第6話 為政者(上)
結構時間が空いてしまい申し訳ないです。
ザーム王国首都ラクトザーム。人口約13万人を擁し今も緩やかに拡大を続けるこの都市は、ラクトザーム王城を中心に幾重もの城壁に年輪の如く覆われており、王城から離れる程暮らしが貧しくなる典型的な城塞都市である。今や7重にまで広がった城壁は其処に住む者の王家にとっての重要度を表すかの如く徐々に低くなり、中心部の堅固な守りの内側には貴族や神官が、最外縁の土で形作られた貧相な城壁のさらに外側は貧民街となって亜人が多く暮らしている。
もっとも神智暦後に勃興した無数の国家の内でも最後に誕生したこの王国は、その成立以降一度も大規模戦乱を経験していない。建国当初こそ国境線付近を北方に存在する大国『神聖帝国ヴェゴニア』によって侵略されたものの、和平通商協定締結以後は大きな諍いも無くここ80年間は内政の安定及び南と西に広がる魔獣の地の開拓に専念している。増えていく城壁は外敵に対する備えというより其処に暮らす者達の生活領域を明示的に分ける事にこそ意味があると言えよう。雇用増進の側面をも持つ城壁建設はまさにザーム王国の年輪であった。
このウルヴァーンと呼ばれる大陸において最南端にあるザーム王国にとって、南と西の未開地帯は人界の限界点であり、また未来の豊かな国土そのものであった。切り開き、開墾し、鉱物資源を採掘する。開拓の前線基地はそのまま村となり、やがて周囲が安全になり収益が増えると共に町となる。そうやって建国以来次々と森を切り開き魔獣達を退けて国を富ませて来たザーム王国の前に14年前、突如として立ちはだかったものがあった。
南から南西にかけて長々と横たわる『ヘテ・ルブス大森林』通称『魔の森』、国土の西部に存在する巨大な湿地帯『トートンの泥濘』、そして其処に棲む強力な魔獣達である。意気揚々と森を切り開き魔獣を追い散らして来た開拓者達は、今までの森が神の加護すらある程の穏やかな林でしか無かった事にようやく思い至った。
死の魔人トートンの名を与えられた巨大な沼地は歩く事もままならない泥沼とねじくれた木々、その間から襲い来る魔獣によって1日に2バスメルテ(1バスメルテは約500m)も行軍出来ず、術でも癒せぬ瘴気で次々と死者を生み、その屍は死霊の手に堕ち蛆の湧いた屍食鬼と化してかつての同胞を襲った。
魔の森に至ってはいかなる作用か方角を知る術法針が機能せず、陽も指さぬ程の樹海の中で方角を知る事すら出来ない人間達を強大な魔獣が虐殺した。トートンの魔獣すら人の手には余るというのに、魔の森の魔獣は数種が人と同じかそれ以上の智恵を持つのだ。術を自在に操り獣の本能では無く技術を持って戦う彼等に、移動する事すら覚束ない人間達が敵う道理は無かった。とどめとばかりに数年前からは黄金の龍が森の更に奥に棲む様になった。
かくしてこの十年以上、ザーム王国の国土拡大政策は完全に頓挫している。
領主達に恩賞を提示して開拓を奨励し、前線基地となる村々には補助金を与える事によって伸るか反るかの開拓事業に命を投げ出す貧民達を効率良く使いザームは国力を増していた。治安の一時的な低下にも目を瞑り、他国の戦乱や貧困によって住む地すら失った者達を積極的に国内に招き入れて来たのもそのためであり、開墾の力仕事や魔獣との戦いで盾になる亜人奴隷を大量に仕入れては開拓者に安く提供することすら国家事業としていた。そうして国力や兵力で劣るザームは、開拓地より得た農産物や鉱物資源を元手に政治面で大国と渡り合い平和を保って来た。つまる所、ザーム王国の政治・行政・経済は開拓を続ける事が前提にあったのだ。
今ザーム王国は経済的成長がほとんど停止しているにも関わらず、人口は緩やかに増加し続けている。農民は農地が増えず子に農地を分け与える事によって貧しくなり、鉱山経営者は拡大が見込めずに損益を出し始めていた。当然最初に割りを食うのはつるはしを握る者達だ。商人は情勢に敏感な他国商人との取引で敬遠される様になり店をたたむ者も少なくない。それに伴って都市部では治安も悪化し、貧困層に落ちた人間は犯罪を犯すか無謀な開拓に乗り出しては屍を晒した。
一部の貴族の間では、このままでは最悪後10年もしない内に完全に国家としての体を失うとまで囁かれている今日。開拓に依存し切ったザーム王国は、その失速と共に急速に国力を失いつつあった。
◆◆◆
「ラング近衛騎士団長、御入室!」「フィーラー宰相、御入室!」
次々と王国の政に携わる者達が議事堂へと足を踏み入れる様子を、ラクトザーム城の主、カムロン=フォルニアス=エス=ザーム国王は不機嫌そうに見つめていた。魔の森と恐れられるヘテ・ルブス大森林の開拓に止めを刺した龍の仔誕生以後の3年弱で、政務の疲れと加齢によって王の容貌はさらに衰え、幾つかの皺と弛みが追加されている。
「ゼフォン王太子殿下、御入室!セフィーア王女殿下、御入室!」
衛兵が一段と張り上げた声に、カムロン王は僅かに顎を持ち上げて大扉の方に視線を投げた。精悍さと生真面目さを滲ませる青年と気高さ故の気の強さを感じさせる少女は、小さく目礼を返してくる。
共に見事な金髪を波打たせた2人は王が壮年期になってから授かった子で、母親は違えどそれぞれ国の行く末を憂い若くして政治の場に於いて尽力していた。彼が最も寵する家臣であり、愛する我が子でもあった。貴族達には厳格と評される王も、息子達を見る瞳には優しい光が宿る。
「…これより定例御前議会を開会致します。国王陛下」
全ての椅子が埋まると厳かな口調で宰相フィーラーが宣言する。骨ばった老宰相に続いて全員が立ち上がり、最上段の玉座に位置するカムロンに向かって心臓に右拳を打ち付け腰を深く折る神智教式の礼を取った。それに対して王も軽く左胸と額に手をやり答礼する。
「では、報告ある者は述べよ」
「は。では私から。既にお聞き及びかと存じますが、今から半月前、冬の2月11日に『オージスの槌鉾』開拓団がトートン湿地帯にて全滅。さらに同月20日『第17次ルブス開拓隊』がヘテ・ルブス大森林にて壊滅致しました。こちらに関してはまだ日が浅い為情報が足りませぬが生存者の言によりますとヴァンリーの縄張りに侵入した為とか」
重い空気の中まず口火を切ったのはフィーラー宰相の補佐官だった。オージスの槌鉾と名乗る開拓者達は商人や傭兵が募った民間の開拓者団、一方の第17次ルブス開拓隊はルブス領主が公的に募ったものである。どちらも少人数では無く、錬度の程はさておいても100人を下らぬ戦闘員を擁していたはずだ。
ちなみにウルヴァーンの暦は地球での3月頃から始まり、1年が13ヶ月、1ヶ月26日で3ヶ月毎に春夏秋冬に分けられる。最後の一月は創造の月と呼ばれ世界の創造を祝う祭りが盛大に行われこの間は戦争すらも停止されるのが常であった。冬の2月は真冬ではあるものの、ザーム王国は大陸南部に位置するため降雪も無く過ごしやすい。重武装のまま長時間の移動を強いられる者にとってはむしろ最も戦い易い季節である。
「オージスの槌鉾は魔獣及び屍食鬼化した団員との交戦で非戦闘員共々ほぼ全員が死亡しました。生きてこの情報を伝えた者も先日息を引き取っております。ルブスの開拓隊はヴァンリーとの交戦で戦闘員の過半数を損失した後、撤退中に複数のクルバルによる襲撃でさらに損失を出したと報告されています。こちらは非戦闘員は大半が生き残った様です。尤も物資の大半は大森林に遺棄せざるを得なかったようですが…。詳しい報告は現在早馬がこちらに向かっております故、それを待つべきでしょう。私からは以上であります」
ヴァンリーとは半人半蛇の魔獣で全身を強靭な鱗で鎧う、知能も高く術をも自在に操る強力な魔獣である。数家族が群れて暮らし、縄張りを荒らす相手には容赦しない。弓や土術で強化された石の剣等を用い戦術的に敵を狩る、クルバルよりも遥かに強力な存在だ。
つまりはどちらも壊滅、今年最後となる2つの大規模開拓団は見事にその能力を失ったという訳だ。報告を終えた補佐官は王の顔色を伺う様にちらりとその顔を盗み見たものの、理不尽な怒りが彼に降り注ぐ事は無く彼は息をついて着席した。
「百人単位の戦力では無駄だと解りきっていたものを…。ルブスのビクリスめも学ばぬ奴だ。功を焦るのも大概にしてもらわんと、無駄な損失が出るだけよ」
王が罵る様に呼んだビクリスとは、ルブスに封ぜられている領主である。半年程前にも開拓団の派遣を控え資金と人間を蓄える様に下知したばかりだというのにこの有様だ。オージスの槌鉾側は鉱石商人達が共同出資で集めた者達だったと報告されている。恐らく競合する相手が居ない今を狙い起死回生の大開拓団を形成したのであろうが、今頃その商人達は夜逃げしているか身投げしているかのどちらかであろう。『方策を用意するためそれまでは資金人員を温存せよ』と数回布告しているものの、抜け駆けを狙う者は絶えなかった。
「やはり、これ以上の無駄な損失は看過できません、陛下。南部諸侯が既得権益にしがみついておったせいで援助金の打ち切りにも手間取り、もう猶予は無いのです。何か抜本的に対策を考える他ありませぬ」
「私もフィーラー殿に賛成であります。失業率も上がる一方ですし、開拓事業は完全に頓挫しております。近衛騎士団投入を叫ぶ声も高まっておりますが、何分実戦経験は一部の者しかございません」
フィーラーとラングが揃って声を上げるものの、具体案を示すには及ばない。ラング配下の騎士たちは近衛騎士団とは名乗っているものの、この国唯一の職業軍人である彼等も人界に来る下位魔獣との戦闘しか経験が無く、人数も3000人弱と戦力としては最低限。都市部の警備と国境の維持に配備されている者達を動かせば国そのものも危ういのだ。簡単に投入出来るものでは無い。
「騎士団全てを動かせば恐らくは…」「その間誰がヴェゴニアやアルトネーとの国境線を守るというのだ!」「森林を焼き払いながら推し進めれば戦力は少なくても…」「魔獣共が溢れてきよるぞ」「やはり開拓事業は完全に放棄する他…」「我が家も開拓事業に資産を賭けていたというのに…」
下座に座る幾人かの大臣や文官達が次々と口を開くが現実的とは程遠く、自分の損失に言及する者すら居る始末。王は苛立ちを肘掛にぶつけるかのように腕を持ち上げ叩き付けようとした。
その時、声が響いた。
一気に登場人物が増えて処理が追いつかず変な文章になっているかも知れません。会話と説明を無理なく盛り込むのがこんなに難しいとは。
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