表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚構家族  作者: はんどろん
高校生期
6/8

06.

「こんにちは」

 学校帰りのことだった。もう少しで家に着くかというところで声を掛けられ、わたしは目を円くさせたあと、思わず周囲を見渡し、もう一度声を掛けてきた人を見た。

 明るめの茶色の髪は癖毛なのか寝癖なのか判断しがたい、なんとももっさりした髪型をした若い男だった。Vネックの白いTシャツの上に丈の長いカーディガンを羽織り、細身のパンツと編み上げのショートブーツを履いている。一見お洒落ではあるが、見ようによってはいかにも起きて直ぐに家を出てきましたという風にも見える。分厚い黒縁の眼鏡をかけているせいか、若いことは分かるが年齢の判別はつけ辛い。

 知らない人だ。恐らく人違いだろうと思い、わたしは会釈だけ返すと横を通り過ぎようとした。さっさと家に帰って夕飯の準備をしたい。今日は母の職場の飲み会ということなのでアデルと弟とわたしの三人の食事になる。弟のリクエストでビーフシチューを作ることになったのだが、あれは手間も時間もかかるのだ。

「山峡さん、山峡千花さん」

 後ろから先ほどと同じ声で呼び止められて、わたしはぎょっとした。やはり知り合いだったのかという考えが一瞬頭を掠めたが、それにしても姓名で呼ぶなんて怪しさの方が勝っている。知り合いは恐らくそんな呼び方をしない。

 まだ明るいが人通りは少ない道だ。いざという時に逃げ出せるだろうか。いや、コンパスの長さを考えても走ってもすぐ掴まりそうだ。

 わたしは肩にかけていた学生鞄を両手で抱えると、ゆっくりと振り返った。いざとなったらこれで殴ってやろう。幸い今日は辞書が入っている。

 男は不思議そうに小首を傾げていたが、すぐに合点がいった様に「ああ」と声を洩らした。わたしの警戒心に気付いてか、それ以上は近づいてこない。なぜかおもむろに眼鏡をとり、髪に手櫛を入れて前髪を掻き上げた。端整な顔立ちが浮き彫りになり、それが先日出会った人物のものだと気付くと、わたしは少しだけ警戒心を解き、思わず首を傾げた。何故彼がわたしの名前を知っているのだろうか。そもそも、わざわざ呼び止められるほど仲良くもないし、接触もしていないはずだ。

「ああ、覚えてないですか。ほら、先日カフェで会いましたよね」

「いえ、覚えてますよ。ただ、どうしてわたしの名前を知ってるのかと……」

 わたしを名指しで呼び止めたのは、アデルのアルバイト先であるカフェの男性店員だった。確か一緒に行った子が彼目当てだったとかで印象に残ってはいたが、先日のチャラついた雰囲気とは随分違ったので気付けなかったのだ。

「アデルに聞いたんですよ」

「あ、そうですよね」

 彼がわたしの名前を知っている理由なんて考えればそれぐらいしかない。けれどどうして呼び止める。わたしのことをたとえアデルから聞いてなんとなく知っていたとしても、知り合いでもないのに呼び止めるなんて、もしかすると割りとずうずうしい人種なのだろうか。

 勝手な推測ではあるが、そういう人種が苦手なわたしは思わず後ずさりしたくなるのを踏み止まった。

「あー、急に呼び止めてしまってすみません。アデルに話を聞いて、勝手に親近感みたいなものを感じてたんですけど、実は一回ちょっと会っただけでしたもんね」

「……アデルとお友達なんですか?」

「そんなもんです」

 そんなもんとはどんなもんなのだろうか。知人か友達と呼べるほどなのか……と言ってもわたしもその境界がよく分からないので言及はしない。そもそもアデルと彼が友達かそれ以下なのかなど、わたしには到底関係のないことなのだ。それよりも今は早く帰りたい。

「そうなんですね。弟がお世話になってます。これからもよろしくお願いします。では」

 そう言って早々に立ち去ろうとしたわたしは、「えっ」という声に足を止めた。

「弟? 兄ではなくて?」

「え……?」

「え?」

 おかしな食い違いに思わず顔を顰めてしまったが、どうやらアデルは年齢を誤魔化していたらしい。よく考えなくともそうだ。最近では大人びているが、アデルは年齢的に言えば中学生だったはず。仕事柄にもよるが、中学生を雇うカフェなど聞いたこともない。

 事実を知った男は相当驚いていた。そりゃああそうだ。高校生だと思っていた、それなりに交流のあるアルバイト仲間が実は中学生だったなんて。

 わたしも驚いたが、それよりも自身の口からその事実が露呈してしまったことに血の気が若干引いた。その行為自体は恐らくとても悪いことだが、わたしが原因でアデルがアルバイトをクビにでもなったら目覚めが悪い。それにアデルはパソコン教室の授業料をアルバイト代で賄っているし、家にもお金を入れてくれているのだ。そのお金が惜しい訳ではないが、それによってアデルが肩身の狭い思いを免れているのであれば流石に申し訳ない気がする。

「中学生だったなんて信じられないな。彼、大人びてるし、それにすっごい仕事できるんですよ。元々、オーナーと山峡さんとこのお母さんが知り合いらしくて、手伝いってことで入ってきたんですけど……何も聞いてない?」

 わたしが頷くと、小崎(こざき)と名乗った男は苦虫を噛み潰した様な顔をした。恐らくわたしも先ほど同じ様な表情をしていたことだろう。知らない人に本人ではない自分が秘密をばらしてしまった時の、どこか気まずそうな顔だ。

 そもそもカフェのオーナーが母と知り合いだったことも知らなかった。どれだけ顔が広いんだ、あの人は。とりあえず知り合いの店でだったら、アルバイトをしても問題はないのだろうか。

「そっかあ。山峡さんの方がお姉さんだったのか……いや、ややこしいから千花ちゃんって呼んでいいかな?」

 わたしは表情を動かさずに頷いた。アデルも今や苗字はわたしと同じ山峡なのだが、彼の名前を呼んでいるのならわたしは苗字でもややこしいことはないんじゃないだろうかと頭を掠めた。けれど、おそらく次に会う機会もないのだから、わざわざ否定する必要もないだろう。

「いや、でもクールだよね、千花ちゃん。店で会った時は分からなかったけど、アデルに聞いた通りだ」

「アデル、わたしのことなんて言ってたんですか?」

 今ほんの少し会話しただけで彼がわたしをクールだと判断した理由が分からない。アデルに接する時もわたしはクールと言うよりは、自分で言うのも情けないが、手のひらで転がされてる感があるのだ。とてもクールではいられない。

 いつの間にか敬語が抜け、さらに馴れ馴れしくなった小崎に別の意味の警戒心を覚えながらも、わたしは尋ねた。彼の口調からするに、アデルはわたしの話をかなりしている様だ。早々に立ち去りたかったけれど、そこは若干気になる。アデルも人の悪口とか言うのだろうか。わたしのアデルに対する態度は顧みてみれば、到底好かれる様なものではない。もしかすると、この間のカフェでの一件も気付いていないふりをしただけで、わたしに対する嫌がらせだったのはないだろうか。

 小崎はにやりと、先ほどまでとは違う種類の笑みを浮かべた。

「結構色々聞いたかな。童顔だけどかなりクールだとか、料理を作るのが好きで同時にストレス発散方法だとか、甘いものは好きだけど栄養バランスとかにも気を使ってるからお菓子はあまり作らない様にしてるとか、弟が可愛くてしょうがないだとか、意外と動物ものに弱くて映画とか見ると必死で泣くの堪えてるとか」

 つらつらと出てくる言葉の途中、わたしはぎょっとして固まった。気付かれてないと思っていたのに見られていたとは。というか、そんなことまで他人に話しているなんて何の嫌がらせだ。ある意味悪口よりも性質が悪くないか。

 わたしの様子を見ていた小崎は一瞬口を噤み、苦笑した。

「あいつって相当シスコンだよね」

「……は?」

 我ながら地の底から湧き上がる様な声だったと思う。今の話を聞いてシスコンと思える根拠はどこに。

 彼が言ったことは全て真実だ。数年一緒に暮らしていたとはいえ、わたしはあまり彼と接触しないように心がけていた。それなのに隠していたつもりのことも見られていたとは。もしかして一緒にいた時にはずっと観察されていたのかと思うと、少しぞっとした。

「あれ……? もしかしてあまり仲は良くない?」

「物凄く良くないです。というか、正直仲が良かったことなんて今まで一度もないです」

 不思議そうに小首を傾げながら訊ねられて、わたしは即答した。小崎は眼鏡の奥の目を大きくさせ、なぜか意外そうな顔をする。

「一緒に寝ていたこともあったって聞いたけど」

 その言葉にわたしはとうとう絶句してしまった。いくらなんでも色々と暴露しすぎではないだろうか。それも自分だけのことなら全く構わないのだが、人様の家でのことを外でぺらぺらと話すなんて。ふつふつと湧き上がってくる怒りに両腕で抱えていた鞄をぎゅっと握った。

 ある程度の悪口程度であれば許容しようと考えていたけれど、よりにもよって人に知られたくないことを喋られるなんて論外だ。中学生の年齢であることをばらしてしまってことを棚に上げて、わたしは心の中で、むやみやたらと美しい顔面を学生鞄で何度も殴りつけた。

「わたしが中学生で、アデルが小学生だった時ですよ。それに、それだって仲が良かったわけじゃないです。アデルが淋しがったから、仕方なくです」

 後半はわたしの嘘だ。これ位の嫌がらせは許されるだろう。アデルは心の底ではどうだったか知らないけれど、まだ幼かったにも関わらず、淋しがる素振りなど決して見せなかった。

 アデルが正直どこまで話しているかは知らないが、家の決まり事は流石に破っていない筈だ。おそらく生い立ちについては設定通り話していると思う。そうでないと辻褄が合わない。アデルは海外で住んでいたが、母に引き取られ日本にやってきた。そして、わたしとは義理の姉弟。

 何にしてもそろそろ潮時だ。これ以上話をしたら襤褸が出る気がしてならない。

 わたしはいかにも時間を気にしていますとでもいう風に、腕時計を気にしてみた。時間がないのは本当のことなのだ。罪悪感は湧かない。

 更に何かを言おうとした小崎は、流石にわたしの様子に気付いたのか口を噤んで苦笑した。

「引き止めてごめんね」

「いいえ。わたしの方こそごめんなさい」

 愛想笑いを浮かべて何に対してか自分でも分からない侘びを入れると、彼は苦笑を晴れやかな笑みにすり替えた。

「またカフェに来てよ。もしアデルがいなかったとしてもサービスするし」

 それはとてもおいしい話だ。わたしは「はい」と返すと会釈して早々に立ち去った。

 カフェには二度と行く気はない。アデルでなくとも、クラスメイト曰く彼も十分な人気を誇っているらしいのだ。あの雌豹の群れの中でアデルは勿論のこと、彼とも親しげに話す勇気はわたしにはない。

 ひらひらと手を振る青年は、会話の最後には以前からの知り合いだったかの様に親しげに喋ってきていた。喋れば喋るほど、こちらが用意した境界線に気付かず近づいてくる人は苦手だ。しっかりと線引きのできる他人の方が好ましい。例えば萱子であれば、線引きの出来ない人でも受け入れてしまう心の広さがある。だからこそ友人は多いし、その友人の種類も様々だ。面倒くさそうな人間でも近づいてくる人を自ら遠ざけることはない。わたしにはそれがない。恐らくわたしは、かなり心が狭い方なのだろう。少しでも苦手なタイプの人と接しただけで、消耗してしまう。

 眉根の皺を伸ばす様に指先をぐりぐりと押すと、わたしは早歩きで家に向かった。




 保育園から弟を連れて帰ってきたアデルを捕まえて、わたしは小崎と会った時のことを掻い摘んで説明した。

 家に着くまでの間にある程度クールダウンできた頭で考えたところ、再び以前の間違いを犯しそうだと気付いたわたしは、とりあえずもう一度頭の中を整理しなおしていた。アデルは義理とはいえ、世間的にはわたしの弟に当たる。その弟が小さな頃に姉と同じベッドで枕を並べていたからと言って、不自然さはない。内情はどうであれ、むしろ大抵の人は微笑ましい光景を思い浮かべるだろう。それに対して口止めをするべきか? 答えは否だ。わたしが恥ずかしいと勝手に思うだけで、何も問題などない。

 アデルには恐らく他人に話せる幼い頃の思い出が殆どない。例えば故郷での思い出話など、一度口に出してしまえばぼろが出やすい。海外のことだと誤魔化し様のないこともきっとある。頭の良い彼は、そのぼろを出さない為に故郷のことは話さない様にするだろう。けれど人付き合いをしていれば、家族構成から昔の話になることも多々ある。そんな時に今の義姉弟の話は適切だ。

 わざわざアデルと話をしようと思ったのは、先日萱子と話していたことをまだ伝えることができていなかったことと、アデルがあの同僚にどこまで話したか一応確認しておきたかった為だった。

 弟は毎週見ている夕方のアニメ番組に齧り付いて、他のことは一切目に入っていない。帰宅してからアニメが始まるまでの間に食事の下準備は済ませていた。

 カウンターの内側でわたしはアデルに一通り話すと、彼の表情を見て目を見開いた。彼は眉を顰めて酷く不機嫌そうな顔をしていた。数年一緒に暮らしてきたけれど、彼がその様な表情をしているのは恐らく初めてだ。少なくともわたしはこの瞬間まで目にしたことがなかった。

 だからか、殆ど無意識に後ずさりしていた。もう見慣れた綺麗な顔は、微笑みのイメージが強かったからか、異様な迫力を感じてしまったのだ。正直に言うと、わたしは自分が言った言葉のどれが彼を不機嫌にさせたのか分からないまま、怖気づいていた。

「……どこで会ったの?」

「家の近所の、通り道にしてる団地の駐車場だけど……」

「ふうん。そっか」

 底冷えする様な声に、わたしは思わず自分の腕を見た。思った通り鳥肌が立っていた。身勝手ながら、これならば普段うさんくさいと思っている笑顔の方がましなのではと思ってしまう。

「あのさ……それで、アデルがどこまで話したか一応確認しておきたかったというか……」

 我ながら情けないほど歯切れ悪く言うと、アデルはようやく薄い笑みを浮かべたが、機嫌の悪さが滲み出ているからか先ほどよりも威力がましていた。

「どうして? あの人とはもう二度と会わないでしょう?」

「そうだとは思うけど、もし今日みたいに道でばったりとか」

「会ったとしても無視すればいいんじゃないかな」

 流石にそこまで非情にはなれない。というよりは、なりたいのは山々だけれど、そんな度胸はない。

 わたしは引き攣りそうになる口の端を何とか意識して止め、アデルを睨みつけた。鳥肌は相変わらずだが、全部無視する。このままでは話が進まない。

「なんでそんな機嫌悪いの?」

 押し殺した声で訊ねれば、アデルは片眉を吊り上げた。返事を返されることもなく何か探る様にじっと見られ、わたしは更に後ずさると冷蔵庫に背中を押し付けた。








 







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ