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虚構家族  作者: はんどろん
高校生期
3/8

03

 わたしが高校に入学する頃には、弟は自分で歩き、たどたどしいながらも日常会話ができるほどになっていた。生え揃った髪は見事なまでの金髪で、瞳はアデルと同じ色素の薄い緑色だったけれど、困ったことにわたしはこの弟にかなりの情を抱き始めていた。「ねーね」と笑いながら両手を差し伸べられると、思わずぎゅっと抱きしめてしまうくらいには。

 弟はその容姿から『テナ』と日本人らしくない名前を名付けられたが、しっかりとした日本国籍を持っている。母がどういう届出を出したかは分からないけれど、彼は間違いなく書類上でもわたしの弟となった。そして、それはアデルも同じだった。母は此処では出自も国籍さえも不明なアデルを養子としたのだ。色々手続きはややこしそうだったけれど、友人の弁護士に協力してもらったらしい。電話でのやり取りや役所に何度も通っていたということと、彼がわたしの義弟となったことは高校の修学旅行の時にパスポートを取る為の戸籍謄本を見た時に知ったことだった。

 母の息子として人権を得た彼は、手始めにアルバイトを始めた。あろうことか、わたしの高校近くのパン屋を併設しているカフェで。この頃には彼はわたしの身長を軽く超えていた。わたしはあっという間に見上げるばかりにすらりと身長の伸びてしまった彼を憎ましく思っていたけれど、他の婦女子の目にはさぞかし王子様的存在に映ったに違いない。女子高だった為、彼の存在は瞬く間に学校中の知れ渡るところとなり、わたしはそのカフェに滅多と行くことはできなかった。カレンダーに書かれたシフトを毎日確認して、彼が入っていない日だけ稀に友達と寄る程度だった。もちろん、三年間彼がわたしの義理の弟で、ましてや血の繋がった弟の父親などということは口が裂けても言うつもりはなかったし、アデルにも釘をさしておいた。もしどこかでわたしとばったり出くわしたとしても、他人のふりをしろと。だから、少しだけ安心していたということもある。もし万が一、彼と鉢合わせということがあっても、約束があったし、空気が読める彼は決して話しかけてくることはないと思っていたから。

「今日は千花も行けるって言ってたよね?」

 クラスメイトで、一番仲の良い萱子(かやこ)に訊かれ、わたしは鞄に教科書を詰め込む手を止めて頷いた。彼女が言っているのは、一年近く経っても周辺の女子高生や女性達を花に群がる羽虫の様に惹き付けて止まぬカフェである。正確にはアデルなのだけれど、わたしが行けるということは目の前で萱子を中心に盛り上がっている彼女たちには申し訳ないが、今日は彼がシフトに入っていない日だ。

 カフェにはわたしも何度か立ち寄ったことがあったけれど、何を頼んでも美味しいし雰囲気は良いし、それにアデルがいなくとも十分にイケメン揃いなのだ。少々残念であっても文句はないだろう。それに誰もがアデルを目的としているわけでもないようだった。萱子は純粋にカフェでお茶をしたいだけみたいだし、お店の雰囲気を気に入ってるらしい。むしろそんな彼女からすれば、お店が混み合う原因である彼がいない日の方が良いのかもしれない。他二人のうち一人は完璧アデル目的、もう一人はアデルと違うスタッフも目当てらしかった。

 わたしはグレると言ったものの、その頃にはいかに真っ当で平凡な人生を送っていくかに重点を置いていた。同時に色恋沙汰への興味や将来の結婚などへの興味は全く失っていたので、かなり擦れていたかもしれない。目の前ではしゃぐ同年代の女の子たちの気持ちを理解することはできなかった。ただ、世間での女子達の傾向はなんとなく解っていたので、彼がバイトを近所のカフェで勝手に始めた時は盛大に怒った。ようは、女の子達は王子様的な存在に憧れるのだ。それが身近なものであれば、お近づきになりたいと思うのも仕方ないだろう。

 カフェの中は天井が高い造りで広々としているが、今日も案の定女性客で混み合っていた。それでも一緒に来た子が今日は空いていると言ったくらいなので、アデルがいる日だったらもしかしたら待ち時間があったかもしれない。

 案内された席でアンティークの木製チェアに腰掛ければ、間もなくレモン水とメニューとお絞りが運ばれてくる。アデルともう一人のスタッフが目当てと言っていた子がその時頬を紅潮させていたので、来てくれたスタッフがその一人の方だったのだということがすぐに分かった。なるほどアデルとは違うタイプだけれど、十分に整っていて甘い顔立ちをした背の高いお兄さんだった。少し長めに伸ばされた明るい茶色の髪を片側は耳に掛けている。お洒落だけれどそれが少しちゃらちゃらしている様にも見える。けれど接客態度が良いからか、凄く優しくて良い人にも見えた。

 とついつい観察していると目が合ってしまった。すると少し驚いた様な顔をされた。見られてて驚いたとかではなくて、偶然知り合いにでも出会った時の様な驚き方だったので思わず首を傾げた。人の顔と名前を一致させるのは苦手だけれど、恐らく知り合いではないだろう。けれどどこかで知り合っていたとしたら、少し気まずい。例えば、小学生の時の同級生だったり上級生だったりしたらわたしは覚えている自身がない。けれどそれはお兄さんの勘違いだったのだろう。すぐに彼は笑顔を作ると「ご注文がお決まりでしたらお呼び下さい」とお決まりの台詞を言って去って行った。

 レモン水に手を伸ばしたところで手を重ねられて、ぎょっとして顔を上げると、向かいに座っていた子が目をきらきらとさせていた。

「ねえ、もしかして、知り合い?」

 かなり弾んだ声で訊かれたけれど、残念なことに彼の反応は人違いだった。わたしが首を横に振ると、明らかに残念そうな顔をされて少し苦笑いしてしまう。これでアデルが知り合いどころか家族であることを知られた日には、面倒くさいことになりかねない。正直、先ほどのお兄さんとも知り合いでなくてよかったと思っていた。

 目の前に座った子二人は、実は萱子の友達ではあるけれどわたしはそこまで会話を交わさない仲なのだ。クラスの中でもグループが違う。どちらかと言えば萱子は明るくてクラスでも中心的なグループにいる。わたしは地味過ぎず明るすぎず中立的な、かなり普通の数人のグループの中の一人だ。なぜ今日このメンバーになったかというと、わたしと萱子は中学生の時から同じで偶然高校も同じだったから友達になった仲なので、実はグループは一緒になったことはない。高校生になってからは中学が同じ子も少なかったのでよく話す様になったのだ。

 先日の放課後彼女にカフェに誘われた時、彼女の近くにいた二人も一緒に行くと言ってきたのでたまたまこういうメンバーになった。わたしとしては居心地が良いわけではないけれど、アデルもいないしたまにはこんな日があってもいいかと思い、二つ返事で頷いたのだ。

 レモン水を一口飲んで、メニューの革の表紙を捲る。一応二冊運ばれてきたけれど、何故か一冊を四人で覗き込んでそれぞれドリンクプラスの種類の違うケーキセットを選んだ。

「またショートケーキ?」

「また?」

 斜め前に腰掛けた子、柊さんが小首を傾げて訊いてきた。おそらくうちのクラスで一番女子力が高い子だ。その仕草が女のわたしから見ても十分に可愛い。

「この子、気に入ったら同じものばっかり食べるんだよ。お菓子とかパンとかは特に。一度はまると、二週間くらい毎日同じお菓子ばっか食べてたことあった」

 否定はしない。ご飯は偏るから、レパートリーは上手く調整しているつもりだけれど、お菓子とパンは大体二週間くらいを目安に、一度飽きるまで毎日食べてしまう。母にはそういう所が典型的なB型だと言われたけれどわたしはAB型だ。自分の娘の血液型を間違えないで欲しい。

山峡(やまかい)さんってちょっと変わってるよねえ。おもしろーい」

 その言葉が嫌味の含まれたものなのかどうなのか判別に困って、わたしは曖昧に笑って返すしかなかった。

 彼女たちを嫌いな訳でもなく、どちらかと言えば友好的な関係のクラスメイトだからこうしてこの場にいるのだけれど、多分友達にはならないだろうなとは思うので曖昧な関係にしておきたいというのはある。彼女達は明るく中心的ではあるけれど、かなり気のきついところがあるのだ。彼女たちにしてみれば暗めな、はっきり言ってしまえば少しオタクっぽいグループの子達の様子が腹立たしいのか嫌悪しているのか、馬鹿にした態度をとるところがある。そういうところはあまり好きではないのだけれど、わたしがどうこういう間柄でもなく、それに首を突っ込むほど酷い扱いでもない。あくまで、当たり障りなくを貫きたい相手なのだ。

「そういえば、山峡さんってアデルさん見たことないんだよねえ」

 柊さんに訊かれ、再び口に含んだレモン水をぐっと飲み込んだ。

「……うん、いつもタイミング悪くって。なんか人気あるみたいだね」

「そういえば今日もいないねえ。残念。本当タイミング悪いね」

 本当に残念そうに言われて思わず苦笑いした。そのタイミングを狙ってきているのだから当たり前だ。それに彼も毎日此処でバイトしている訳ではなく、社会勉強を含めて最近ではもう一つバイトを増やしたらしい。あと、パソコン教室にも通いだしたらしいが、気付いたらプログラマーの域に達していそうで怖ろしい。

「あれ。そうでもないみたいだよ」

 暢気な萱子の声に一瞬何を言われているのか解らなかった。けれど、目の前に座った二人の女の子から喜びの声が上がったと同時に血の気が引いた。先ほどのお兄さんと今日はいないはずのアデルが言葉を交わしている姿があったのだ。思わず椅子の上で身体をずらして出来る限り座高を低くした。けれど、それは全く無意味だった。会話をしながらも途中でアデルの目線が此方を向いたのだ。わたしは前の二人が此方を見ていないことを良いことに、必死で首を横に振った。此方に来るなという意味だったのに、アデルはにこりと笑うとカウンターから受け取ったケーキを載せたお盆を手にすたすたと近づいてきたのだ。それと同時に店中の女性客どころか女性スタッフの視線も付いてきた。

「いつもありがとうございます」

 彼はまずわたしの前に座る二人ににこやかにそう告げると、「お待たせしました」とそれぞれのケーキの説明をしながらそれらを注文通りに並べた。常連客の顔は覚えているのだろう。それどころか、おそらく彼なら一度来た客の顔も忘れてはいない。いっそ警察官にでもなった方が良いのではないだろうか。そうすればもの凄い検挙率を達成しそうだ。

 二人分の黄色い声を耳にしながら、わたしは思わず現実逃避した。今すぐ帰りたいけれど、それをすることもできずにただただ目の前に置かれたショートケーキを見つめて固まっていた。握り締めた手のひらの中でじわりと汗が湧く。彼は人一倍空気を読める方だ。それをわたしは分かってはいるが、本当にたまに、おそらくわざと空気を読まないことがある。けれど、此処でのことは釘を刺しているので大丈夫のはず。どうでもいいからさっさとどこかへ行ってくれと心の中で二十回くらい唱えた時、彼はわたしに顔を向けた。

「千花、此処に来るなんて珍しいね」

 死んでくれと思った。大嫌いな言葉をわたしに強く、それも何度も思わせたのは、今まで彼くらいである。名前を呼ばれてしまっては、人間違いですと否定のしようもない。

 周囲の強い視線を受けながら、わたしは笑みを作った。けれどおそらく引きつっていたと思う。

「お知り合いなんですか?」

 興奮気味にアデルに訊ねたのは、目の前に座っている山本さんだった。先ほどの反応の非ではない。その答えは確実なものだからという理由もあるだろう。

 アデルは無駄にきらきらした笑顔で「はい」と頷いた。

「僕は千花の従弟なんです」

 設定通りの答えに、今度は此方に向いた山本さんと柊さんに頷く。家に帰ったら怒るにしても、ここではもう諦めるしかない。

 明日からの学校での反応が怖ろしい。一緒に暮らしていることを言わなかったことは唯一の救いだったけれど、まだ油断はできない。

「黙っててごめん。けど、学校では秘密にして欲しいの。ちょっと面倒くさいことにないそうだし」

 本当に正直に言った。此処で変に言い訳しない方が良いだろう。わたしの言葉の意味を図りかねたのか、二人は訝しげな顔をした。

「今までも大変なことあったから。アデルの家の場所とかプライベートなことをわたしに訊いてきたりする子がいたりとか、代わりにプレゼント渡して欲しいとか。直接本人に訊いたり渡したりするべきなのに」

 言ったことは申し訳ないが嘘で、わたしがされたくなく、けれど知られれば恐らくされるだろうということだった。

 今までわたしは彼の存在を隠し通してきたのだ。此処で何気なく釘を刺しておかないと、明日からの高校生活が本当に面倒なことになってしまう。一気に面倒な『友達』が増えるだろう。秘密というのがみそだ。彼女たちはその代わりに自分達だけの特別感を持つことができる。わたしがいなくても、彼の従姉の友人というポジションを手に入れれたのだから。

 彼女達はようやく納得してくれたのか、何かを結託する同志の様に二人同時に強く頷いた。萱子と言えば、横で暢気にケーキを一人食べ始めていた。


 













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