抗戦ではある。けれど、学年別クラス単位での競技の方が多いので、どうしてもクラス対抗のイメージの方が強かった。
この調子なら、優勝出来るかもしれない。
もちろん負けても別に構わないけれど、どうせなら勝ちたいと思う。引退したとはいえ部活でキャプテンをやっていたせいか、競技となると燃えてしまう。
あまり良くない癖だな、とは、自分でも思っている。
「純ちゃん頑張ってね」
「任せといてよ、真央」
にこにこと楽しそうな真央とハイタッチをし、気合いを入れた。席から立ち上がり、招集のアナウンスを待つ。
「島本もプリンスも負けんなよ!」
応援旗に手を掛けながら、長嶺が大声を上げる。
「だからプリンスって何なのよ?」
私のことをプリンスと呼ぶのは長嶺だけだ。呆れつつも、適度な脱力感は悪くないような気もする。今だけは。
「プリンスはプリンスだっつーの。てか、頑張れよ!」
長嶺は力強く旗を振り、早めの応援態勢に入った。フライングもいいところだけれど、その気持ちは嬉しく思う。
「判った判った。頑張って勝ってくるから。ね、島本」
リレー選抜に選ばれた私は、同じく選抜の島本に声を掛けた。何かが吹っ切れたというか、真央の笑顔のおかげだと思うけれど、最近の私は島本に対する苦手意識が少しだけ薄れてきている。
もちろん、どうしても好きにはなれそうにない。私の大切な真央を泣かせたりしたらただじゃおかない。はじめから私のものではなかったにしても、真央を奪ったんだから、大事にして貰わないと困る。
「おう。ま、楽勝っしょ?」
島本は私から目を逸らし、静かに呟く。屈伸運動をしながらだったので、ただの被害妄想かもしれない。けれど、どこか避けられているような気がした。
それならそれで、私としては別に構わない。真央さえ、気にしないのならば。
「……そろそろ、じゃね?」
膝を曲げたまま、島本が私を見上げる。
「そうだね。じゃあ、もう、行く?」
「よっし。いっちょ頑張ってくっか」
うちのクラスのリレー代表は私と島本。他には一年生と二年生の男女がひとりずつ。計六名で、アンカーは島本だ。アンカーにバトンを渡すのは、私。
「きちんと渡せよ? 俺の脚がいくら早くてもバトン落としたら判んねえからな」
表面上は普通に会話が出来ていても。
「大丈夫だってば、問題ないと思うよ? 練習では一回も失敗してないんだから」
溢れる嫉妬心が私を乱す。元々苦手だった上、真央を奪った張本人。本音を言うなら、憎くて仕方がない。
「練習は練習、本番は本番だろ? 本番で上手くいかなきゃちっとも意味ねえよ」
性別さえ、立場さえ違っていれば。今頃私が真央の隣に立っていたかもしれないのに。親友なんて中途半端なポジションではなく、恋人として。
「まあね。……でも、大丈夫よ」
憎い男にバトンを渡す。憎い男に真央を渡す。私がどれだけ屈辱的な思いをしているのかを、この男は知らない。
何で私は、女に生まれてしまったのだろう。
「村井先輩、頑張って!」
ギャラリーから聞こえてくる歓声とも応援ともつかない声が、私の沈んだ心を少しだけ浮かび上がらせた。
「ありがとう頑張るよ!」
私はまだ、大丈夫。私はまだ、頑張れる。私はまだ。
「相変わらずモテるなあ村井は」
島本のことが嫌い。からかうように口を開く島本は、私より先に待機場所へと向かって行った。三年生はトラック一周なので、私と島本は同じ場所で待機しなければならない。
トラックの反対側に座る二年生の男子代表を羨ましく思いながら、私は、校庭に腰をおろした。
特に緩んでもいない靴ひもをいじり、時間を潰しながら。
「島本」
自分の出番が来るまでの、時間潰しの一環として。遠くで鳴り響くスタートを告げる合図を確認し、私は苦手な男に話しかけた。
「真央のこと、大事にしてあげてね」
靴についた砂を払い、二年の代表女子が立ち上がるのを眺める。
「ああ」
島本の表情は見ない。
「私の大事な……親友、なんだから」
準備運動を始めた二年代表に続き、私も立ち上がった。ジャージについた砂を払い、屈伸運動を始める。
「ああ」
島本の感情は判らない。
「奈緒さんとうちのお姉ちゃんみたいなものだからさ、私たち」
手首を回し、足首を回し。
「……ああ。判ったよ」
島本の口調が変化する。けれど、確認しようと振り返るより先に、二年の女子が走り出していた。
私は、トラックの一番内側に立つ。トラックの反対側を見ると、バトンが二年の男子に渡るところだった。
「島本、信用して良い?」
島本に問う。問いというより、願望のようなものだけれど。
「……何が?」
「島本のこと」
迫り来る二年男子代表の姿を確認する。島本の表情は見ない。
「……ああ」
その言葉と同時に、バトンを受け取った。全速力で駆けながら、周囲の歓声を受けながら、真央のことだけを考える。応援の声の渦に真央の声が混ざっているはずだと、そのことばかりを考えていた。
トップで走り始めた私は、そのままの勢いで後ろの走者を引き離していく。どんどん差が開き、私の足も加速していく。疾走感。景色と共に声援が流れて。
後ろを見なくても判る。私のチームが、独走状態だと。
最後のカーブを曲がると、島本の後ろ姿が近付き始める。足を踏み出すたびに、呼吸をするたびに、確実に、島本に近付いていく。
「はい!」
しっかり握りしめていたバトンを前に差出し、憎い男に声をかけた。受け渡しさえ失敗しなければ、間違いなくトップを取り続けられる。
バトンの受け渡しは、信頼関係がないと上手くいかない。
ここでミスをすることなくバトンを渡せたなら、私は、島本のことを信用出来るのかもしれない。信頼出来るのかもしれない。
真央のことを、諦められるのかもしれない。
走りだした島本が、腕を後ろに伸ばす。私はその手に、バトンを渡す。触れた感覚。島本がバトンを握っている。
バトンから手を離し、走る速度を落とす。前方には、加速をつけ去っていく島本の姿。
受け渡しは、成功した。成功してしまった。
他のチームの邪魔にならないよう、トラックの内側へと戻った。上がった息を整えながら、アンカーの走りを目で追いかける。二位との差は縮まらない。それどころか、どんどんと開いていく。
島本の走りは無駄がなく、まさに風を斬るという表現がふさわしいような代物で。
「……渡せちゃった、か」
渡せない方が良かったという、私の心の暗い部分が漏れ出してくる。
私はたぶん、島本になりたいのだ。運動能力も私より上だし、何より真央に好かれている。友人としてではなく、異性として。恋人として、好かれている。
手渡したのは、リレーのバトン。明け渡したのは、真央の隣。
私の欲するものを、あの男は易々と奪っていく。けれど憎いという感情は、ただの嫉妬でしかなくて。
島本を憎いと思えば思うほど、自己嫌悪も激しくなっていく。
信用しなければ。信頼しなければ。苦手なのは仕方がない。けれど、真央の幸せを願うなら。
落とすことなく渡せたのだ。あいつはあいつなりに、私を信用しているのだろう。だから、私は。真央のためにも私は。
私は島本を、信じなければならない。




