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虚構家族  作者: はんどろん
中学生期
2/8

02

 淡々と、ひたすら無心に大根と人参をいちょう切りにして、ごぼうに付いた泥を落とし、皮を切り落としていく。後ろでご飯の炊ける水蒸気の僅かな音がしてきた。根菜の下準備と豚肉を用意している間、隣からじっと視線を向けてくる存在はひたすら無視した。

 やはり朝は和食に限る。今朝のご飯は豚汁と卵焼き、昨日の晩御飯の残り物のぶり大根にした。

 母は朝は野菜のスムージーで済まそうとする人だけれど、わたしは朝はしっかりとしたものを食べたい派だ。何より朝からご飯を作ることで一日の始まりを確認していると言ってもいい。

「混乱したり怒ったりすると何かを作るので発散させる癖は治ってないみたいね」

 病気みたいに言わないで欲しい。母にとっては一年近い年月ぶりの再会かもしれないが、わたしにとっては七日なのだ。早々に変わるわけがない。これで精神崩壊しないのであれば、とても良いことだろう。わたしの崩れかけの精神が保たれた上に、自分で言うのもなんだけれど美味しいご飯が食べられるのだから。

 ご飯が出来上がると、わたしは作っていた時と同じ様に淡々と食卓にそれを並べた。三人分の。ここで少年の存在を無視できるほど、非情でも気が大きい訳でもない。

 毎朝の様に手を合わせて頂きますと言い、一人食事を始めた。すると少年も何故か嬉しそうにわたしの仕草を見たあと、慣れた様子で同じ様に手を合わせて「頂きます」と言った。続いて少し気まずそうに母も。母は朝ご飯の量にわたしの精神状態を察知したらしく、僅かばかりに口を引きつらせていたけれど。

 食事中は全くの無言だった。わたしの放つ空気を流石に読んだのだろう、少年も黙々と食事をしていた。その箸使いは慣れたものだった。育ち盛りらしく、華奢な身体つきからは考えられないほどの結構な量の食事を平らげ、流石に残るだろうと思っていた食事は綺麗に片付いた。

「で、その子の学校とかはどうするの? やっぱり此処で暮らすの? どういう理由付けで? そもそも学校って、何か証明書的なものがなくても入れるの? っていうか、そもそもその子、自分の家には帰れないの?」

 もう、一気に訊いてしまった。少しずつ訊くほどの気持ちの余裕はまだなかった。絶賛混乱中である。

「結論から言うと、帰れないわ。この子も私もその方法は解らない。あと、まだ解らないかもしれないけど、学校に行く必要はないわ。社会的なことは家で少しずつ教えていけばいいし、外に連れ出せばこの子も自分から理解していく。そのことに関しては申し訳ないけど、千花にも協力して欲しいの」

 正直心境的にはふざけんなと言いたいところだったが、わたしはもう一つの質問に答える様に目で促した。

「従姉が海外で結婚して、子供を産んだけど育てられない状況になったから預かったということにするわ」

 すらすらと出された答えは、妥当なものだった。ちなみに母の従姉になど会ったこともない。いるかも謎なのだけれど、最初からが嘘なのだからこの際どうでも良い。むしろ好都合だ。

 この子の家での位置づけは、わたしの弟の様なものというところだろう。できれば存在自体認めたくもないけれど。

 先ほどの少年の言葉を鵜呑みにした訳ではないけれど、父親だなんて悪い冗談、母だったら必ず否定するはずだ。全ては、母の気まずそうな表情が表していた。どうやら、わたしの血の繋がった弟になるという赤ん坊の父親は、目の前の、わたしよりも幼い少年で間違いないのだろう。そのことに関しては頭がまだ拒否反応を示しているので一旦は置いておきたいのだけど、曖昧なままにしておくのはわたしの性に合わなかった。

「……さっきその子が言ったことは本当なの?」

 母にとって、中学生の娘であるわたしから一番質問されたくなかったことだろう。けれど、母が嘘を吐けない人ということをわたしが一番理解している。

 母はやはり気まずそうにわたしから目を逸らすと、そのまま視線を落として、大きくなった腹に手を当て眉根を寄せた。心なしか顔が青褪めている。

「それしか心当たりがないのよ」

 わたしが母に嫌悪感を抱いたのは、生まれて始めてのことだった。正確に言えば、吐き気を覚えたのは。腹に納めたばかりの食事が逆流しそうになるのを必死に絶えながら、わたしも母から目を逸らした。二人の言うとおりであれば、その非は明らかに大人である母にある。日本での出来事であれば、刑罰ものだ。

「僕のいたところでは、この年で子供がいることも稀にあるんだよ」

 大人びた口調で受けたフォローに、わたしの心中の何も救われないまま、そこで一旦話は中断となった。

 学校では今まで通り、何気ない顔をしてその日一日を過ごした。もちろん母の話題など一切出さず、できるだけ思い出さない様に努力した。家に帰ったら、嫌でもあの二人はいるのだ。現実は逃げてなどくれない。かなり非現実なことだけれど。

 学校で一日過ごせば、あまりの心労から見た夢だったのではないかと思ったのだけど、あの衝撃はなかなか頭を離れてはくれなかった。もうこの際、非現実な母の過去はどうでも良い。今となっては子供の父親の件が一番の問題で、わたしが頭を抱える事実だ。ファンタジーな出来事なんてどうでも良くなるくらい、それが一番の衝撃だった。世の中にはショタコンなんて言葉があるようだけれど、母はそうではないと信じたいし、彼を溺愛している様子もなく、ましてや恋人同士の様でもなかった。家を出るまでに嫌でも二人の姿は目に入ったが、母と息子という様な雰囲気でしかなかったのだ。けれど、そういう行為をしないと子供ができないことは中学生のわたしでも知っている。堂々とそんなことを口に出せるほど大人でも開き直ってもないけれど、それ自体に嫌悪感を覚える訳ではない。けど、だ。それはできれば墓まで持っていって欲しかった事実だった。

 学校の帰り道、買い物をする気力もなく、けれど家に帰るのも嫌でぶらぶらと歩いた。昨日までしていた心配が嘘みたいだ。正直、本当に死ぬほど心配していた。今の状況の母に言うのは癪なので絶対に言わないけれど、毎日ソファの中で母に何かが遭ったのか、母が帰ってこなかったら、とめそめそと泣いていた。それなのに、折角帰ってきたのに、それを安心する機会も喜ぶ機会も与えられなかったのだ。十ヶ月間、母はわたしのことなど何も考えてなかったのだろうか。

「……グレてやる」

 帰り道、橋の上で呟いた。

 けれど、長年の習性とは怖ろしく身体に染み付いているもので、わたしは結局夕飯が作る余裕がある位の時間帯には帰宅し食事を作り、いつも通り七時半きっかりに食卓に料理を並べていた。もちろん三人分の。朝と同じく同じ食卓に座った二人を見て、所帯染みた自分がほとほと嫌になった。 



 母が少年を連れて帰ってきてから一ヶ月も経たないうちに、家族が一人増えた。

 現実を現実として受け入れないままのわたしを放って、時間は確実に進んでいた。母は仕事を辞職して、子育てをすることになり、少年は赤ん坊に興味を示しながらもその姿は父というよりは兄弟の増えた子供という様子だった。

 少年は異様に頭が良い子で、一度見聞きしたものは決して忘れなかった。文字をあっという間に覚え、ニュースやドラマなどを見てはこの世界の状勢や一般常識などを学んでいるようだった。家にあった、たくさんの本を一ヶ月のうちに読みきり、気付けばわたしよりも世間での出来事や物事をよく知るほどになっていた。

 頭が良いだけではなく、要領も良かった。人の気持ちの波を読むのが上手いのだと、できるだけ避けて過ごしていたわたしでさえも気付けた。その表情や言動は一見子供らしいけれど、一般的な小中学生の男の子と比べてはいけないことをわたしは早々に理解した。後で聞いた話だったけれど、彼はまだこの時十二歳で、わたしより一歳年下なだけだった。つまり、その年で童貞ではなかったということだ。

 少年の名前を知ったのは、母が帰ってきた当日の夜のことだった。わたしから訊ねることはなかったけれど、少年が自分からアデルだと自己紹介してきた。笑顔と同時に差し出された手を握り返すことはなかったし、暫くその名前を呼ぶこともなかったけれど。

 アデルの寝場所は、わたしの部屋になった。元々母の部屋で寝るはずだったけれど、それをわたしが阻止した結果である。わたしは母を待ち続けた一週間、寝心地が決して良いとは言えないソファで寝起きしていたのだからアデルにもそうして欲しかったけれど、客人である彼にそれを強要させるわけにはいかなかったし、どう見ても自分よりも年下の子に対してのそれは虐めている様な気持ちにもなって気が引けた。妊婦である母にそれをさせるわけにもいかず、だからと言ってわたしはもうそれ以上ソファで寝たくなかったし、一番の理由は、彼を見張っておきたかったのだ。起こってしまったことはもうどうしようもないことだけれど、同じことをよりにもよって同じ屋根の下でされては堪らない。彼に対しての嫌悪感が全くなかったわけではないが、何よりもわたしの嫌悪感の矛先は母に向かっていて、あくまで彼はわたしの中で被害者だった。どういう成り行きでそうなったかは聞きたくもなかったけれど、わたしはその認識の上で、自分のベッドで一緒に寝ることを彼に許した。この時はまだ自分よりも大分と年下の少年だと勝手に思い込んでいたというのもある。

「――千花、寝れないの?」

 後ろから聞こえてきた声を無視した。子供が産まれてから暫くしてからのことだった。この時、わたしは母がいなくなった時から引き摺っていた不眠症で常に寝不足気味だったけれど、ベッドの上でアデルが声を掛けてきたのは初めてのことだった。後から思えば、彼はわたしに気を遣って、出来る限り自分の存在を押し殺していたのだろう。そして、母を避けるわたしの心情を十分に理解していた。

「真奈は、僕を恋人として好きなわけではないよ」

 まだ少年であるアデルの口から出た恋人という言葉に違和感を感じ、同時にそれもどうなの、というよりそういう問題じゃない、と思った。

「真奈は、旅の人が帰れるという言葉を信じていたけど、日に日に不安になってるみたいだった。真奈は、千花に会えないことを寂しがって、すごく不安がってたんだ」

 わたしは思わず振り向いた。狭いベッドの中で視線が絡まる。アデルは小さく微笑むと、わたしの手を取って、安心させるように優しく握った。その笑みはどこか淋しそうにも見えた。

 その時わたしはようやく目の前の自分よりも幼い少年が、故郷に帰れないのだということを認識した。母は最初から此処へ帰ってこれると分かっていた。けれど彼はこの先、故郷に帰りたいとどれだけ願おうと、その可能性があるかどうかも分からないのだ。わたしだったら耐えられないかもしれない。色んな事実が一気に降りかかってきたせいで自分のことしか考えられてなかったけれど、此処での彼の居場所は今のところ、この家の中でしかない。

「本当だよ。今までやってきた旅の人の誰よりも、子供を心配していると婆も言っていた。僕は、真奈を慰めたかった」

 何か話しの雲行きが怪しくなってきた気がして、わたしは少し身じろぎしたけれど、アデルから少しも離れることはできなかった。逆に身を寄せられて、手を挟んだだけの距離まで近づいた顔に眉を顰めた。

「一度だけ、僕と真奈は行為に及んだ。彼女は、ティカの実に毒されたみたいだったけど、僕もそれに釣られたんだ」

 わたしは一瞬ぽかんと目の前の顔を見つめたあと、手を振りほどいて起き上がった。

「……気持ち悪い」

 思わず呟いていた。アデルのきょとんとした顔に、先ほど湧き上がってきたばかりの同情心は成りを潜め、代わりに腹が煮えくり返るような感覚がぶり返してきた。

「気持ち悪い。あんたも、お母さんも。ありえないよ」

「ありえない? ありえたから、今があるんだけど」

 たまにこう言葉の融通がきかないところが腹が立つ。人を殴ったこともなかったけれど、この時わたしは思わず右手を握り締めて振り上げた。アデルはその時それを黙って受け入れるつもりだったに違いない。ただ黙ってじっとその様子を見つめてきていた。けれど、その手が彼の顔に当たることはなかった。わたしの手を止めたのは、その時には毎晩の恒例になっていた弟の夜泣きだった。


 その後、彼から何故そういう行為に至ったかをもう一度聞かされるはめになった。

 彼らの住む土地では昔から女性が産まれ難く、男性と女性の比率が圧倒的に違う。つまり、子を産める存在が少ない為に健康的な女性はとても重宝されるらしい。そして、昔から何故か旅の人は大体健康的な女性だった。そこに作為的なものを感じたけれど、それは彼らも理由が解らないことらしい。

 そこで一度孕んだ女性は子を生すまでは通常帰ることはない。旅の人が子を生せば、彼らにしては喜ばしいことなのだ。大体旅の人は子を置いて元の居場所へ帰ってしまうのだという。

 だからこそ、旅の人には媚薬効果のある食事が振舞われていた。そして通常は成人男性と同衾するらしいが、母はそれを拒み続けた。それでも日々の生活の中で住人達とは良い関係を築き上げていったが、とりわけ仲良くなった存在がアデルだったのである。知的好奇心も旺盛な彼は、毎日母に日本の文化や出来事などの話を請い、母の様に、そして姉の様に母を慕った。だからこそ、母も油断していたのだろう。そしてアデル自身も、自分がいつの間にか白羽の矢を立てられているとは思ってもいなかったのだ。

 通常、旅の人以外はあまりティカの実を口にすることはない。アデルもその日の食事にそれが混ぜられているとは気付かなかったという。そしてそれは彼と食事を共にした母もだった。だからか、母はその日振舞われた酒をたくさん口にしていたらしい。それが悪かったのだ。寝台まで肩を貸したアデルを寝台に引き摺り込んだのは母で、けれど泣き始めた母を慰め始めたのはアデルだった。そして二人の行為を止めなかったのは、住人達が仕込んだ媚薬。

 何にしても、アデルがその詳細を話したせいで、その出来事はわたしの中で決定的な事実として叩き込まれてしまったことは言うまでもなく、わたしはそれ以降半年近く、事務的なこと以外で二人と会話を交わすことはなかった。わたしたちの間に出来た溝はハイデルベルク城の外堀以上に深く埋めがたいものだったが、それが否応なしに浅いものにされたのには理由がある。言うまでもなく、弟の存在だ。赤ん坊の彼は周囲の人間の様子をかなり敏感に読み取るとぐずった。流石のわたしも自身の態度が赤ん坊によくない影響を与えることに気付き、態度を軟化させるしかなかったのである。そして自分でもその時には何処かで折り合いをつけるべきだと思い始めていた。だからもう一度、三人で話し合う機会を作った。

 母とアデルは姉弟もしくは母子のような関係以上の何ものでもなく、例の出来事はたった一夜の過ちでしかなかったこと。それでも弟はアデルの子で間違いはない。けれどもアデルの子とはしないこと。つまり母はあくまでシングルマザーであり、アデルは父ではない。弟にも生涯そのことはばらさないこと。

 以上を三人の間でしか知りえないこととし、墓場まで持っていくことを誓いあった。もちろんわたしは誓うまでもなくこんなことは誰にも言えるわけがないので、誓わせたというのが正しい。

 この時わたしは中学生にして、この重荷を否応なく背負ったのである。















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