Pace/歩調
考えてみたら簡単な話で、誰だって面倒なことはやりたくないのだ。
私が委員長をやっているのも、体育祭の準備担当を押し付けられているのも。頼りになるからというよりは、むしろ。
「小野っちょ、こんなんどう?」
引き受ける人が他にいないから、だろう。
そう考えると無性にやる気がなくなっていくのは、仕方がないことなのかもしれない。私だって人の子だ。聖人君子には程遠い。
「却下! 長嶺、センス悪過ぎ」
何故か再選された長嶺と共に、私はひどく面倒な仕事を任せられていた。季節は秋。体育祭が目前に迫っている。
やる気はないけれどやらないわけにもいかないのは、私の面倒な性分のせいだろうか。
「良いじゃん超カッケエし」
クラス応援旗のデザインを掲げ、長嶺が反論する。
「カッコいい? どこが?」
何故か私は、その顔を直視出来ない。矢島真央のせいだ。矢島真央が、あんなことを言ったからだ。
「全面に施されたキラメク流星。ロマンあふれるデザインじゃね?」
長嶺のことを意識するなんて、どうかしている。
「それのどこがキラメク流星なのよ。ただの楔型文字じゃなくて?」
馬鹿でガキでうるさくて。
「なあ小野っちょ、目、腐ってる?」
変なあだ名はつけられるし、面倒なことに巻き込むし。帰宅が遅くなるのは大体いつも長嶺のおふざけのせいだし。
「長嶺の目が腐ってるんじゃない?」
山口とは、全然違う。
「俺の目は視力マックスだってえの」
「あっそう。そりゃ良かったわねえ」
責任感のかけらもない。山口みたいに優しくもなければ、はにかんだような笑顔も見せない。
「てか。ほら、ちゃっちゃと直す!」
うるさいし馬鹿だし、絡まれるのも面倒臭いし。夫婦漫才みたいだなんて、言われる度に張り倒したくなる。
「このままで良いじゃん時間ねえし」
「却下、ダサ過ぎ。応援旗ってのはクラスの士気を高めるものなんだから、そんな珍妙なデザインで良いワケないっしょ?」
とは言ってみたものの、本当は私だって帰りたい。体育祭なんかのために、私の貴重な時間を取られるなんて冗談じゃないと思う。
けれど帰ってしまおうと言えないのは、あまりにもひどい長嶺のデザインと、私のやり場のない責任感のなせる技、かもしれない。
「まあ良いじゃん。そうカリカリすんなって、小野っちょ」
私を苛立たせるのが上手い長嶺が、絶妙なタイミングで嫌なことを口にする。
「カリカリなんてしてない!」
他の担当のクラスメイトはすでに帰宅の途についている。私もこんな面倒な係ではなく、何も考えずに出来る紙吹雪作りなどの方が良かった。
いや。長嶺と一緒でなければ、どの係でも良かったような気がする。たぶん、間違いなく。私は長嶺が嫌いなのだろう。
「……なんでそう、気負うかなあ」
不意打ちの、溜息混じりの長嶺の一言が、私を貫く。
「は?」
何の気なしに言っているのだと思う。けれど、私は。
「適当で良いんじゃね? こういうのってさ、やったっていうことが大事なんであって、内容は二の次っつうかさ」
私の存在を否定するような一言に、私は抉られる。いつもいい加減な男子の発する真理が、私の心をずたずたに切り裂く。
「……うるさい」
適当なんて、駄目に決まっている。長嶺の言うことの方が正しいような気がしても、私にそれは耐えられない。
「え?」
責任感。頼りになる存在。私の全ては、他人から必要とされるか否かで決まっている。私なんかに頼まなければ良かったと、言われてしまうことを恐れている。
山口に頼られる可能性があるか否か。私の価値は、それで決まっている。
「うるさい! 長嶺なんかに私の気持ちが判るわけないじゃない。口を挟まないでよ!」
それを否定することは、私を否定すること。私自身の存在を、否定すること。長嶺に、私は否定されている。否定させている。
こんなにいい加減な奴に、私は、今まで培ってきた価値観を全て、否定されている。
「だからさ、判んないから言ってんじゃん」
困ったように力なく呟く長嶺の声が腹立たしい。苛立つのは、私の本心が長嶺に同意しているからだ。きっと。
「どういう意味よ?」
だからどうしても、刺々しい口調になってしまう。
「小野っちょさ、いっつも頑張り過ぎ」
だから長嶺の優しい言葉に、私は戸惑ってしまう。
「たまにはゆっくりすりゃ良いんだよ」
だから私は、どうすればいいのかが判らなくなってしまった。
「……え?」
長嶺はゆっくりと口を開く。私の目をまっすぐに見ながら、少し心配そうな表情で。
「この係だって押し付けられたんだからさ、適当で良いんだって」
自分の描いた応援旗を指差し、確かに下手だしな、と呟く。けれどその口調は自虐的ではなく、どちらかというと当り前の事実を淡々と語るだけのような、どこか冷めた口調で。
先程までの自信ありげな雰囲気からは一変した、長嶺の様子。いつもいい加減で不真面目な男子が見せる、ほんの僅かな本気の表情。
初めて見る長嶺の真面目な態度に、私は目が離せなくなってしまった。
「気に食わないって奴がいたら、そいつにやらせりゃ良いんだよ」
私を案じるような、優しい物言い。
「長嶺……」
矢島真央の言葉が頭をよぎる。
――長嶺ってさ、操のこと好きなのかな?
今の私はどうかしている。長嶺のことを、きっと、意識している。
あり得ない。いい加減で適当で、どちらかと言えば嫌いなはずなのに。
「それにさ」
長嶺が何かを含んだような笑みを浮かべた。照れを隠しているようにも見えるし、本心を隠しているようにも見える。
「俺ももう帰りてえし。そろそろ寺田が図書室から戻ってくっからさ」
心からの言葉なのか、表面を取り繕っただけなのかは判らない。判りようがない。けれど。
普段通りの長嶺の表情であることに、違いはなかったので。
「……長嶺。さてはあんた、私を丸め込んで早く帰ろうって寸法ね?」
私もいつも通りの対応を取る。
「あ、バレた?」
それでも、いつもと違う点もある。
「まあ良いわ、今日はもう帰ろ。明日のホームルームで文句言った奴に押し付けてやりゃいいのよね」
気負い過ぎだという言葉を真に受けてみる。長嶺の言葉を真に受けてみる。
「そうそう」
苦手な、嫌いな男子の言葉を真に受けてみる。
不思議と、嫌な気持ちにはならない。目の前で笑っている長嶺が、少し眩しく感じる以外は。
無理をしない程度に自分を貫く。考えてみたら、いつも適当な長嶺は、いつも自分であり続けることに長けているのだ。他人の目を気にし過ぎることなく、我を通し過ぎることなく。
私に欠けている適当さを、最大限に発揮して。
勝手に気負って、勝手に追い詰められて、勝手に逃げ出したくなって。私は、勝手な人間だ。
今度廊下で山口に会ったら、私から声をかけてみよう。ひどいことを言ってごめんと謝ってみよう。許して貰えるかは判らない。笑顔を浮かべられるかは判らない。けれどきっと、現状よりは進歩する。
気持ちを伝えることは適わなくても、きっと、自分の中で区切りをつけることは出来る。
長嶺に教えられるなんて、私もまだまだ甘いな。
けれどその甘さにすら気付いていなかったのだから、私は今日、少しだけ、前に進めたのかもしれない。
教室に射し込む夕日も、なんだかいつもより眩しい気がした。
「長嶺! 帰ろうぜ」
廊下から大きな声が響いてきた。続いて、がたがたと扉の開く音。振り返れば寺田がいる。図書委員の仕事を終えて、教室に戻ってきたらしい。
寺田と図書室なんて全く似合っていないのに、寺田は図書委員を続けていた。一学期の最初に決めた時に長嶺と小競り合いをしていたので、てっきり続けないと思っていたのに、だ。
「寺田……丁度良い」
人は見かけによらない。寺田は勉強が出来ないだけで、本が好きなのかもしれない。けれどそんなこと、私には関係がない。今必要なのは、ただひとつ。
わざとらしく口角を上げ、笑みを作り。
「この旗のデザインさ、どう思う?」
私は長嶺から応援旗を奪い取り、寺田に見せた。たぶん反応はひとつ。これで格好良いなんて言うようだったら、類は友を呼ぶにしてもひど過ぎる。
それに、私の思いついた作戦が失敗することになってしまうし。
「何これ? え? ダ、ダサい……」
思った通り、寺田は否定的な反応を見せた。私はすかさず次の言葉を口にする。
「よし、寺田がデザイン係に決定!」
本当は押し付ける相手が寺田である必要はなかったけれど、決まっていた方が帰り易いのも事実で。
要するに、やっぱり私は責任感に押し潰され易い性質なのだ。どうしても。
「え? ちょ、何、どういうこと?」
戸惑う寺田に駄目押しの一言。
「良いの良いの。そうよね? 長嶺」
「そうそう。寺田画伯の芸術的センスに期待してるよ俺は」
きちんと意図を汲み取って話に乗ってくれる長嶺は、なんだか少し嫌いじゃない。うるさいし責任感もないしお調子者だし馬鹿だけれど、こういうところは悪くないかもしれない。
山口のことは諦め切れていないけれど。たまにはこうして馬鹿な話で盛り上がって、責任なんて考えないで。
周囲に振り回されず、自分のペースで進みたい。
「ちょっと待てどういうことだよ?」
長嶺には長嶺の論理がある。私には私の進み方がある。
「うるさいうるさい」
それがちょっと噛み合わないだけで、一歩的に嫌いになるのはお門違いなのかもしれない。長嶺は長嶺なりの責任の負い方を、きちんと判っているはずだから。
右手を握りしめ、誘うように長嶺が叫ぶ。
「委員長の言うことは?」
「絶対! じゃねえし!」
ノリの良さが致命傷になった寺田は、押し付けられた応援旗を手に、文句を言う。けれど私は聞く耳を持たない。
たまには、責任放棄をしてみよう。
「ああ、これで安心して帰れるわね」
たまには、息抜きをしてみよう。
「じゃ、今日は私が先に帰るから、カトちゃんによろしく」
たまには、こうやって。長嶺と話すのも悪くない。自分なりにまっすぐに進む長嶺を、目標に据えるのも悪くないのかもしれない。
不意に、矢島真央の言葉を思い出す。
「あ、そうだそうだ。ねえ長嶺、あんたドコ高受けるの?」
もしそうだとしても、私は受け入れられないだろう。やっぱり私は、長嶺のことは好きじゃない。
「俺? 俺は一応、北高の予定」
「ふーん、そっか。そんじゃあ私は、志望校変えようかな」
けれど。不思議と嫌な気はしないのは。
「小野っちょ、北高にするの?」
「逆だっての。私は北高受験するのやめようかなって話よ」
私が少しだけ、冷静になれたからかもしれない。
「高校いってまで長嶺と一緒なんて、ホント勘弁だからね」
心からの笑顔を浮かべ、私は廊下に足を踏み出す。もし今、山口とすれ違っても、私は笑顔を絶やさずに話が出来るような気がする。
いい加減な長嶺の言葉に救われるなんて、なんだか本当に自分らしくないけれど。それでも、たまには良いかな、なんて。
心のどこかで気が緩んでいる私の存在に、不思議と全く嫌な気はしなかった。




