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Jail/拘置する

 家の中が拘置所だとしたら、学校は娑婆だろうか。

 夏色の陽光差す昼休みの教室で、俺はそんなことを考えていた。

「馬鹿だな寺田。アイマイミー?」

「マイン?」

 とりあえず俺は今、笑えている。

「正解。んじゃ、シーハーハー?」

「シーズ?」

 拘置された状態でも、笑えるのかもしれないが。

「不正解」

 実際の拘置所には、当然だが入ったことはない。だから実際のことは判らない。判る必要もない。

 親友の頭を軽く小突き、俺は一年のときの英語の教科書をわざとらしく机に置いた。

「何で覚えてねえの?」

 俺は今、友人の勉強をみてやる優しい優等生を演じている。いや、手は出すし口は悪いしで、あまり優しくはないかもしれないが。

「だって必要ねえし」

「必要あるってえの」

 あまりにも無残な期末テストの結果を受けてか、寺田が俺に勉強を教えてくれと懇願してきたのが一昨日。どの程度のものかを確かめるために適当なテストをやらせたのが昨日。

 そして今は、引き受けたことを後悔している。

「良いか? こんなもん基本だ基本」

 冗談半分で言っていたが、本気で金を取ろうかとすら思う。

「だよな、長嶺?」

 英語だけは得意な長嶺に、同意を求めてみた。

「確かに基本だな」

 英語の成績だけなら、長嶺は俺とタメを張れる程度には良い。一年のときはそれ程ではなかったので、おそらく二年になってから伸びたのだろう。

 二年時の長嶺のクラス担任は、加藤。今も加藤。一年のときの英語科担当は別の教師だった。

 判り易い奴だ、全く。

「な? 基本基本」

 俺は腹の底では長嶺を嘲笑し、しかし表面では談笑している。

「でも英語なんか必要ねえし。日本語だけで良いだろ」

 本気で嘲笑されるべきは、俺の方だというのに。

「じゃあ何か? お前は一生、日本から出ない気か?」

 担任教師への恋慕の情は、禁忌ではないが。

「出ないね、絶対に」

 姉への情は、赦されない。判っている。俺は、異常だ。

「ビークワイエット」

 俺を捕らえるのは、姉。俺を縛り付けるのは、姉。

「は?」

 島本奈緒が、俺を狂わせる。

「黙れ」

 そして俺は、それに逆らおうとはしていない。真綿で首を絞めるような、緩やかな拷問。しかしそれは、とても心地好く。

「何?」

 俺は抜け出す気にはなれない。抜け出す気には、ならない。

「頭のビーは命令形。クワイエットは黙る。ドゥユーアンダースタン?」

 欲望が絡まり、真綿は既に綿ではなく。

「ノー」

 鉄条網。少しでも動くと身体に食い込み、傷付き、血が流れる。

「じゃ、ユーアーソー馬鹿だな」

 暴かれない完全犯罪を取り締まれるのは、姉という名の女、ただ独り。俺は自宅という名の拘置所で、愛しい看守に見守られ。

 日々欲望を募らせる。

「馬鹿じゃねえし」

 完全に不貞腐れた様子で、寺田が窓の方を向く。こいつは最近、隙を見付けては屋外を眺めている。俺にとっての娑婆が学校に存在しているように、寺田にとっては屋外が娑婆なのだろうか。

 誰もが皆、何かに拘留されている。自由を求め、進み、立ち止まり、生きている。呼吸をするように誰かに惹かれ、眠るように思いを募らせ。罪を背負い、欲を吐き出し。

「いいから、ほら」

 寺田の視線の先に広がる青空のあまりの眩しさに目を細め、呟いた。夏の日差しは鋭く強く、俺を責める。赦されざる罪を責める。

「レッツスタディ」

 夏休みは目前。ひと月以上の拘留期間が迫っている。俺の娑婆は姿を失い、家に拘束される日々。保ち続けた島本正喜の仮姿が、崩壊しかねない日々。

 受験生である以前に、俺は。

「イングリッシュ」

 俺は、ただの。

「オッケー、了解」

 ただの、欲にまみれた犯罪者だ。

 裁かれるべきは俺であり、判決を下されるべきは俺。夏の日差しも高い空も、全てが有罪と宣告していて。

 逃れようのない完全犯罪は、俺を拘束することで罪を償わせようとしている。しかしそれは、罪を増長させるだけで。

「んじゃ、まずこの文の意味は?」

 抑止には、繋がらない。

「……ホウが、彼女の、タウル?」

 俺の自我の崩壊が、下された刑罰というのであれば。

「彼女の身長はどのくらいか、だよ馬鹿」

 効果は、あるのだろう。

「ハウは、どうとかそういう意味」

 姉を巻き込む最悪の形で、刑が執行されても良いのであれば。

「タウルは?」

 俺は喜んで刑罰を受け入れよう。失うことは、怖くない。

「トールな。長さ」

 初めから手にすることの叶わない全てを失うことは、怖くない。怖いのは。

「あ! ホウトールで身長聞いてんだ」

 俺が俺でいられなくなること。この場に戻れなくなること。

「そ。いい加減覚えろよ寺田」

 進みたいはずの俺は、同時に留まりたいとも願っている。

 押し潰されそうな罪悪感は、学校にいれば感じずに済む。拘置所よりは、娑婆の空気の方が良い。それなのに姉と同じ進路を辿ろうとしてしまうのは、拘置所に居続けようとしていることに他ならず。

 要するに俺は、逃れる術を求めてはいないのだろう。

「あ、じゃ、ホウマッチ、は?」

「値段とかが幾らかっつうこと」

 西高に進むこと。姉と同じ空間を共有すること。

「なるほど。じゃ、ホウオールドは?」

「何歳か。てかホウじゃなくてハウな」

 姉に監視され、姉を監視する。夏休みの期間より長く、永く。永遠に。

「ね、島本!」

「は? 俺?」

 唐突に、聞き慣れた高い声で名を呼ばれた。振り返り、声の主を睨む。

「あたしにも勉強教えて」

 うるさい。一時期解放されていたにもかかわらず、最近はまた矢島が絡んでくる。どういう心境の変化かは判らないが、昼休みに長嶺たちと話しているときですらこのように声をかけてくるのは、鬱陶しい以外の何者でもない。

 無視をするべきか。しかし、優等生の仮面がそれを許さない。

「寺田のレベルに合わせてっから、矢島にゃ意味ないと思うよ」

 苛立ちのベクトルを全て笑顔に集約させ、仮面を貼り付けた。

「大丈夫、大丈夫。意味あるってば。あたしも結構馬鹿だしさ」

「いやちょっと待てって。僕はそこまで馬鹿じゃねえっつうの」

 向こうがその気なら、俺にも考えはある。自ら看守に名乗りを挙げるというのなら、俺は。

「……ならさ、矢島も一緒にやる?」

 利用してやる。仮釈放のお目付役に選んでやるよ。

「やるやる。よろしくー」

 独りで罪を抱えるよりは、吐き出す相手がいた方が、きっと。

「オッケー、じゃ座れよ」

 きっと。俺の刑期が、永くなる。

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