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虚構家族  作者: はんどろん
高校生期
5/8

05.

 カフェでの一件の後、学校での杞憂していた展開にはならなかったことに一先ずは安心した。

 萱子の友人二人はどうやらわたしとの約束を守ってくれているらしい。ただ、妙な結束感の様なものが芽生えたのか、今までは余り合うこともなかった目線が度々意味ありげに向けられては、無言で頷かれることが増えた。けれど彼女たちはむやみやたらに話しかけてくることはなく、むしろ秘密を守る為に意識して余り話しかけてこないように見えた。

 彼女たちのことをクリアすれば、後はアデルが休みであろうと休みでなかろうとカフェに行かない様にすれば良いだけだ。あそこの美味しいケーキが食べれなくなると思うと残念だけれど、平穏な高校生活を守る為には仕方がない。例え萱子と二人で行ったとしても、万が一アデルと話している姿を同じ学校の生徒に見られては面倒くさい。アデルはあの時謝ってくれたけれど、前科があるから信用はできないのだ。

「なんか面倒くさそうだよね」

 前の席に腰掛けてポッキーを頬張っていた萱子がぽつりと言った。

 何と訊かなくても分かる。昨日の今日だ、きっとアデルのことだろう。わたしは萱子が手に持っている箱からポッキーを一本引き抜いた。

「黙っててごめんね」

 別にそんなことで怒る様な面倒な性格をしていないことは知っているが、一応謝っておく。彼女にも言わなかったのは信用していなかったわけではなく、ただ学校ではそのことを忘れていたいわたしの願望からだった。

 思っていた通り、萱子はどうでも良さそうに首を横に振った。他校に美形の彼氏がいる女子はやはり違う。

「面倒くさそうって言ったのは、あんたの従弟のことだよ。てかさ、本当に従弟?」

 相変わらずずけずけと訊いてくるが、彼女のこういうところは嫌いじゃない。こんな風にさらっと訊かれると、全部暴露してしまいたくなる衝動に駆られたが、どうしても言えないこともある。

 わたしは一部フェイクを入れて話すことにした。辻褄合わせは三人で行っている。アデルは母が海外に行っていた時に預かり受けた子で、その時に母自身も自分の子供を身に宿して帰ってきてしまったというのが一番無難だと三人で話し合ったのだ。そして実はアデルは家で一緒に暮らしていることなどを話した。

 一通りをあくまで簡潔に伝えると、萱子は感心したのか呆れたのか区別のつけ難い表情で溜息を吐いた。彼女はわたしの嘘の答えに首を突っ込んでくる気はないらしく、質問や指摘をしてくることはなかった。代わりにポッキーの箱を差し出してくると、もう一本と勧めるように箱を揺らした。遠慮なく箱から三本抜くと、やけくそ気味に噛み砕いた。

「身内のあんたに言うことじゃなかもしれないけど、にこにこ笑ってる割に馬鹿に見えないっていうか……悪いけど良い意味じゃなくて、隙がないというか。腹の底が見えないというか」

 何というか、彼女の言葉は本当にわたしが身内だったらあまり口にすることをお勧めできないような内容だったけれど、わたしは的確すぎるその言葉に心底救われた気持ちになった。地獄に垂れた蜘蛛の糸の様に感じた。

「……萱子も、そう感じた?」

 感極まって彼女の手を掴んでしまいそうな衝動を抑えながら、わたしは押し殺した声で訊いた。アデルは立ち回るのが上手い。そう、上手すぎるのだ。彼の交友関係もあまり知らないが、きっとどんなところでも自分を良い風に見せることができる。もう三年近くも一緒に暮らしているけれど、わたし自身、彼の粗を探すのは中々難しい。それがどうもうさんくさく見えて仕方がないのだ。わたしの場合、今まで数々の爆弾を投下されたからそう見えてしまうのかもしれないけれど。

「ううん。なんて言うか、ちょっと面倒くさそうな気はしたかな。あんたが必死で首振ってるの見えてたはずなのに、本当に鈍感なのかなんなのか声掛けてきたし」

 お互いあんまり干渉しない性格のせいか、なんとなく友人を続けてきたけれど、わたしはこの時都合良く心底彼女が友人で良かったと思った。あまり好きな言葉ではなかったけれど、この時ばかりは親友と呼びたくなった。

 アデルと出会ってからの数年間、彼や母に関しての愚痴の吐き出し所は無かったのだ。わたしのストレス発散方法とすれば、無心で料理を作ることと、たまに枕をベッドに投げつけることくらいだった。

 ああ、でもどう話せば良いのだろうか。当然の如く母とアデルのことは伏せるとしても、アデルへの不満というか、よく分からないもやもや感は日々募っている。けれどそれが何なのか言葉にできるほどはっきりしたものではないことに、わたしはこの時ようやく気付いた。

 思い返してみれば、わたしのストレスとなってきた彼の言動は彼自身が悪いものではないのだ。何というか、言葉自身に罪はない。腹に一物抱えている感は否めないが、彼は素直だし、嘘もあまりつかない。カフェの一件は結果的に嘘になった様なものだけれど、そもそもわたしの事情からしていた約束だ。後から謝られたのだから、本来だったらそこまで怒る様なことでもない気もする。あの時は腹が立って冷静に考えられなかったけれど、アデルが弟に言っていた通り、一緒に暮らしている、仮にも家族に向かって他人のふりをしてくれと言うなんて結構酷い行為だ。

「知り合いというか、家族ってばれたくなかったんだよね」

「まあ、なんとなく理由は分かる」

 そう言って萱子はまだ教室に残っていたクラスメイトの女子達をちらりと見た。わたしは思わず溜息を吐く。冷静になって口に出せば出すほど、自分自身に落ち度がある気がしてきた。自分の平穏な生活は守りたい。それは多少のことを犠牲にしてでもだ。けれど、他の人の心を踏み躙ってまで守るべきことなのだろうか。

「それってやっぱりアデルの立場からするとちょっと……いや、結構ひどい扱いだよね」

「理由を言ったら理解してくれるんじゃない? 自分が異様なモテ方しているのに気付いてるんなら話は早い気がするけど」

 かなり聡い人種だと思うのだけれど、そこら辺はどうなのだろうか。まあ、自分のモテ具合をひけらかす様なタイプでもないと思うけれど。あまりそういう話もしたことがないので、そういえば彼に本当に彼女がいないのかどうかも知らない。

 というか、建前の理由は告げたけれど一番の理由を抜かして知らないふりをしてくれとしか言っていなかったことに今更気付いてしまった。

 思わず呻きながら机に突っ伏すと、ポッキーの箱で慰める様に頭を軽く叩かれた。せめて手でしてくれないか。



 アデルともう一度しっかりと話をしようと意気込んで帰ったが、彼はアルバイトだったらしく、家には母の姿しかなかった。カフェに寄らないと決めたので、今日の朝はアデルがシフトに入っているかどうかも確認していなかったのだ。弟は同じマンションに住む保育園のお友達の家に遊びに行っているらしい。ちなみに可愛い女の子とのことだが、彼には純粋に育って欲しいと心から願っている。

 母と二人になることは実はこの家族構成になってから滅多にないことなので、かなり気まずい。今まではわたしが二人になることを意識して避ける様にしていたし、アデルも弟も殆ど家にいたのだ。

 早々に部屋に引っ込もうと思い、とりあえずミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から取ると珍しく母の方から声を掛けてきた。

「お隣さんからカップケーキ貰ったから一緒に食べない?」

 わたしは思わず手に持ったペットボトルを落としそうになった。なんだその誘いは。なんとなく部屋で食べると言い難い問いかけに、眉根を寄せた。

「何か話でもあるの?」

 かなりつっけんどんな物言いになってしまったのを少し後悔しながら、わたしは足元に置いた鞄を持ち上げた。

 わたしから滲み出る拒絶を感じ取ったのだろう、母は苦笑した。ここ最近はずっとこんな感じだ。母からの特別の言い訳をわたしは聞いていないし、それをどうしてと思うけれどきっと聞いても納得もできずにまた拒否してしまう。それを母も多分理解しているのだろう。

 わたしの心情を汲んでか、母からわたしに特別近づいてくることはないし、わたしから母に近づくこともないので二人の溝は深まるばかりだ。それでは良くないとは分かっているけれど、今更どうすればいいのかもわたしには分からない。許す立場にあるわたしが動くべきなのだろうか。

 わたしは黙ってミネラルウォーターを冷蔵庫に戻すと、換わりに牛乳をコップに注いだ。鞄をテーブルの脚元に、牛乳の入ったカップを卓上に置き、母の前の席に腰掛けた。テーブルの上に置かれていた綺麗に一つ一つ包装されたカップケーキを一瞥して、けれどそれに手を付けずに母を見る。母は何に驚いたのか知らないけれど、少し目を円くさせていた。

「話っていうほどでもないけど……」

 珍しく困った様に言う母にわたしは少し苛立った。アデルが来る前は、母のこんな顔を滅多に見ることもなかったのに、最近見るその顔はこんな表情ばかりしている気がする。

 母は同級生の母親の中では圧倒的に若くて美人な方だ。わたしはそれをずっと誇らしく思っていたけれど、今ではそれが仇になったのではないかと思っている。母が本当に見るからにおばさんだったら、いくら薬を盛られていたからといってアデルもそんな風に見れなかったのでは。そもそもそんな変な場所に呼ばれることもなかったのではないだろうか。そんなこと、どれだけ考えても無駄なことだけれど。

「最近ふたりで話す機会なんてなかったじゃない。たまにはと思ったのよ」

 そんなことを言われても、わたしはもう以前、母とどの様に話していたのかさえはっきりと思い出せなくなってしまっていた。話した内容は色々と覚えているけれど、その自然さを思い出すことができない。これはわたしの心が決定的に変わってしまったからだろう。

 改めて母との間にある溝に気付かされてわたしは愕然とした。それはもう修復しようもないものに感じてしまったのだ。もっと時間が経ってわたしが大人になるころには、許しはしなくとも少しは自然とこの関係は修復されるものと思っていた。けれど、今その未来が見えない。わたしはそれまで、一体どうやって目の前の人と自然に話し、母として全ての信頼を寄せていたのだったっけ。

「……お母さん、わたし今これっぽっちもお母さんのこと信頼できてない」

 別に母のことを傷つけるつもりはなかった。けれど、今伝えておかないと溝はどんどんと深くなってしまう気がした。それは決してわたしの望むところではない。母はわたしに何も言わないけれど、わたしも母に何も言っていないのだ。

 母は一瞬胸をえぐられた様な顔をしたけれど、すぐにその顔を正した。分かっているとでも言う風に小さく頷き、けれど何も言わない。だからわたしは言葉を重ねた。

「お母さんがいなかった間、どれだけわたしが心配していたと思ってるの。その気持ちを裏切られた。わたしきっと一生お母さんを許せない」

 本当に今更だ。母がお腹に子供を宿し、アデルを連れて帰ってきてから、もう三年近くも経っている。けれどわたしは、その気持ちを口にしたのはこれが初めてだった。わたしの中で燻り続けていたものの正体。事故のようなものだったとはいえ、まだ幼かったアデルとの間に子供を作った母に強い嫌悪感を抱いた。けれど一番わたしが傷ついたのは、七日間母がいなかった期間、わたしがずっと心配してどうしようもなくなっていたのに、その時母本人はわたしのことなど考えていなかったかもしれないということだ。勿論そんなことはなかったのだろうと頭では分かっているし、アデルにも伝えられた。それでも、一度湧き上がった不信感や嫌悪感はこれからもわたしの中に巣食い続けるだろう。

 わたしは一つ溜息を吐くと、卓上に置いた自分の手を見た。

「……でも、お母さんがお母さんじゃなかった方が良かったと思ったこともないから」

 今のところの正直な気持ちだ。母が帰ってきた直後よりも多少なりとも嫌悪感は薄まっている。わたしが意識しない様にと努めた結果と、強い嫌悪感をそのまま抱き続けていたら弟と接することなどできない。弟が生まれなければよかった、できなかった方が良かったとも弟が生まれてからは一度も思っていないのだ。母とアデルのことを否定し続けるのは、弟の存在をも否定しているような気がして罪悪感が湧く。それとこれは別だと割り切るべきだけれど、わたしはそんなに器用ではない。

 それでも、ある程度気持ちを口にすれば少しすっきりとした気分になった。母の気持ちは今更訊かなくてもなんとなく分かっているし、聞いても半分位は多分まだ受け入れられない。

 わたしは母の顔を見ずに、生ぬるくなってきていた牛乳を飲み干すと、カップケーキを一つ手に取りリビングを出た。


 



 









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