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Logical/論理的な

 何故、僕は振り回され続けているのだろう。

 川瀬にあれを返した日、何故か僕はあの女とメールアドレスの交換をした。否、させられた。御礼がしたいから、などの戯言に付き合わされ。半ば無理矢理にアドレスを渡され。

 何故、登録をしてしまったのだろう。

「おはよう」

 久々の登校は、だるさばかりが身体を包む。いつも騒がしい長嶺がクラスの誰かに掛けた声を無視して、僕は自分の席に着いた。

 夏期講習は上々、西高は圏内。川瀬のメールに振り回されたが、視線の痛みはなくなった。調子は、悪くない。

 うだるような残暑が残る新学期。スタートは上々。問題は、川瀬だけだ。

「……おはよ」

 小さな声で川瀬が呟く。すれ違いざまの一瞬の出来事。毎日朝晩メールを寄越しやがる馬鹿女が、今日は言葉で挨拶を寄越す。当然だが返す気には、ならない。

 僕は川瀬の声を無視して、机上に広げた参考書類に視線を落とした。主要五科目に関しては、穴がない。しかし気を抜くことで成績が落ちないとも限らない。

 古文の参考書を眺めていると、不意に携帯電話が震えた。手に取り、確認する。

 川瀬。

 視線ではなく電波で、川瀬は僕を縛り付ける。鬱陶しい。鬱陶しいが、しかし。

 僕は携帯電話を握り締め、どうするべきか悩んでいた。返してやる必要などないはずなのに、返さなければいけないような気もしている。

 僕は川瀬に呪縛されている。

 件名もそのままに、僕は一言だけを打ち込んだ。

「……ダルいねえ」

 後方から聞こえてくる川瀬の声に、耳を澄ます。

「あ。メール来た」

 僕が送ってやったメールを、川瀬が確認している。

「誰から?」

「……秘密」

 表情は見えない。口調からは推測出来ない。しかし、おそらくは。

「何それ。カレシとか?」

「違うって! 全然違う」

 喜んでいる。そしてそれが、僕は嬉しい。

 理由なんて判らない。ただ鬱陶しいだけだったはずの馬鹿女が喜んでいるということが、何故か嬉しいような気がしてしまう。

 僕は川瀬に振り回されているのだろう。論理的に有り得ないことだが。

「ナニナニ。おはよう……て、たったこれだけ?」

「何よ悪い? てか、ヒトのスマホ覗かないでよ」

 まともに会話を交わしたことはない。何より、僕は川瀬を見下している。うるさくて勉強も出来ない馬鹿女だと。

 メールのやりとりも、おはようとおやすみだけ。視線の痛みと引き換えに、僕は日に二度のメールのやり取りをしてやっている。

 それだけだ。それだけの、はずだ。

 川瀬は鬱陶しい。川瀬は馬鹿女。川瀬は。

「誰なのこれ? メガネの絵文字じゃ名前判んないじゃん」

「秘密秘密」

 僕にとって、何なのだろう。

「さてはユリ、こないだの合コンで良いヒト見つけたな?」

 一方的に送りつけられたメールの山は、僕にとっては険しくて。

「違うってば。こないだの白高生、冴えなかったんだから」

 流し読みだけして、残している。

「嘘だあ。合コンでしょ?」

 捨てずに取って置いているのは何故か。

「だからホント違うってば」

 声を逃さず聞き取ろうとしてしまうのは何故か。川瀬のことばかりを考えてしまうのは、何故か。

 面倒で鬱陶しくて、関わりたくないはずなのに。

「でもさ、カレシでしょ?」

 気になる。川瀬の声が。川瀬の考えが。川瀬の一挙手一投足が。

 この感情のからくりが判らない。理屈を伴わない行動は苦手だ。僕は川瀬が嫌いなはずなのに、川瀬の行動が気になって仕方がない。

 気を紛らわせるために携帯電話を操作し、川瀬からのメールを見た。くだらない、他愛のない内容。

 ――今日は暑いね。宿題終わった? 電話番号教えてよ。

 内容なんて物はない。どうでもいい言葉の羅列。明らかに間違った文法に、意味不明な絵文字の数々。それなのに、僕は。

 僕は、有り得ないことに。川瀬が気になって仕方がないのだ。

 全く以って必然性のない感情。電波による拘束に、僕は心地好さすら感じている。

 有り得ない。

「違うって。アタシ、カレシいないもん」

 有り得ない。

「えー嘘だあ」

 有り得ない。川瀬は馬鹿でうるさくて、勉強の妨げにしかならなくて。

 僕は参考書の文面を目で追いながらも、川瀬のことを考えていた。川瀬の吐き出す言葉に、何故か一喜一憂している。

 理屈がない。僕は視線から解放されたかっただけで、川瀬のことは。

「本当だって」

 そういえば。僕は何故、川瀬のイヤホンジャックアクセサリを覚えていたのだろう。突き刺さる視線とともに、記憶に刻み込まれていたのだろうか。

 ふと、参考書に書かれた文字が目に入った。源氏物語の冒頭の一文。

 ――いづれの御時にか。時めきたまふ。

 いつの御時世だか。御寵愛を受けている。

「だってユリ好きな人いるって言ってたじゃん」

 いつの間にか、僕は。

「アタシそんなこと言った覚え全っ然ないけど」

 ときめきを、感じている。

 違う。現代語訳はそうではない。時めくは、御寵愛。目を掛けて貰うこと。寵愛は、特別に可愛がることで。

 要するに、僕は。

「で、好きな人って誰なのよ?」

 川瀬に時めいているのだろうか。

 論理的に考えて有り得ない事態に、僕は今、陥っている。

 有り得ないと否定すればするほどに。僕の頭は目の前の古文ではなく、川瀬のことで溢れていく。まともに話したこともない、ただの馬鹿女のことで。

「だから、アタシいないってば」

 僕は何故、川瀬に睨まれていたのだろう。僕は何故、川瀬の持ち物を覚えていたのだろう。

 僕は何故、川瀬が気になって仕方がないのだろう。

 夏休み中に遣り取りしたメールの山が、僕を呪縛する。嫌な感覚ではないが、心地好さとも懸け離れていて。

 落ち着かない。

 時めいているのだろう。あの馬鹿女に、僕は。

 感情は理屈ではないと、前に読んだ本に載っていた。あの時に理解出来なかった意味を、僕は今、身を以て実感している。

 携帯電話のアドレスを教えたのは、何故だったのだろう。

 初めから、僕は。有り得ないことだが。川瀬の視線に期待していたのかも、しれない。

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