Know/知っている
私の嫌いな夏が、本格的にやって来た。
明日からは夏休み。私にとっては学校よりも忙しい、塾通いの日々が始まる。
「小野さん。はい、通知表」
教壇に立つカトちゃんから、白く地味な紙を手渡された。中身の結果は予想が付く。
若干良いけれど、普通。全ての教科が四か三で、技能科目は惨たんたる状況。いつもそう。足を引っ張るのは決まって。
「ねえねえ小野っちょ小野っちょ、それ見してよ」
努力ではどうにもならないことばかり。
「何で長嶺なんかに見せたげなきゃなんないのよ」
何でもそうだ。勉強も、山口も。
「良いじゃん学級委員同士なんだし」
「何それ、まったく関係ないっての」
私の願いはいつだって叶わない。
「大体ねえ、あんたのおかげで私がどんだけ苦労したか」
一学期は今日まで。委員長は今日まで。小野っちょは、まだ呼ばれ続けるような気がするけれど。
「俺だって頑張ったっしょ? ほら、修学旅行のとかさ」
「知らんわ」
終業式なんて嫌いだ。成績は確認する必要もないくらいに変動がないし、妙に浮かれたこの空気感も苦手で。
なにより、私は夏が嫌い。
「ケチ」
「うっさい馬鹿」
蒸し暑い風が、嫌な記憶を呼び起こす。いつまでも明るい空。日が短ければ良かったのに。
薄闇ならば、見ずに済んだ。知らずに済んだ。片思いのままで、いられたのに。
「操も変なのに絡まれて大変だね」
後ろの席の矢島真央が、笑顔で口を開いた。操、と呼ぶのは彼女だけだ。それほど仲が良いわけじゃないけれど、同じ小学校出身だからか、自然と親しみを感じてしまう。
「そうなのよヤシマオ。全く長嶺には参っちゃうわ」
言いながら席に着く。私がもし矢島真央だったら、山口に告白していただろうか。振られることが判っていてもなお、ぶつかることが出来ただろうか。
矢島真央みたいに女の子らしかったら、或いは。
「もしかして長嶺ってさ、操のこと好きなのかな?」
笑顔のまま、矢島真央が衝撃的なことを口走る。まさか。有り得ない。
「な、わけないって」
何でも恋愛に絡めて考えるのは、悪い癖だ。矢島真央の、私の。そしておそらく、クラスの女子全ての。
私たちの年代の女子にとって、恋愛は、ひょっとしたら勉強よりもずっと大事なことなのかもしれない。
気付いたら頭がいっぱいになっていて、思いがどんどん膨らんで。けれど。
「えー。そうかな?」
気付いたら好きになっていて、思いを告げぬまま失い。感情だけが、彷徨い続けてしまうのだ。
手を繋いで仲良く歩いていたからといって、恋人同士とは限らない。何度も自分に言い聞かせたし、納得しようと試みた。けれど上手くいくはずもなく。
「だとしたら迷惑だっつの」
恋愛未満の感情が、そのまま失恋未満にシフトしただけで。
――いっつもへらへら笑ってばっかで、うざい。
思ってもいない一言を取り消したい。なかったことにしたい。一方的で醜い感情。私の中に潜む悪意が暴発しただけで、本当は。
「そうかな? 長嶺、なくはないと思うけど」
「ないよ。だってうざいもん」
本当は逆。本当は、山口の笑顔に惹かれていた。いつも笑顔でおっちょこちょいで。だからこそ、たまに見せる真面目な表情が際立って。
勝手に苛立って、勝手にぶつけて。一方的に決別したのは私だ。どんなに頑張ったとしても、一年前が戻ってくるはずもないのに。
「でもあたしは島本一筋だけどね」
はにかんだ笑顔で彼氏自慢をする矢島真央が羨ましい。もしも去年の夏に戻ってやり直すことが出来たなら、私は。
本音の方を、伝えられるだろうか。
「はいはい」
いや。たぶん、きっと。今と同じ結末が待っている。
「暑い暑い」
私は何も出来ない。私には何も向いていない。恋も勉強も何もかもが、私には上手く運べない。
本当は判っている。本当は知っている。全てを状況のせいにして自分で努力することを怠っているだけなのだ、と。
可愛くなりたい、とは思ってもそのための努力はしたくない。足が速くなりたい、とは思ってもそのための努力はしたことがない。
勝手に僻んで、勝手に嫉んで。
勝手に苛立って、勝手に離れて。
「何よもう」
あの光景も、私が勝手に思い込んでいるだけなのだと、信じる努力を怠った。
流されて、流され続けて。山口に当たり散らして、離れて。それでも同じクラスになりたいと願って。
「夏なんだし操もさ、カレシ作れば良いんじゃない?」
「ヤシマオみたいにうまくいくとは限らないってえの」
山口には、あの子の方が似合っている。私みたいな可愛くない子は似合わない。
「だから、長嶺は?」
夏は、嫌い。
「絶対嫌だっつうの」
山口と後輩が仲良く歩いているのを見たから。
「えーないかなあ?」
山口に酷いことを言ったから。
「ないね、絶対ない」
失恋したから。周囲のせいにしていたから。私の知りたくない部分を、知ってしまったから。
努力なんてしない。流されるままに、私は。
「私はああいうタイプは嫌いなの」
知識だけを、蓄え続けている。




