婚約者はどなた?2
キッチンでクレインは、生地をこねていた。
側にはメイドのメラがついている。
「よくこねて、よくこねて」
生地にはバターやイースト菌が入っており、すでに良い香りがしている。
生地を丸めて叩きつけたりしていると、メラが言ってくる。
「くるみをお忘れなく」
「うん。もちろん!!」
生地にくるみを混ぜると、バターを塗った鉄板に、小さく丸めた生地をのせていく。
「今、オープンも用意できましたわ」
「ありがとう、メラ」
頬には粉をつけていても気にせず、クレインは予熱が完了したオープンの蓋を開け、鉄板を入れる。
「焼けるまで、少し休みしょうか」
「そうね。ホットミルクでももらおうかしら」
「お任せください」
クレインは調理台の上を片付け始める。
使ったら自分で片付ける、そう教育されているので、慣れた手つきで動いていく。
ーあの人、驚くかしら…?
婚約者のサイアンの顔を思い出し、顔が赤くなる。
耳を噛んだり、抱きしめてきたりと、何をしてくるか予想のつかない男性だった。
ー私が子ども過ぎるのかしら…?
メラに聞いてみたいところだが、大騒ぎになっても困るので、調理台が綺麗になったところで椅子を用意し、座る。
「クレイン様、はい」
「ありがとう、メラ」
カップをそっと受け取ると、メラが側に座り、同じくホットミルクを口に運ぶ。
クレインは猫舌なので、ふうふうと息をかけていると、ふわりと甘い香りがした。
「メラ、ホットミルクに何か入れた?」
「あ、気づかれましたか? 少しだけ蜂蜜を入れてみたんです」
「ああ、蜂蜜!! なるほどね」
そろそろいいかと、カップに口をつけると、ホットミルクを飲む。
まだ少し熱かったが、喉を通過させると、お腹が温かくなっていく。
オープンを使っているので、キッチンは他の部屋に比べれば、暑いほうだった。
ーホットミルク、美味しい。
少しずつ口にすると、メラが話しかけてくる。
「それで? パンができたら、サイアン様に差し上げるのですか?」
「そうよ。私の得意なことを実際に見せないと。嘘はつきたくないの」
小さな嘘も、月日が経てば大きな嘘になる。
クレインはそう教わってきたので、素直で優しい女性に成長中だった。
ーあの人は意地悪だけど。
悔しそうに口を歪めると、メラが首を傾げる。
「ホットミルク、まずいですか?」
「あ、違う。違うのよ。ちょっとね。ほほ」
慌てて表情を元に戻すと、カップを調理台に置く。
「ご馳走様。…わ、パンの焼ける良い香りがしてきた」
「そうですね。クレイン様のパンは絶品ですもの」
「それは…ちょっと言い過ぎかもしれませんわ」
「いいえ。私、メラは褒めて伸ばすタイプですわ!!」
2人はふふと笑い合うと、玄関ホールが賑やかになる。
今日はサイアンがやって来て、ティーナ家でゆっくりく過ごすことになっていた。
ー自慢のパンで、負けさせてやるのですから!!
よし、と気合を入れると、エプロンを外す。
「メラ、パンを見ててくれる?」
「はい!! クレイン様、行ってらっしゃい」
「うん。迎えに行ってきますわ」
クレインは足早に進むと、玄関ホールへ到着する。
サイアンはこの前と違い、ちゃんと正装しており、側には執事のガイが控えていた。
「ーやあ、クレイン。来たよ」
礼儀正しくお辞儀をすると、サイアンが抱きしめてくる。
「あ、あの…!! ちょっと」
「うーん、甘い香りがする。私のために何か作ってくれたのかな?」
「さ、さあ…? 知りませんわ」
ふいと顔を背けると、首筋にキスをされる。
クレインはびくりと反応し、サイアンを驚いた目で見つめる。
「ふふ。可愛い人だ。まだまだ愛情表現はあるんだけど」
「い、いいえ!! もうたくさんですわ!!」
「そう? 私は楽しいのだけれど?」
意地悪なサイアンに、クレインは足を踏みつけようとして、防がれる。
歳が離れているせいか、どうも子ども扱いされている気がして、むっとする。
「私は、生きていますよ!! その、ドールー人形と違って、敏感なんですから!!」
「それは、そうだ。だから楽しいんじゃないか。ー私の可愛い人」
鼻をちょんと押され、クレインは真っ赤となる。
「も、もう…!! 私を驚かせないで」
「そう? 素の君はどんな女性よりも、魅力的だと思うけれどな。ーほら」
「きゃあ!!」
くるくると回られ、クレインは思わずサイアンの服に掴まる。
「お、重たいですから、降ろしてくださいませ!!」
「駄ー目。何を作っているか、教えてくれる?」
「す、すぐに分かりますわよ!!」
ぽかぽかと叩く真似をすると、サイアンが口の端を上げる。
「楽しみだな。…私はこっちのほうが嬉しいけれど」
「は…? !!」
唇に軽くキスをされ、クレインはその場にへたり込む。
思わず唇に触れ、全身を熱くさせる。
ーわ、私のファーストキスが…!!
わーわーと心の中で叫び声をあげていると、執事のガイが見かねたのか、助け舟を出してくる。
「サイアン様、やり過ぎですよ。お嬢様はその、大人の扱いに慣れていらっしゃらないようなので」
「へえ…。ふふ。私の婚約者はどんな女性に成長するのかな?」
上機嫌機嫌なサイアンに対し、クレインはじっと睨む。
「ふ、普通にしてくださいませ!! お願いいたしますわ」
「嫌だ。私は命令されるのが嫌いでね」
「もう!! 知りませんわ!!」
クレインは立ち上がると、方向を変えて去ろうとしたのだが、サイアンが長い脚でついてくる。
側にはガイもついて来ており、クレインは振り返る。
「ついて来ないでくださいませ!! 私、機嫌が悪いのですの」
「え? 私は嬉しいけれど。どこに行くのかと思って」
「どこって、その」
迷っていると、メラが姿を現し、小声で伝えてくる。
「パンが焼き上がりましたわ」
「じゃあ食堂に置いてくれる? あと飲み物は…?」
クレインがゆっくり視線を送ると、サイアンが顎に手を当てる。
「何でもいいんだけど…ホットワインかな。お前はどうする?」
「私も同じもので。よろしくお願いいたします」
メラは頭を下げると、忙しそうに歩いていく。
クレインはどうしようと困ったのだが、パンが今日のメインなので、食堂へ案内することにする。
「食堂へお連れいたしますわ。ついて来てくださいませ」
「分かった。楽しみだな」
その言葉に嘘はないようで、サイアンが笑顔を浮かべる。
それだけで、くらりとする女性は多いのではないかと思ってしまう。
ー…私でいいのかしら?
急に自信がなくなり、足を止めると、サイアンが聞いてくる。
「どうしたんだい?」
「それが…その、私が婚約者でいいのかと思いまして」
「は? …あはは!!」
サイアンは声を立てて笑うと、クレインの手を繋いでくる。
その手は暖かく、冬の寒さなど気にしていない様子だった。
「私は君がいい。クレインが。楽しくてしょうがない」
「あの、私で遊んでいます…?」
「そんなことはないよ。さあ食堂へ行こう」
肩を抱かれ、促される。
クレインは仕方なく食堂に行くと、メラが準備してくれたらしく、パンがそれぞれの皿に乗っている。
「わ、くるみパンだ!! くるみパンですよ、サイアン様!!」
喜んだのはガイで、サイアンは冷静に室内の香りを楽しむ。
「バターとワインの香りと、これは…楽しみだ。わざわざ用意してくれたの?」
「そ、そうですわ。その…サイアン様が来るというので、その、私の得意なものを披露しようと思いまして…。駄目でしょうか?」
「駄目じゃない、駄目じゃない。ふふ、嬉しいな」
サイアンは子どものように瞳をきらきらとさせると、ガイが先に回り、席をひく。
クレインのほうはメラが動いてくれ、正面に座る形となる。
「あの気に入っていただけるといいのですが…?」
「自信がないの?」
「そ、そんなことはありませんわ!! 自信があります」
やけになって言い返すと、サイアンがふと笑う。
彼はパンを手に取ると、一口に分け、口に運ぶ。
それをクレインはじっと見、様子を窺う。
「いかが…?」
「うん、美味しい。美味しいよ…!! クレインは最高だ!!」
「…よ、良かった…」
クレインもパンを手に取ると、ちぎって口に運ぶ。
くるみの程よい食感と、パンのほのかな甘さが重なり、美味しさのハーモニーを生み出す。
ーよくできましたわ!! やったあ!!
思わず微笑むと、サイアンがホットワインを飲む。
「ああ、身体が温まる…。ガイ、どうだ?」
「美味しです!! 私までいただいて、申し訳ありません」
「いいのですよ。皆様、どうもありがとうございます」
美味しいは魔法の言葉で、クレインはにこにこと笑顔が浮かべる。
するとサイアンが手招きする動作をしたので、不思議に思っていると、彼はパンを指差す。
「ーこれ、クレイン。チュ」
「!! まあ!! そ、その、あの!!」
クレインのほうが真っ赤となり、よろめいたところを、メラに支えられる。
「あはは!! 楽しいの!! 楽しい。君、素晴らしいよ。私の奥様」
「お、奥様…!! ああ、もう…」
どうしたらいいのか分からなかった。
クレインは額に手を置くと、サイアンから顔を隠そうとする。
「こら。顔を見せて。可愛い人なんだから」
「か、可愛い…? えっと、その」
「何? 何か言うことがある?」
「私を、奥様にその、するつもりですか…!?」
「当然。あー、楽しい!!」
サイアンはご満悦で、クレインは頬を引きつらせる。
嬉しいような、面白いような、だけどとても困ったような、複雑な心境だった。
ーえっと…男性って、皆、こんな感じなのかしら…?
詳しく知らないので、戸惑う自分と、どこかどきどきする自分と、2つに分かれる。
ー私、どうなるのかしら…?
それは誰も知らないことだった。




