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虚構家族  作者: はんどろん
高校生期
7/8

07.

 普段にこにこしている人間ほど信用ならないと言っていたのは、確か母ではなかっただろうか。そういう人ほど、逆鱗に触れてしまった時にどの様な言動に出るのか予測もつかないのだ。

 アデルは冷蔵庫に背中を押し付けたまま内心びくびくとしていたわたしを暫く眺めたあと、小さな溜息を吐いた。それにさえ恐ろしさを感じたわたしは、かなり気が小さくなっていたのだろう。

 けれど怖いと感じつつも、同時に目の前の子がどの様な怒り方をするのか少しの興味もあった。わたしは母のことを抜きにしても、恐らく彼のことが苦手になっていたと思う。良い面しか見せない彼の負の感情を見れば、それも少しは変わるかもしれないという自分自身への期待もあったのかもしれない。

 けれどそんなわたしの期待を裏切って、アデルは先ほどまで露わにしていた感情を跡形もなく消し去った。それが本当に凪いだからなのか、それとも隠したのか判断できずにわたしは戸惑った。

 今度は少し困った様な笑みを浮かべたアデルの様子を窺っていると、彼は髪をくしゃくしゃとかき回した。いつも冷静沈着な彼にしては珍しい行為だ。

「千花に対して怒ってる訳じゃないんだよ。でも、あの人には近づかないでほしい」

「もともと近づくつもりもなかったけど……なんで?」

 明らかに何かありそうな口調にわたしは眉を顰めた。今日接しただけだと、少しずうずうしいだけの普通の人間に見えたのだが、もしかするとあの人は相当悪い人物だったのだろうか。それとも、まさかとは思うがアデルが何か弱みを握られているのか。

 何にしても普段あまり負の感情を覗かせないアデルがあからさまな態度をとるほど、今日会ったあの小崎という男は、カフェではそう見えなかったけれどアデルに嫌われているのだろう。

 アデルは笑みを引っ込めると、何を考えているか分からない表情で見つめてきた。そしてふと視線を逸らすと口元を右手で覆い、言いにくそうな顔で話した。

「実は、相当な女好きなんだよ、彼。人好きする性格と容姿だから、女の子の方も気付かないうちに仲良くなっちゃって食い物にされるんだ」

 わたしは目を円くした。食い物という言葉の意味は勿論理解していたが、アデルの口からその言葉を言われると何故か相当違和感があったのだ。

 小崎に関しては、彼が見た目通り軽かろうがなんだろうが、やはり今後関わるつもりもないのでどうでも良い。

「そうじゃない様に見せるのが上手いから、騙される子が多くて……千花が心配なんだよ」

「別に心配されなくても、騙されることもないし今後関わることもないから」

「だったら、約束して」

「うん?」

「次もしあの人と会っても無視するって」

 なぜそこまで嫌なのか。小崎がアデルに嫌われる理由が気になって、特に興味もなかったというのに逆にあの男に興味が湧いてきてしまう。もしかすると、好きだった女の子を彼にとられでもしたのだろうか。彼に限ってそんな、まさか。

 この時には、先程まで感じていた恐怖の様なものはもう露ほども残っておらず、わたしは沸きあがってくる好奇心に目の前の人物を見つめた。

「アデルがそこまで嫌がるって珍しいよね。なんかあったの、あの人と」

 言いながら、そもそも心配だからと言って、アデルにそのような口出しをされる筋合いはないのではと気付く。

 こんなことを言ったらまた話がややこしくなりそうなので口にはしないけれど、近所でばったり会ったということは、あの人もこの付近に住んでいるのではないだろうか。いかにも普段着という感じで気の抜けた様子で歩いていたのだから、その可能性は大いにある。だとすれば、また今日みたいなことがないとは言えないのだ。

 わたし自身、あの人を面倒くさい人と認識したので、そうなれば出来る限り避ける様がんばるつもりだが、好奇心に負けてしまいそうだ。アデルが外の人にどの様に評価されているか、どの様に見られているか大体の想像はつくけれど、あの人はもしかするとアデルの違う面をも見てる可能性があるのだから。

 アデルは何ともいい難い微妙な顔をすると、わたしからすっと離れて後ろを振り向いた。彼に隠れてわたしからは小さな足元しか見えなかったけれど、いつの間にかそこには弟が立っていた。アニメはどうしたんだろうとカウンターから見ると、ちょうどCM中の様だった。

「どうしたの? ちか、アデル」

 最近では弟もわたしのことを名前で呼ぶことが多い。母もアデルもわたしの名前を呼ぶので、自分もそう呼びたいとなったらしい。わたしとしては弟になんと呼ばれようと可愛いものは可愛いのだけど、少し淋しい。

 わたしが返答に迷っていると、なんでもないよと言ってアデルが弟を抱き上げた。

 アデルは年齢よりも随分と大人びて見えるけれど、その姿はまだまだ少年の域を出ていない。弟を抱くその姿は立派な兄で、父だという事実を忘れてしまいそうになる。

 本当に、この子は将来どうするつもりなのだろう。父だという事実と共に、わたしは最近では彼が別の「どこか」から来たことさえ忘れがちだ。

 なんだかんだ言って、わたしは彼の感情に興味が湧くくらいには、彼を家族として興味を持っていることが今回、自分でも解った。もしかしたら隠されたものを知りたいという好奇心だけかもしれないけれど。でも、わたしは他人だと思っている人の将来を気にするほど、自分がお人よしでもないことも理解している。どちらかと言えば薄情な方だろう。興味のない人はいつもすぐに頭の中から追いやってしまうのだから。

 アデルと、彼に抱きかかえられた弟がソファに座るのをカウンターの内側から見守りながら、ついため息を吐いた。

 目の前の光景がわたしにとって「普通」のことになってきてしまっている。その内情はとても普通とは言い難いものだというのに。今でこうなのだから、わたしも将来どの様な感情を持つことになるのか、自分のことながら予想もつかない。

 少なくとも、数年前には絶対に受け入れることができないと思っていた存在を僅かではあるけれど受け入れつつあるのが現状だ。





 数日後、予想通りと言うべきか、わたしは特に望んでもいなかった小崎との再会を果たした。

 彼の姿を見つけたわたしの行動は、遅かった。学校帰りにスーパーに寄ったので、両手が満杯に詰まった袋で塞がれていたのだ。逆にわたしに気付いた彼の動きは速かった。数年来の友人に出会ったかの様な笑顔を浮かべ、気軽にひらひらと手を振りながらやってきた彼はわたしの前に立ち塞がると、さっとスーパーの袋を奪った。

「久しぶり」

 久しぶりでもなんでもない、この間も道で会ったばかりだ。そうつっこみそうになったけれど、無難に「お久しぶりです」と返しながらスーパーの袋を奪い返そうとしたが、彼はひょいとかわすと眼鏡の奥の目を細めてにっこりと微笑んだ。この間出会った時と少し違うが、今日も縁の分厚い眼鏡にところどころ跳ねた髪をしている。恐らくこれが彼の標準スタイルなのだろう。 

「重いでしょ、家まで運ぶよ」

「暇なんですか」

「暇なんだ」

 思わず口から突いて出た言葉に、彼は気にした様子もなくへらっと笑って答えた。 

「結構です。この位の荷物、慣れてるんで」

 まあまあ、と言いつつ小崎は勝手に歩き出した。わたしは慌てて追いかけて彼の隣りに並んだ。もう一度袋を取り戻そうとしたが、しっかりと握られた手は離す気はないと物語っていた。

 正直、調子に乗って買いすぎたと少し後悔していたので、運んでもらえることはありがたいのだけれど、相手は面倒くさいと感じていた人物である。けれど遠慮の応酬も好きではない。重みで手が千切れそうだと思っていた荷物だけれど、見たところ軽々と持っている様なので、ここはご好意に甘えようと早々に諦めた。

「ありがとうございます。じゃあ、お願いします」

「団地を抜けて行き止まりを右に曲がったとこのマンションだよね」

「……なんで知ってるんですか」

 思わず不審な目で見上げると、小崎は苦笑を滲ませた。

「アデルに聞いた」

「あの、それってアルバイト先のカフェの人は大体知ってることなんですか?」

「ううん? 多分知らないんじゃないかなあ。あいつ自分の情報あんまり話さないし」

 一瞬ひやっとしたけれど、その言葉に少し安堵した。カフェのアルバイトの女子たちにだって家の場所は知られたくない。全てはわたしの想像上のことだけれど、カフェにいる女性客やアルバイトの女性の目線を見ていれば、少し仲良くなっただけで家に押しかけてこられそうで怖ろしい。それがアデル一人の家なら問題ないけれど、家には母も弟も、わたしもいるのだ。

 けれど小崎だけが家の場所を知っているということは、彼はやはりアデルと仲が良いのだろうか? アデルは彼を嫌っている様だったけれど。

 忘れかけていた好奇心が再びむくむくと膨らんできた。

「あの、小崎さん」

「あ、名前覚えててくれたんだ。意外」

「どういう意味ですか……あの、アデルとは仲が良いんですか?」

 小崎は眉尻を下げると、うーんと唸りながら目だけで空を見上げた。

「アデルには、嫌われてるっぽいからなあ。俺は好きなんだけど」

 その曖昧な回答で、わたしの疑問符は一気に増えた。アデルが彼を嫌っているのはやはり間違いないらしいが、だったら何故アデルはこの人にそんな身内のことまで話してしまったのだろう。それとも、最初はそうでもなかったけれど、鬱陶しさのせいで最近嫌われた?

「アデルって、もしかしてカフェで好きな女の子でもいました?」

 小崎が急に立ち止まったのでわたしも立ち止まると、彼は奇妙な生き物でも見るかの様に目をまん丸にしてこちらを凝視していた。

「どうして、そう思うの?」

「アデルが好きだった女の子が、実は小崎さんのことを好きだったとか……」

 口にしながら、我ながらなんて想像だと思った。しかしわたしに思いつく可能性なんてこれ位である。鬱陶しいだけの男なら、アデルはわたしと違って上手くあしらってしまうだろう。

「正直、外にいるあの子をあんまり見たことがないんで、あの子がどんな理由で人を嫌うのとかも予想があまりつかないんです」

 小崎は何かを考える様に目線を上に向けたあと、小首を傾げた。

「別にカフェに好きな子とかいないと思うよ? 俺が嫌われたのは多分俺がちょっかい出しすぎたせいだし」

「……ちょっかい、ですか?」

「うん」

 やっぱり鬱陶しかっただけなのか。だとしたらこの人はどれだけ鬱陶しいことをしたんだろう。アデルをも退かせる程のものなんて逆に少し興味はあるが、関わらない方が良い程やはり面倒な男と言うことなのかもしれない。

「小崎さんって、もしかしてここら辺にお住まいなんですか?」

「うん、君のとこのマンションと一応同じ通りなんだけど、突き当たりを左に行ったところにあるんだ。よかったらまたアデルと遊びに来てよ」

 嫌われると言う自覚があるのに、この人はどれだけアデルが好きなんだ。嫌いだと思っている人間の家に自ら出向く人はそうはいないだろう。

 冗談か本気か分からない言葉に若干引きつつ、見えてきたマンションにわたしは思わずほっと息を吐いた。好奇心があった為か、以前ほどの面倒くささは感じなかったけれど、やはり疲れる。

 彼は断るわたしの言葉など聞かず、お節介にも部屋まで運ぶと申し出てくれたが、わたしが土下座しそうな勢いで懇願すると、エレベーター前でようやく荷物を渡してくれた。決して遠慮したわけではなく、ただ単に部屋の場所を知られたくなかったのだ。それに数日前のアデルの様子を思い出すと、万が一部屋の前でばったりなんてことがあったらと、想像するだけで背筋に悪寒が走る。マンションの下でいるだけでもひやひやとした思いをしたのだ。

 思っていたよりも近所だったので難しいかもしれないけれど、家の場所は分かったので、先日や今日みたいに道でばったりという事態をある程度は回避できるだろう。


 と、思っていたのが甘かった。数日に一、二回という驚く程の確率でわたしはこれから先、何度も小崎と道端で顔を合わせることとなったのだ。

 何度も会っているうちに、馴れ馴れしさは気にならなくなった。あまりにも顔を合わせる頻度が高いので、途中からわたしは彼に対しての見方を切り替えることにした。ご近所の奥様か、クラスメイトの様な存在だと思うことにしたのだ。彼らは毎日顔を合わせ、ある程度の干渉はあるけれどそこまでで深くは関わってこない。

 彼がわたしに対して興味がないことは、何度か会ううちに何となく気付いていた。さも興味のあるふりをして話しかけてくるが、いつも彼の話は結局アデルのことに繋がる。

 一ヶ月を過ぎる頃には、わたしは何故か彼の恋の相談相手となっていた。


 


 


 









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