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虚構家族  作者: はんどろん
高校生期
4/8

04

「……本当に、ありえないんですけど」

 これまでも彼に何度も言ってきた言葉をわたしは押し殺した声で吐き出した。

 カフェでアデルが去ってからの時間、質問攻めとなってしまったのは言うまでもない。家に帰ってきてからも苛々は治まらなかったけれど、玄関に出迎えにきてくれた弟の相手をしたあと、黙々と食事を作った。アデルが帰ってきたのは、ちょうど食事が出来上がった時だった。それまでにある程度治まっていたはずの怒りは、彼の能天気そうな顔を見るなり再び溢れ出したのだ。

「なにが?」

 笑顔を浮かべたまま不思議そうにアデルは訊いてきたが、その腕に弟を抱きかかえたことでわたしの怒りを押さえようという魂胆は見えている。

 わたしは自分よりも背が高くなってしまった義理の弟を睨み上げると、矛先を前にしながらもそこに突き刺すわけにはいかずぐるぐると渦巻いている怒りを握った拳にぐっと篭めた。

「約束が、ちがう」

「約束? お願いならされたけど、守るとは言ってなかったよ」

 握っていた拳が震えた。視界が狭まるほど眉が寄ったが、怯えた弟と目が合ってなんとか笑顔を作り上げる。……あとで覚えてろ。

「……外で出くわしても話しかけないでって言ったら、うんって言ってたじゃない」

()じゃなかっただろう?」

 ああ言えばこう言う。こいつがこういう性格と分かっていながら「家の外で」と言わなかったことにわたしの敗因はあるが、屁理屈もいいところだ。アデルは絶対言葉の意味を判っていたはず。彼の日本語の疎通度といえば、紛うことなき日本人としては悔しいけれど、高校生になったばかりのわたしを遥かに上回っていたのだから。

 弟の前だからとなんとか怒りを少しでも静めようと小さな深呼吸を繰り返していると、アデルはわざとらしく溜息を吐き、いかにも哀しそうな表情を浮かべた。

「テナ、お姉ちゃんは最近僕にとても冷たいんだ。僕が家族だって、他の人に知られたくないんだって。きっと僕のことが嫌いなんだよ」

 そう弟に訴えたアデルをわたしは信じられないものを見る目で見ていたと思う。口からでまかせ……というわけではなかったけれど、よくもしゃあしゃあとそんなことを言えたものだ。

 けれど人の薄汚いところもまだ知らない弟は、彼の言葉をそのまま受け取った。数度瞬きを繰り返すと、世界の終わりだとでもいう様な悲痛な顔をして、わたしを見てきた。弟は、アデルのことを兄としてとても慕っているのだ。

「ねーね、アデルのこときらいなの?」

 邪気の欠片もない弟の質問へのわたしの答えによって、今後の家族間が大きく変わるのは目に見えていた。弟には出生こそ異質であれ、家庭内でも平穏な生活を送って欲しいと願っているのだ。答えるべき言葉は明確だったけれど、それを口に乗せることにさえ心の中で拒否反応が起こる。今にも泣き出しそうな弟の顔を見つめたあと、ふと諸悪の根源を見るとそこには見事なまでの笑顔があった。その顔を見た途端、嫌いだよ! と叫びかけて、なんとか押し留めるともう一度弟に視線を向けた。

「……きらいじゃないよ」

 かなり妥協したつもりだ。わたしの答えに、純真な弟は愛らしい笑みを浮かべると小首を傾げた。

「じゃあすき?」

 いえいえいえ、好きじゃありませんとも。一度そのむやみやたらと長い脚を抱えて、お美しい顔面をアスファルトに擦り付けてやりたいくらいには。

 心の中で全力で否定しながらも、口では反対の言葉を言うしかなかった。弟の愛らしい笑顔の上で、それはそれは綺麗な笑みを浮かべた顔を心底磨り潰してやりたいと思った。

 夕食が終わると、わたしは母が弟をお風呂に入れている間に自室でアデルと向き合っていた。自室と言っても、今となってはわたしとアデルの部屋となってしまっているこの部屋には、元々のわたしのベッドと後から追加されたアデルのベッドがある。本当に不本意ではあったけれど、弟がいるとはいえまだ彼を監視しておきたかった。悪い意味で、わたしは今でも彼から目が離せないのである。元々十畳と少し広めの部屋を与えられていたことだけは幸いといえた。照明は一つしかないので普段は開けっ放しになっているけれど、部屋の隅にはレールも付け、一応着替えることのできるスペースも作ってあるのでそれほどの不自由は今のところない。嫌でも彼の顔を朝晩と見なければいけないことに不満はあるけれど、自分で決めたことなので仕方がなかった。

「もう少し、ちゃんと約束事を作っておいた方がいいと思うの」

 慎重に、できるだけ柔らかくわたしは言った。先ほどの怒りは一旦心の奥に封印しておく。強固な盾となる弟はいないけれど、それでも口で争うとなるとただでさえ勝ち目が少ないというのに冷静さを欠いてしまえばアデルの思う壺だ。

 座卓を挟んでゆったりとプフの上に腰掛けていたアデルは、小首を傾げた。無駄にきらきらしいその姿と仕草は合っているのだろうけれど、わたしからしてみればわざとらしく見えて虫唾が走るので止めていただきたい。

「例えば?」

「今日みたいに、家の外(いえのそと)でばったり会った場合、やっぱり他人のふりをするに越したことないと思うんだ。知ってる人が少ない方が……ほら、綻びも出にくいし」

 これは本当のことだ。ただでさえ後ろめたいことがあるのだから、それを隠し切る為には知っている人が少ない方が良い。わたしの家族は悲しきかな、いまや嘘で塗り固められた蟻塚のようなものだ。たくさんの視線に晒されれば、綻びも見つかりやすい。

 それにはアデルも納得してくれた様で、神妙な顔をして頷いた。日本で暮らした数年間の内に、彼もこの国の常識などはしっかりと身に付いたようで、今となっては過去の出来事が大きな過ちであると理解している。だからこそテナには愛情を持って接しながらも、それは兄としてでしかなかった。そのことに関して彼自身がどの様な感情を抱いているのかはわたしには分からない。

「どうして今日は話しかけてきたの?」

「……店で会うなんて初めてだったから、嬉しくてつい。迷惑だったならごめん」

 謝るならわたしが首を必死に振った時点で気付けよというのが正直な思いだったが、そう素直に言われてしまえばそれ以上責めることもできない。

 図体は大きいし、頭が良いのも確かだけれど、それでもわたしより年下の少年には違いないのだ。そのところを忘れてはいけないと、わたしは彼と家族となってしまって以来、自分に言い聞かせてきた。同時に彼は何も悪くないとも。それでも、身体が大きくなってしまってからは尚更、彼を見るとむしゃくしゃすることが増えてしまった。

 本当は、アデルが言っていた通りなのだと頭では理解しているのだ。家族となったなら、それを隠すのは、隠される側が望まないことであれば酷いことなのだと。アデルも軽い口調ではあるけれど、もしかすると傷ついている可能性だってある。

 それでも、それでもだ。自分勝手かもしれないけれど、高校生活くらい平凡に過ごしたいと願うわたしの願いは通したかった。学校でも毎朝、休み時間の度、放課後と彼のことを嫌でも思い出すことになれば、発狂してしまいそうなのだ。わたしにだって少しくらい家庭のことを忘れる時間が必要なのである。

「千花?」

 思いがけなく近くから聞こえてきた声にわたしは仰け反った。その拍子にプフから転がり落ちそうになったが、いつの間にか直ぐ目の前まできていたアデルの手に支えられ、何とか醜態を晒すことは避けれた。

「……ありがと。てか近いよ、なに」

 体勢を立て直すと、反射的に掴んでしまっていたアデルの服の裾を離した。つっけんどんなもの言いになってしまったのは仕方がない。

「故郷では女の人が極端に少ないと前に言ったことがあっただろう」

 アデルが故郷の話をするのは珍しいことだったので、わたしは眉を顰めた。正直なところ、彼の故郷の話はわたしの中で母と彼の過ちとセットになってしまっているのであまり聞きたくはない。もしかすると、彼が故郷の話をしなくなったのは、そんなわたしが原因かもしれないけれど。

「だから子供も少なかったんだ。此処へ来て初めて同年代の女の子と出会ったんだよ」

 それがわたしということか。まあ、最初の印象がこんな可愛げもない女だったというのは申し訳ない限りだけれど、今となっては引く手数多でたくさんの女の子たちと出会っているだろうから勘弁してほしい。彼なら年上から年下、綺麗系から可愛い系まできっとよりどりみどりだ。遊びまわるのは感心しないけれど、家の外でさっさと恋人でも作ってくれればわたしの心労も一つは減る。

 なんて、流石にずけずけと言えるわけがないので、わたしは違う言葉を口にした。なんとなく、何かを喋らないとやってられない雰囲気が流れていたのだ。

「……帰りたいと思う?」

 ついて出た言葉は、わたしが数年間疑問に思いながらも決して訊ねようとはしなかったものだった。カフェで彼の姿を見た時あまりにもその姿が異質でありながらその場に馴染んでいたので、再び強く浮かんだ疑問だ。それでいて今、目の前にいる子はどこか淋しそうだったから。

「……僕が望んで、付いてきたんだよ」

 苦笑しながら言われた言葉は、全てがアデルの本心ではない様に聞こえた。それは、彼がその言葉を発する前に何かを言いかけて止めるように口を動かしたからかもしれない。

 当時母のお腹の中にいた弟への責任感からか、それとも母と一緒にいたかったからか。それ以外に何か理由があったのか。何にしてもわたしはこの先もそれについて訪ねるつもりはない。聞いても意味がない。そもそも、わたしはアデルの本心なんて知ろうとも今まで思いもしなかった。これからもできるだけ知りたくないと思っている。

 この数年間の間に、彼について知ったことはいくつかある。母親は旅の人だったため、アデルの物心がつく前には故郷へ帰ってしまっていたこと。父親は高齢だった為、わたしの母が旅の人としてやって来る少し前に亡くなっていたこと、兄弟はいなかったこと、実は年はわたしより一歳下だけだったこと。数年とはいえ家族として暮らしたというのに、たったこれだけ。

 わたしは溜息を吐くと、立ち上がった。

「わたし、大学に受かったらがんばって公務員になるのが夢なんだよね」

「うん。千花らしいね」

 飽きれているようにも見えるような苦笑を浮かべながらアデルは首を傾げた。

「アデルは?」

「え?」

「アデルは、この先どうするつもりなの」

 どうしたいの。言外にそう含んだ言葉を投げかけた。どういう気持ちかなんて、本人がどうしてもぶっちゃけてしまいたいとならない限りは知らないけれど、この先も少なからずともわたしは彼と関わっていくことになる。

 もちろん母ともだ。母への嫌悪感は未だに無くなってはいないけれど、つい数年前まではたった二人っきりの家族だったのだ。簡単に嫌いになんてなれないし、憎しみもない。二人で暮らしていた頃のように戻りたいと度々思うけれど、戻れないとも思う。わたしの心がそれを許さない。わたしはお母さんを許せないし、許してはいけないのだ。

 わたしの質問が何かおかしかったのか、アデルは珍しく虚を突かれた様な顔をしていた。暫くの後、いつも穏やかさと冷静さを崩さない彼にしてはこれまた珍しく瞳を泳がせた。

「もし叶うなら、千花と真奈とテナとこれからも一緒にいたいと思ってる」

 その為に努力するつもりだよ、と言った。

 ふうん、とわたしは相槌を打った。別に彼の言うことを否定するつもりはない。肯定するつもりもないけれど。

 恐らくアデルは、一人立ちしようと思えばいつでもできるくらいまでにはなっている。そう願うのはきっと孤独からだ。逆にわたしは、早くこの家族から離れたいと思っている。アデルがそれを願っても、叶うことはない。

 わたしは、色んな理由を付けては意図的に彼に同情心を募らせている。幼い内に故郷を離れ、帰ることもできない。血を分けた子供はいるけれど、一生それを隠していかなければいけない。彼の本当のことを知っているのはわたしと母の二人だけで、彼はこの先も嘘に塗れて生き続ける。嫌悪感の矛先を母へと向けながら、心の奥では同時にアデルの不幸せさに慰められている。それにふと自分で気付いた時、不快感や怒りとともに、全てを母のせいにする。わたしの心に潜むこんな醜さは、全てお母さんのせいだ、と。

 そんな悪循環が、今だってずっと続いている。こんな状況、どう考えたって健全じゃない。それもあって、わたしは早くこんなことを考えなくてすむ環境に逃げたいのだ。

 















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