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※本編には直接的ではありませんが、近親相姦、母親の妊娠、ショタなどの表現が入ります。
あらすじ、上記の単語に少しでも抵抗がある場合、また内容を読まれて少しでも不快感などを感じられた場合、読み進めることはお勧めできません。
それでも読まれる場合は自己責任でお願い致します。
わたしに急に弟ができたのは、中学生になって間もない頃のことだった。
言葉通り急に、だ。わたしと母はずっと二人で暮らしていた。駆け落ち同然で家を出た両親だったが、わたしが産まれる直前に父は職場の事故で亡くなったらしい。遺されたのはマンションの一室と保険金と労災、会社からの葬祭給付金などだった。皮肉ではあったけれど、そのお陰でわたしが義務教育を終えるくらいまでの、慎ましやかな母子分の生活の保障額はあった。それでも母は、わたしが保育園に入学したと同時に職場復帰し、わたしの家事力も小学校高学年くらいになるまでにはめきめきと付いた。
母がいなくなったのは、わたしが中学一年の夏休み明けのことだった。朝、仕事に出かけたはずの母が無断欠勤していることを、帰宅した時にかかってきた母の職場からの電話で知った。その時、一瞬頭が真っ白になったものの、わたしは母が倒れてしまいそのまま寝込んでしまったので電話もできなかった旨を伝えた。子供なりに無断欠勤は決してはいけないことと知っていたし、電話の声質がとても怒っていたので咄嗟についてしまった真っ赤な嘘である。
その時はまだ夕方で外も明るかったので、母は何か理由があって仕事を休んでしまったのだと、わざと軽い気持ちで思い込もうとした。けれどその日、母は帰ってこなかった。次の日も、その次の日も。会社どころかわたしの携帯への連絡も一切なく、今までにはなかったことに異常性を感じ、流石に何かあったのかと初日から心配でならなかったけれど、わたしはとりあえず待つことにした。家事力が備わっていたのと、その時には金銭面を任され始めていたのは唯一の救いだった様に思う。けれど、わたしには他人に頼るという社交性は余り身に付いていなかった。正直、初めてのトラブルにどう対応して解らなかったということもある。週二の朝のゴミ出しの時に会う近所の主婦たちとの挨拶や他愛ない世間話を交わし、学校に友達はいたものの、何食わぬ顔をして今までの日常と同じ生活を送った。
母が帰ってきたのは七日目の、日も上がりきらない早朝のことだった。
その時は毎日リビングのソファで寝起きしていたのだけれど、扉が開く音で飛び起きた。多分、自分で思っていたよりも気が張っていたのかもしれない。それは微かなものだったけれど、耳はしっかりその音を拾った。
「ただいま」
そう言った母はわざと元気の良さを装っていたのかもしれない。けれど、あっけらかんとした声にわたしは一瞬ぽかんとしたものの急激に湧き上がってきた腹立たしさに顔を歪めたと同時に、涙が零れ落ちそうになるのを堪えるので精一杯で、声を出すこともできなかった。溢れてくる涙がぴたりと止まったのは、母のお腹を見た驚きからだった。なんと、母はどう見ても妊婦に見えるお腹で帰ってきたのである。ぽこんと出たそれが太ったからではないということは、すぐにわたしにも理解できた。母のお腹は、今にも赤ちゃんを産みそうな状態になっていたのだ。
何かの冗談かと思った。散々心配させておいてそんなことをする母にますます腹が立った。引っ込んだ涙の代わりに苛立ちで叫びだしそうになったが、それが再び驚きで止まったのは、母の後ろから明らかに日本人ではない人種の少年がひょっこり出てきたからだ。薄い色味の少し癖のある金髪に薄い緑色の大きな瞳、びっくりするほど愛らしい顔をした、わたしより少し年下くらいに見える線の細い少年。
もう、頭がついてこなかった。何から突っ込めばいいのか分からず、わたしはソファの背もたれに右手をのせた状態で固まって動くこともできずに、目だけを動かして母の腹と少年を交互に何度も見るしかなかった。
「千花?」
流暢な声でわたしの名前を呼んだのは母ではなく、小首を傾げた少年の方だった。わたしが反応を返さずにいると、少年は母を見上げた。
結論から言うと、母のお腹は本物だった。エイリアンの子供でも授かったのかと非現実なことを真面目に考え血の気が引いたのだが、七日で臨月を迎えている時点で非現実的なのだから、決してわたしの頭が緩い訳では決してない。思わず頭を抱えたわたしに申し訳なさそうに、母はさらに訳の解らないことをいくつも言ってきた。
順を追って話せば、そもそもの母がいなくなった当日のことから始まる。母はその日いつも通り朝七時半に家を出て、八時二分の電車に乗った。けれどその瞬間、知らない場所にいたのだという。瞬きの間に周囲の風景は切り替わっていて、そこは混雑した電車の中ではなく、砂漠の様な所にぽつぽつと石造りの建物の建つ場所だった。そしてそこにはまばらに人がいたが、一目見てわたしたちとは人種の違う人々だったらしい。そこにいた人々は急に現れたのであろう母の姿を見ても驚くこともなく、慣れた様子で迎え入れた。そして、現状の解らない母に答えをくれたのはその人々だったのだという。その人たちが言うには、母の様に急に降って現れた様な人は初めてではなかったらしく、彼らは数週間から数年のうちにまた同じ様に帰っていく。そして、そんな彼らをそこの住人達は「旅の人」と呼び、客人として代々迎え入れてきたのだと。今まで様々な人種の人々が旅の人としてやってきたらしいが、住人達は特殊な能力を持ち合わせているらしく、どの様な言語でも理解し相手に合わせた言語で会話をすることができるのだと。
さて、この時点でわたしの頭が拒絶反応を示していたのは言うまでもない。そんなわたしに母は珍しく眉尻を下げて「わたしも未だに夢のようだと思っている」と言った。そしてそれを否定したのは、母のぽっこりと膨らんだお腹と、その隣に腰掛けた少年の姿だ。母はお腹を撫でた後に少年を見ると、小さな溜息を吐いて壁に掛けたカレンダーを見た。
母がその不思議な地にいたのは、日数にして約十ヶ月間のこと。つまり、ますます辻褄が合わない。わたしが母を待ったのは約七日間だ。それを聞いた時、あまりの混乱具合にわたしも思わずカレンダーを見たのと、食卓の上に置いてあった新聞の年月を確認してしまった。
母は帰ってきてからいつの間にか充電していたスマートフォンを起動させると、証拠とばかりに現地での写真を見せてくれた。海外旅行にでも行ってきたのかと頭が現実逃避しかけたが、何にしても辻褄が合わないのは間違いはない。何十枚と撮られていた写真の中には、母の姿と少年の姿もあった。
母の言葉の通り砂漠の様な砂地が多い場所ではあったけれど、緑が全くなかったわけではなく、そこは森の中に開けた古代遺跡の様な場所だった。真四角の飾り気のない建物に、細かな刺繍や石の付けられたサリーの様なものを身に纏ったおばあさんが糸巻きをする姿や、小さな子供達が遊ぶ姿、家の中での食事の風景など、何気ない人々の営みの光景がそこにはあった。彼らの服装からインドの様な所かと思えば、そこまで暑い場所ではなく年中春の様な気候で、そこで暮らす人々の色素も顔立ちもどちらかと言えば北欧人種系だったらしい。それは写真を見れば明らかで、何よりも今目の前に座る少年の姿もそうだった。
わたしが思わず食卓に顔を突っ伏すと、頭上から「千花は、やっぱり真奈に似てるね」と空気を読まない、澄んだ少年らしい声が降ってきた。頼むから、少し黙っていてくれないだろうか。
のろのろと頭を上げて、手に持っていたスマートフォンを食卓の上に置くと、向かいに腰掛けている母と少年の姿をもう一度見た。できれば目を逸らして現実逃避の為に自室のベッドに篭りたかったが、そんなことをしてもどうしようもない。母は七日前に家を出た時の服装ではなく、緩いワンピースの様な民族衣装を身に着けていた。当たり前だ。七日前の服装では今のお腹は収まらないだろう。少年は母と同じ様な細やかな刺繍はされているものの、簡素な長袖のシャツとズボンという井出達。足元まではしっかりと確認はしていないけれど、玄関で靴は脱いできているのだろう。一方、向かいに座るわたしは部屋着にしているワンピースにレギンスに百円均一で買ったもこもこ靴下、ぼさぼさの髪といういかにも寝起きの格好だった。
「……ごめん、お母さん、何一つ納得も理解もしてないんだけど、とりあえず訊いていい?」
「どうぞ」
母も何から説明すればいいのか分からなかったのだろう。一応手始めにでもというように少しのいきさつを話してくれはしたが、わたしの頭がパンク寸前だったことは理解していたに違いない。再会してから殆ど声を発していなかったわたしの質問に、少しほっとした様な顔をしたみせた。
「その、よく分からない場所に行っていたのだとして、父親は? ……あ、やっぱいい。この際父親は一旦置いておくとして、その子はなに?」
よく淀みなく質問できたと自分を褒めてあげたい。質問しながらも頭は全然機能していない状態だったけれど。
母は当たり前のわたしの疑問に気まずそうな顔をして、少年を見た。少年はそんな母の姿を見たあとでわたしににっこりと笑いかけた。それはもう愛くるしいとしか形容しようがないような笑顔で。
「僕が付いてきたんだ。真奈とは、繋がりができてしまったから」
何故か悪い予感がして、わたしは血の気がざっと引くのを感じた。正体の分からない不安感を紛らわせるために、とりあえず目線を下げてぐりぐりと両手で目尻の辺りを押さえる。
「えと、家族になるっていうこと?」
「うん」
母に訊ねたつもりだったが、少年が笑顔のままで答えた。
「お母さん、この子引き取ったの? わたしの義弟になるってこと?」
それだったら、詳細な設定が必要である。母は美人だけれどどこからどう見ても日本人で、わたしも日本人顔そのものだ。どう見ても目立つ少年の容姿では、近所の人々の好機の目を集めてしまうことは間違いない。近年日本では地域のコミュニティー力が落ちているとか言われているけれど、一人暮らしならいざしれず、家族で暮らしている家同士のコミュニティーというのは程度は違えど未だにしっかりとある。このマンションでたまに行われる清掃活動などに参加しているわたしは、母以上に近所の母親たちと顔見知りなのだ。だからと言って、家の中に閉じ込めて少年を育てる訳にもいかない。親戚の子と言っても、何かしっかりとした理由付けを最初に作っておく必要があるだろう。できれば後々差し支えがなく、少しの周囲の同情が引かれるくらいの。そうでないと、興味本位で次から次へと質問を投げかけられるに違いない。同情心が引き出せれば、他人はよほど空気が読めない人でない限りは、それ以上自身からは余り立ち入ってこないはずである。
そこまで考えた時、少年が母の腹を撫でている姿が目に入ってしまった。嫌な予感が増したのは、その表情が幼い子供が女性の腹に入っている、次に産まれてくるであろう自分より小さな命に対する期待に膨らむ表情などではなかったからかもしれない。その穏やかな表情は、幼い少年には似つかわしくないものだった。
「……弟になるなら、もうそれでいい。それでいいから、ちょっと一旦休憩を下さい。もう、本当に無理」
わたしが自分から訊いておいてそれ以上の情報量を拒否したにも関わらず、少年は何気なく口にした。
「弟になるのは、真奈のお腹の子だよ」
この際、写真で見た環境の中でどうやって母のお腹の中の子が男の子と知ったのかは突っ込むまい。
わたしは立ち上がると、とりあえずリビングのカーテンを全開にした。昇り始めた朝日が眩しい。目を細めて暫くぼーとした後、点けていた照明を消した時だった。少年がわたしの倫理観と母への信頼を一気に崩壊させるような言葉を吐き出したのは。
「僕の子供なんだ」
庭の花が咲いたんだ、とでも言う様な口調だった。余りにも無邪気な声に、張り詰めていた精神の糸がぷつりと切れた。