Oasis/憩いの場
アタシは、どうしたいんだろう。
修学旅行中に密かに撮った津田の写真の数々を、アタシは誰にも気付かれないようスマホの中に隠している。
見返すことはない。好きなわけじゃない。惚れているわけじゃ、ない。
だけど、とっておきたい。
「じゃあさ、ユリは南女高?」
矛盾していると思う。
「うん。だって制服可愛いし」
気にならないなら、メールを心待ちにするはずがなくて。
「そうそう。モテ度高いしね」
「良いよねあのブレザーとか」
変わり映えのないメールを、大事に取って置くはずもない。朝はおはよう、夜はおやすみ。面白味の全くないメール。アタシの送った他のメールには、返信なんて殆どない。
唯一、アタシの誕生日にくれた、おめでとう、だけが特別。もちろん、アタシから催促したんだけど。
「南女高ならアタシでも行けるし」
チカと過ごすお昼休みは楽しくて、屋上の上に広がる秋空も清々しい。これこそまさに青春で、津田は全然青春じゃなくて。
それなのに。
「あたしも南女高にしよっかなー」
それなのにアタシは、津田のことばかり考えている。勢いで手渡したメールアドレスが、アタシと津田の唯一の繋がり。
突然あの声で呼び止められて、無くしたはずのイヤホンジャックアクセサリーを手渡されて。しかもそれは、恋愛成就の御守りマスコットで。
アタシは何て言い訳をしたんだろう。お礼がしたいとか何とか、適当なことを口走ったのは覚えている。
「良いね、チカと一緒の高校かあ」
勢いに圧された津田が、アタシに携帯のアドレスを教えてくれたから。アタシは毎日メールして。プライベートが知りたくて。アイツのことが知りたくて。
「毎日がすっごい楽しそうだよね」
恋じゃないなんて、嘘ばっかり。
「マイたちも南女高だと良いなあ」
気にならないなんて、嘘ばっかり。
「みんなで一緒とか、超楽しそう」
アタシはあの日、あの時、一瞬で恋に落ちていた。アイツの声に、心を奪われていた。
否定しても意味がないくらい、アタシは津田に惹かれている。津田の声を聞きたいと、アタシはいつも願っている。
「ね。マイたちと四人で南女高行きたいよね?」
「行きたい行きたい」
津田に惚れているなんて、チカには言えない。マイたちにも言えない。誰にも言えない。
あんな根暗で冴えない男、絶対好きだとバレてはいけない。
「高校生になったら、カレシとか出来るかな?」
突き抜けるような高い青空を見上げ、チカが尋ねてくる。
「出来ると良いよね」
高校は絶対、津田と同じはずがない。卒業まで秘密を守り通せば、きっとアタシは忘れられる。
津田もきっと、忘れてくれる。
「あたしは絶対作るよ! 島本はカノジョ作っちゃうしさあ」
アタシとアイツは水と油。絶対に混ざり合うはずがない。
「そうだよね。チカ、島本が良いってずっと言ってたもんね」
それに何より、アタシには片思いなんて絶対に似合わない。
「そうなの。島本は絶対ずっとフリーなんだと思ってたのに」
女心と秋の空。変わり易いもののたとえ。アタシの心は、変わるんだろうか。津田から離れてくれるんだろうか。
惹かれているのはアイツの声だけ。たぶん、きっと、間違いなく。
「もう! 矢島真央なんかより、あたしの方が可愛くない?」
退屈な授業の最中に、見てしまうのは気のせいで。
「うーん。どっちかっていうと、チカは美人タイプだからね」
おめでとうメールを保護しているのも、きっとアタシの気のせいだ。絶対に、気のせいだ。
「てか、やっぱ同じクラスってのは強いよねえきっと」
空を泳ぐ雲のように、アタシの心も流れれば良い。津田の方になんかじゃなく、まだ見えない高校生活に向かって。
「そうかもねえ。チカはずっと違うクラスなんだっけ」
風で千切れる雲のように、アタシの恋も消えてしまえば良い。跡形もなく、全てを掻き消して。
アタシは津田と、どうしたいんだろう。アタシは津田と、どうなりたいんだろう。付き合いたい、とは違う。たぶん、アタシは。
「チカのクラスって、カッコいいヒトとかいないの?」
津田のことは好きなんだと思う。だけど。
「島本レベルってそんなにいないよ」
デートしたいとは思わない。絶対に会話はつまらない。退屈なのは、間違いない。
「ふーん。そんな良い? 島本って」
それでも、声は聞きたいと思う。
「良いよ。顔良し頭良しスポーツ万能でさ、スペック高いじゃん」
アイツの声は、どうしようもなく魅力的で。きっと退屈を忘れるほど、アタシの耳を奪うから。
「あ、ねえ。じゃあさ、ユリはどういう系のヒトがタイプなの?」
急に話を振られて、アタシは少し動揺してしまった。手にしていたお箸を危うく落としそうになる。
「え? あ、えっと……」
どういう感じがタイプか。アタシは、背が高くて男らしくて、とにかく頼れる人が良い。
津田とは正反対。絶対に。
「……声が良い人、かな」
それなのに。何故、アタシは声にこだわってしまうんだろう。何故、津田を見てしまうんだろう。
「声? 声フェチなの?」
「そう、かも、しれない」
アイツの声は魔法の声。津田の声は癒しの声。退屈な授業中、不意に聞こえてくる津田の声。アタシはいつも、心を弾ませる。
教科書を音読しているだけでも、指された問題の答えを言っているだけでも。津田の声が、アタシを包む。
「ふーん何かすごく意外」
メールで声は運べない。声を聞けるのは、授業中だけ。
「だよね、アタシも意外」
頑として番号を教えてくれないのは、きっと。
「ユリ。自分で言って意外って、何よそれ」
アタシに興味がないからだ。そんなことは判っている。津田はアタシなんかに興味はない。アタシは津田なんかに興味はない。それで良い。
それで良い、はずだ。
「だってさ。よく判んないのよ、自分でも」
青春の広い海原を、アタシは颯爽と駆け抜けていく。津田みたいな小さなボートより、もっと大きく立派な船で。
アタシのあげた波飛沫で、津田なんて沈んじゃえば良い。
「じゃあユリはさ、好きな人、いないの?」
「……いないよ」
それなのに、アタシは即答が出来ない。好きな人と言われて真っ先に浮かんだのは、津田の顔。
水溜りに浮かぶ七色のオイルと淀んだ水。混ざるはずのない、アタシたち。
「ふーん?」
チカは納得いかないといった顔をしながら、お弁当のおかずを口に運ぶ。可愛く飾られたプチトマトに、マヨネーズを少し付けて。赤いトマトに黄色いマヨネーズ。可愛らしい組み合わせ。
ふいに、家庭科の授業を思い出す。
「マヨラーだよね、チカって」
口にしながら探っている。マヨネーズは何で出来ている?
「美味しいじゃん、マヨ。何にでも合うし」
確か、油と卵。混ざりあうはずのない、それら。力いっぱい混ぜ合わせ、無理矢理にでも混ぜ合わせ。混ぜて、混ざって、出来ている。
アタシと津田は、混ざり合わないと思っていた。だけど混ぜようとしなかったのは、ひょっとしたら、アタシにとって都合の良い言い訳でしかなかったのかもしれない。
「チカ、アタシね……」
ひょっとしたら、アタシは。
「好きな人、いるかも」
混ぜることを怖がっていただけなのかもしれない。失うのが怖くて、振られるのが恐くて。
津田のことなんか好きじゃない、と、自分で自分をごまかそうとして。
「誰?」
口にしたら最後。後には引けない。チカが呆れるのが目に見えるけど、アタシの口は止まらない。
「ツ」
浮かんだままでは変われない。水の中に混ざりに行かないと変われない。
「……津田、利紀」
アタシの波飛沫で沈むようなら、アタシが津田を乗せればいい。二人で進めるかは判らないけど、二人で青春の大海原に漕ぎ出したい。
会話がつまらなくても、アイツの声があれば大丈夫。絶対に退屈はしない。
「は? え? ちょ、マジで? あの眼鏡のガリベン?」
だから二人で進めたら良い。進んだ先にはきっと、憩いの場が待っているから。
二人で進めなくても、独りになってしまっても。波に揺られたままでなく、前を向いて進んでみたい。
「何でか判んないんだけどね」
呆れたというより心底驚いたといった表情のチカを見て、ほんの少しだけ、アタシは青春を感じてしまった。
「……意外だわ」
ぽかんと口を開けたチカの表情が面白過ぎて、アタシは思わず笑ってしまう。
アタシには片思いも失恋も似合わない。だけど、立ち止まるのもきっと、アタシには似合わないんだ。




