第3話 親子龍の生活(上)
今回少し短くなってしまいました。
この地に人がつけた名は天剣山脈。その名の示すように数多の剣が天を指し示すが如く、鋭い峰の連なる急峻な山岳地帯である。その山々の一つ、魔の森に程近い山の中腹にディラック達親子の巣はあった。
ディラックがこの地に生まれて早くも1年が経った。1つ1つが小さな砦ほどもある巨石群に囲まれた巨大洞穴に作られた巣の入り口で、ディラックは今は狩に出ている母に教えられた通り体内の膨大な魔力を制御する訓練に励んでいた。
この1年間で、ディラックは母龍――その名をアルヴィス――から様々な事を教わっていた。元来龍とは力もさることながらその知恵も高きものだが、気が遠くなるほどの永い時を彼らは生きる。生まれて1年も経たない仔としては些か異常と言える知識欲であり、遠い昔自らの幼かった頃を思い出してアルヴィスは内心不可思議に思っていた。しかし生まれた直後から高い力を感じたため、多くない同属の中でも頭抜けて優れた龍となるのだろうと疑問を母の誇りに変えて仔の問うままに多くを教えて来たのだった。
もっとも母は勿論知らない事であったが何もおかしなことなど無い。幼い龍ディラックの精神はその実人間の21歳の青年、翔であるのだから。その身を強力なドラゴンとした今も、肉体に引きずられ変化し続けているとは言え概ね人間の時の自我を残していた。知識は力であり、誤った選択をしない為には知識はより多く、より正しく蓄えるに越したことは無い。しかもここは自分が21年間過ごした中で蓄えた知識の多くは通用しない異世界となれば、必死になるのも当然であろう。
(母様が帰ってくるまでに、今日こそ何とか魔力の方向性を明確に絞れる様にしよう)
ディラックはその力こそ高かったが、一方で力を制御し、自らの意のままに操ることは壊滅的と言って良いほど苦手だった。
寝ている最中に夢の影響か、魔術の暴発で洞窟を焦がした事も一度や二度では無い。何の夢を見ているやら、まだ教わってもいない火術や雷術を無意識に発現し周囲に放ってしまうのだ。アルヴィスは既に成龍となって永く、魔力の制御など無意識下で働いている。寝ている最中とて体の周りには常に術の防御膜を生み出しているため、仔の放つ制御出来ていない術が直撃しようがかすり傷ひとつ負わないが、洞窟内と巣の構造物はそうは行かない。母龍は何度もふもとの森から木や岩を運び、獲物として巣に運んだ大型の魔獣の皮を剥いでは巣の補修をしていた。
(母様は優しいから怒りはしないけど、こう何度も巣を爆破してしまうのはどうもなぁ…。早く制御できるようにならないと一人前の龍にはなれない)
まるで人間がするように、ディラックは首を軽く振って途切れかけた精神集中を再開する。
たびたび巣を破壊する落第生に、アルヴィスは今他の知識に優先して魔力の制御を学ばせている。彼女が言うには、力を持て余し制御できない事は龍としてはとても恥ずべき事だということだ。幼い今でこそ咎められる事では無いが、もし成龍となっても出来ない様なら龍の矜持など持てはしないという。
ディラックはこの世界での母を落胆させたくは無かった。人であった頃の母親には、恨みこそしなかったが愛情を注いでもらった記憶は殆ど無い。その反動なのか、深い愛情と理解を示してくれる母、アルヴィスの期待に背くことは絶対にしたくないと考えていた。それに自身の理想であった気高き龍となるには、こんな所で躓いているなど言語道断である。愛情に応える事と自分の目標とが合わさり彼を日々修行に邁進させる原動力となっていた。
(心臓に意識を集中して…それぞれを満遍なく…)
魔術の能力は精神力と術構造の正確さ、魔力量によって決まる。体内に貯められた魔力を管理し、空間に精神で描く不可視の術式、いわゆる魔方陣を正確に構成し、その魔方陣に望むだけの魔力をコントロールしながら流し込む事で発動させる。この過程の何処が欠けていても正確に術を発動させる事は出来ない。体内魔力の管理が出来ていなければ無為に力を垂れ流すだけでなく敵手に気取られる事にもなり、又使用する魔力の操作が覚束なければ威力や方向を正確に定める事が出来ない。何より術式が不完全だった場合には暴発が起こり非常に危険となる。そうなった場合どんな効果が発揮されるかは予測できず、魔獣人族問わず少数ながら命を落とすものもいるという。
ディラックの場合は術式構成も精神力も未熟だったが、何よりもまず体内の魔力を管理出来ていなかった。当初は溢れる魔力を体内に固定することすら出来なかったため、今でも定位置である彼の寝床の下、ただの岩だった物がそれなりの密度を持つ魔晶石と化してしまった程だ。流石に今ではその様な事は無くなっていたが。
(頑丈なタンクを…バルブを固く閉じて…)
3つある龍の心臓に、ガソリンを入れる頑丈なタンクをイメージする。『心臓の位置に魔力を蓄え収めるものを想像する』という修行方法は種族を問わず有効とされている。アルヴィスは昔『強靭な蔓草と自らの翼で作られた囲い』をイメージして修行したと言っていたが、元現代人のディラックは可燃物を収める安全な容器としてガソリンタンクをイメージしていた。母にはありのまま説明するわけにもいかず、『石で出来た頑丈な容れ物』とだけ伝えているが。
可燃物とはもちろん魔力の事である。
(それぞれをパイプで繋いで…出口のバルブは固く閉めたまま3つを繋げる)
強固な容器が3つパイプでつながれ、その先のバルブでしっかりとせき止められているイメージが完成した。龍の体の恩恵か、彼の精神力は明確に物体の構造を心の中に生み出せるまで発達している。この半年の修行の成果かかなり精度が上がっており、ここまでは成功である。
(バルブを少しだけ開いて…)
今まさに調節を開始しようとしたその時、問題は起きた。
母龍アルヴィスが狩の獲物をつかんで巣の近くまで飛んで来ていることに、気配を察知して気づいてしまったのだ。薄く閉じられていた眼を無意識に開けた彼の視界に悠然とこちらに向かって滑空してくる母の姿が映った。その瞬間、わずかに集中が乱れた。
(母様が帰ってきた…あっ!)
予定していた放出量より遥かに大量の魔力が、視線の先の虚空、さらに先に居た母に向かって放射された。咄嗟に首を振って眼をそらしたものの、無色のエネルギーは母の翼を掠めて彼方に消えてゆく。ディラックは慌てて集中を取り戻し、強引に『バルブ』を固く閉じた。
『やれやれ…。我の姿を見ただけで集中を乱されるとはまだまだのようだな、未熟者よ。それほどに母が恋しかったか?』
苦笑とからかいの優しい念を送りつけながらゆっくり降下してくる母に、ディラックは恥ずかしくとても眼をあわせられないとばかりに顔を伏せて着地する場所を空ける為に後ずさる。力なく垂れ引きずられる尾が彼の落胆を如実に表していた。
(はぁ…ゲームだと覚えただけで完璧に使いこなせたけど、現実は流石にそんなことないなぁ…もっと修行しないと)
ようやく1歳を迎えたばかりのディラック。彼は一人前になるまでの遠い道のりを思い、こっそりとため息をつくのだった。
文量の調節が上手く行かず慣れるまでは増減が激しいかと思いますが、ご容赦ください。