第7話 為政者(下)
前話の時点で殆ど完成していたので今回は早く上げれて一安心です。人間サイドをあまり無能には見せたく無いのですが…どう見ても無能ですね。
「静まりなさい!父上…いえ、国王陛下。発言してもよろしいでしょうか?」
王の振り上げた拳を止め、凛然と響き渡った声の主は愛娘セフィーアだった。
「ふむ…何か思いついた事があるのか、セフィ」
王は顰めていた顔を一気に弛緩させ穏やかな表情で娘の発言を許す。
「はい。この者達は今すぐに問題を解決しようとしていますが、それは愚かしい事だと言えましょう。事業の頓挫から早10年以上、これまで大した方策も打ち出せなかったからこそ此処まで事態は悪化したと言うのに、今更慌てるとは見苦しいわ」
ほっそりとした面に切れ長の目と柔らかな唇、それを豊かな金の巻き毛で飾ったこの少女は、外見だけならば白百合の如き可憐さを備えていた。国民、特に男性に非常に人気がある事も頷けよう。だが今は傲然と蔑む視線を辺りに振りまいている。
「そうはおっしゃられますが王女殿下、何か良いお考えでも御座いますかな…?」
愚かだ見苦しいと罵られた大臣の一人が苦虫を噛み潰したかの様に眉を顰めて問うた。国王の手前これ以上表情には出さないものの、「陛下の娘というだけの世間知らずが何を言う」と思っている事は想像に難くない。彼は日頃から王女に対しては否定的な立場を取っている。
だがセフィーアは鼻を鳴らすと彼を無視して続けた。
「私の提案はこうです。全ての開拓事業関連の資金を引き上げ、これを徴兵と訓練に充てます。特に貧困層から兵士を大々的に募集し、指揮官には騎士団の者達と貴族から選出した者を置きますわ。時間は数年かかるかと思いますが、こうすれば貧民達も職にありつけ、軍の力も増大しましょう?そうして準備が整ったのち、南部か西部、どちらでも構いませんが完全に魔獣共を滅ぼしてしまうのです!」
力強く言い放った王女の提案は確かに魔獣を殲滅する事にかけては勝算があるかもしれない。だがそれだけでは足らないと騎士団長ラングが口を開く。
「しかし王女殿下、その数年間で我が国は大きく傾きましょう。すでに他国の商人や密偵を通じて我が国に龍が2匹棲み付いた事も広く知られており、手を引く者も多く居ります。決戦の時まで国が持ちましょうか?」
「良い案が他に無いのなら、いずれにしろ遠からず国は傾くわ。我が国から得られる利益に見込みが無くなれば、アルトネーはともかくもヴェゴニアめは確実に触手を伸ばしてくるもの。悔しいけれど全面戦争となれば絶対に勝ち目が無い事はそなたが一番良く知っているはずよ?ラング」
「むぅ…」
畳み掛ける様に返すセフィーアに騎士団長は返す言葉も無く押し黙る。
「である以上、兵士を急激に増員する事で帝国に対する牽制にもなりましょう。今開拓関連の援助金はかなりの額と聞いておりますが、このままでは豚に与えているのと変わりありませんわ。ならば有効に活用すればよろしいのです。如何でしょう?」
言い放ってセフィーアが席に着いた時には、議会の大勢は賛成に傾きつつあった。碌な方策も無かった彼等は王女の発案に簡単に乗り気になってしまったのだ。
「……確かに、表向きは龍退治の為とすれば軍備拡大は十分可能ですな…最低限の訓練に時間はかかりますが」
「景気に関しては先行き不透明な現状よりも上向く可能性もありましょう。犯罪対策にもなりますし…海運業と内需拡大に努めれば十分持つやもしれませぬな」
武官と文官を統べるラングとフィーラーが賛意を表明したことで、一気に流れが決まりつつあった。だが此処に来て立ち上がったのはこれまで押し黙って聞き手に回り続けていたゼフォン王太子である。
「待ってくれ諸君。私は反対だ。陛下、発言しても?」
あまり似ているとは言えないセフィーアと違い、眉目秀麗なこの王子はカムロン王から蓄積した年月を奪えば瓜二つだろうと思わせる。彼はセフィーアとは反対に女性国民に人気の高いその美貌を不満げにしかめたまま玉座を仰ぎ見た。
「…余もセフィーアの提案に不満は無いのだが…何か問題があるか?申してみよ」
王は不思議そうな顔をしつつもゼフォンを促した。
「はい。ラング殿や情報担当武官の諸氏は知っておられると思うが、この場で一度も報告されていない事件があります」
そう言ってゼフォンが騎士団長や武官達の顔を順に見渡すと、情報武官達はそっと目を逸らした。ラングは平然と顔を上げたままだったが。
「ほう、その事件とは」
「はい。半年程前、ルブス南方の村ラトの家畜が度々魔獣の餌にされていた様です。このままでは家畜が全滅してしまうと、村の男達は有り合わせの武装で魔獣と戦い、負傷者を出しつつも撃退に成功したとか。…問題はここからです。若い男達は血気に逸ったか、逃げた群れを追って魔の森に入り込み迷ってしまったのです。知っての通り、魔の森は人を用意に迷わせます。彼等は一昼夜の間迷い続け、森の奥深くに立ち入ってしまったのです」
「ふむ…確かにその事は確かに知らぬな。だがそれだけでは報告が無かった理由にもならぬと思うが。大体村の男達が死んでしまってはラトは立ち行くまい」
カムロンは責める様に武官達を睨みつけながらも先を促す。王の怒りを覚悟して武官達はうろたえ、祈るように王太子を伺った。
「御察しの通り、事件はここで終わりではありません。…幸運にも強力な魔獣にこそ遭遇しなかったようですが、彼等は森の奥深くで立ち往生し、死を覚悟致しました。だがそこに…黄金の巨龍が降り立ったと言うのです」
「何?」
「彼等は恐れ戦きながらも、言葉が通ずると知り必死で自分達に起こったことを説明しました。ここからが肝要です。今にも龍の吐息で焼き殺されると覚悟した彼等に、龍は驚くべきことに人里に続く小川の存在とその位置を示唆し、高い木に生った果物を幾つか渡すと危害を加える事なく去ったというのです。彼等はその後、程なく見つけた小川を辿り無事にラトに帰り着きました。3名の重傷者が出たようですが、これはいずれも龍の手によってではなく家畜を荒らす低級な魔獣の被害であり、最後の報告書によると負傷した者達も今は農具を持てるまで回復したとの事です。…以上がその事件の顛末です」
その事件こそ、脱皮の苦痛にディラックが襲われていた日、アルヴィスが追い返したという人間達の事であった。
王太子の報告に議事堂はざわついた。知っていた者達は視線を彷徨わせ、知らなかった者達はこの事態をどう解釈するべきか、そして報告を怠った者達の責任を声高に追及した。だがそこにゼフォンの興味は無い。
「此度の事、その責任については私が申し上げることはございませぬ。私が申し上げたい事は、黄金龍がけっして相容れない不倶戴天の敵とは言えないということです。彼等は伝説の通り、恐るべき力と共に深き叡智をも備えているということなのです。龍だけではなく、ヴァンリー達もです。確かに彼等知能ある高等な魔獣は縄張りを侵し、危害を加えんとした相手には容赦しないでしょう。だが使節を派遣し対話を持つことが叶えば、数千の兵士をむざむざ死地に追いやる事は無いのでは。如何でしょうか」
セフィーア王女の発案に傾いていた重鎮達の意思はこの情報によって揺れた。彼等も為政者としての立場がある。兵士達を死なせたくない、などという考えではない。確かに戦って勝利できれば後顧の憂いは絶たれるだろうが、国を挙げて兵士を集め鍛え上げる程の資金と鍛えた兵そのものを大量に失い、もしも龍と魔獣達に敗れる事があれば、それはザームにとって立ち直れない痛手となるだろう。もし龍と交渉する事が出来るならば、一切を失う事は無い。騎士団長と宰相、そして国王も脳裏の天秤を慎重に推し量ろうとした。
しかしセフィーア王女はその様には考えなかった。
「何をおっしゃられますか、兄上!敬虔なるオージスの使徒たる我等人の子が蜥蜴の化け物に頭を下げろとでもおっしゃるつもりか!?」
叩きつけるが如くゼフォンに反論する彼女の瞳には、誇りと傲慢に隠れわずかに狂信の色さえ見えた。
「何も頭を下げろとは言っておらぬ!対話による解決を捨てるなと言っておるのだ。臣民の命を無為に失う事こそ主神の御心に逆らうのではないか?伝承の中には龍の知恵を借りた王国が偉大な繁栄を築いたと伝えるものもあるのだ。彼等龍族が我等と同等の心を持つ可能性は十分にある」
ゼフォンは確かに腹違いの妹を愛してはいたが、危ういまでに神智教の教えに純粋である事を常々危惧していた。彼にとっては教義とは指針であり教養に過ぎない。民がそれを熱心に信ずる事を咎めはしないが、為政者までが同じく盲目になる事は良しとしなかった。為政者は常に柔軟に最善の道を選ぶべきであり、神智教団の教えは必ずしもそれに先行しない。これが彼の哲学であり、当時としては異端視される程の先進的な考えであった。
間違いなく、ゼフォン王太子には名君となる素質が十二分に備わっていた。
「兄上のおっしゃる伝承とは、土着の異教の言い伝えに他ならない!魔獣共は主神の祝福無き呪われた種族に他なりませぬ。仮に知恵があったとしても主神オージスに放逐された者どもと交渉するなどと、神官達が聞けばひどく嘆かれましょう。何よりその様なことをなさり、もし教団より破門されては民心は離れそれこそ王国は瓦解しますわ!」
「何を言うかセフィよ!教義の違いこそあれ、伝承とは歴史に他ならぬ。そもそも…」
どちらに付くべきかと戸惑う家臣達をよそに、その後も兄妹は激しく議論を戦わせた。ラングは腕を組み瞑目し、フィーラーは注意深く両者の言葉に耳を傾けている。
カムロン王はと言えば、もはや実質2人だけの会議となった議事堂を見渡しながら、皺を深くしていた。彼自身はゼフォン程柔軟な思考は難しいもののセフィーラ程には教義に縛られてはいない。自国内で幅を利かせる神官達を苦々しく思いぞんざいに扱える程には、彼は自由だった。とは言え、国教でもあるオージス神智教の禁忌に抵触する事によって起きる様々な弊害を無視する事は国王としても難しい。この難題の一因、龍を呪いながらも彼は深く悩み続けた。
ゼフォンとセフィーアの討論は半刻にも及んだ。幾度かラングやフィーラー、数人の大臣達が意見を述べるものの一向に決着を見ず、残りの者達は諦めたように王の裁断を待っているばかりである。
情けない臣下の様子に怒りを覚えたものの、嘆息するとカムロン王はパンパンと手を叩き論争に終止符を打った。彼の心は自分でも気がつかぬ間にある欲望に衝き動かされ始めていた。
「良い。もう良い、2人とも。そなたらの見解は良くわかった。……この事案に結論を下す」
「はっ」「はい、陛下」
議事堂の全員が玉座を仰ぎ見る。彼は厳かに口を開いた。
「…余の結論はこうだ。…大綱としてはセフィーアの提言を採用し、開拓事業の資金を引き上げ徴兵にまわす。目標は5年以内。その間は海運に注力して景気の低迷を抑える。戦力増強は魔獣殲滅作戦の為、神に捧げる神聖な戦の準備だと内外に有形無形の宣伝が必要になるであろう。騎士団からは教官向きの人材を引き抜かせてもらうぞ、ラング。ヴェゴニアの様に術院より教官を招聘し兵士達に攻撃魔術の教練もさせなければな。さらに…」
「父上…!」
国王の決断にゼフォンが抑えきれず口を挟んだが、彼は鷹揚に手を振ってそれを遮った。
「解っておる、ゼフォンよ。…詳細は追ってつめる。そして準備が整いし後、秘密裏に魔獣や龍との交渉を行う。首尾良く行けば龍共を改宗させ配下に置いたなどと適当に言い訳は立つ。さすれば鍛えた強固な槍は領土外に向ければ良い…龍を支配下に置き多数の兵士を擁すれば軍事力でも引けを取らぬ大国となろう。決裂すれば事前の予定通り正面から戦って奪い取ればいい。何事も無かったかのようにな。何も奴等めも不死身では無い、過去に龍を滅ぼした王はいるのだ。多数の雑兵で押しつつみ弩砲や術で攻めれば勝機は存分にある。…交渉の事は事前に察知されてはならぬぞ。もしも教団より異端者の烙印を押されては、ザームは終わりだ。そうはならぬ様徹底しなければな」
今度はセフィーアが驚き、咎める様に父を見たが口は開かなかった。
「いずれにせよトートンの平定においても戦力は必要だ。豊かな領土を持ったならば次の敵は内陸の大国だ。内地の巨獣共にむしり取られぬよう兵を備えるに越したことは無かろう。目の前に飢えた獣の顎が開いて居るとなれば軍事力の強化は必然だったのだ、我が国とて交易だけでは身を守れぬよ。どうかな」
カムロンはうまく両意見を取り入れ名案を考え付いたとばかりに得意げに大臣達を見渡した。もっとも彼とて龍の懐柔が成功すると楽観視する程甘い見通しは持っているわけでは無かった。ただ…万が一交渉に成功すれば龍をも改宗させた名王として、戦って龍を下せば英雄たる王として、自分は歴史に名を残すだろう。さしたる功績も無く先王より玉座を継いだだけの老いた王の心に、その欲望は甘美な美酒の如く染込みたやすく支配した。
どうかと問う口調とは裏腹に反論を許さぬ王の言葉に、数人は得心しかねていたものの最後は皆揃って頭を下げた。
この王の采配がザーム王国に如何なる未来を導き出すのか。まだ、誰も図り知ることは出来ない。
閲覧して下さっている方の人数にちょっとビビり始めました…。本当にありがとうございます。
前回に続いて大分文体が変な予感がします。批判やご意見ありましたらコメントいただけると嬉しいです。