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嘘つきなネクタイ

作者: たけし
掲載日:2026/05/22

はじめまして、ご覧いただきありがとうございます!本作は「大人の上司 × 嘘つきな新入社員」の、BLオフィスラブです。給湯室という狭い空間での、もどかしい距離感を楽しんでいただけたら嬉しいです。サクッと読める短編(約2000文字程度)ですので、通勤途中やちょっとした隙間時間にどうぞ!

「おい、真山。またネクタイが曲がっているぞ」


午後三時、オフィスビルの最上階に近い、誰もいない給湯室。微かにコーヒーの香りが漂う空間に、低く、深く響く声が下りてきた。


声の主は、営業部を統括する若き部長・高坂こうさか。三十五歳。仕立ての良いスリーピーススーツを完璧に着こなし、部下からの信頼も厚い、まさに「大人の男」を体現したような上司だ。


対する真山まやまは、この春に入社したばかりの二十二歳の新入社員。高坂に指摘され、真山はわざとらしく自分の首元に手を当てて、困ったように眉を下げてみせた。


「あ、すみません……。俺、どうしてもこれ、綺麗に結べなくて」


──それは、真っ赤な嘘だ。就職活動を通じて、ネクタイの結び方など嫌というほど練習した。左右対称の美しいディンプルだって、本当なら鏡を見なくても一発で作ることができる。

だけど、こうして「頼りない新入社員」のフリをしていれば、高坂が自分の意思でパーソナルスペースを越えて近づいてくれる。そのことを、真山は配属されてからの二ヶ月で学んでいた。


「まったく。もう学生じゃないんだから、身だしなみくらいピシッとさせろ」


口では呆れたような小言を言いながらも、高坂は手に持っていたマグカップをカウンターに置いた。そして、躊躇なく真山の目の前へと歩み寄ってくる。


至近距離。高坂が踏み込んできた瞬間、ふわりと鼻腔をくすぐるウッディでスパイシーな、落ち着いた大人のコロン。真山はその匂いを吸い込むだけで、心臓の奥がじわりと熱くなるのを感じた。


高坂の大きく、節ばった指先が、真山の少し乱れたシャツの襟元に触れる。男らしくて温かい指。それが自分の喉元で動いていると思うだけで、真山の鼓動は一気に跳ね上がった。高坂は真山の歪んだネクタイを一度ほどき、手際よく結び目を押し上げていく。


真山は、ネクタイを整える高坂の真剣な目元をじっと見つめた。目尻に刻まれた僅かな笑い皺が、大人の余裕を感じさせる。仕事中は冷徹に見えるその瞳が、今は自分だけを映している。


(……気づいてるくせに。この人だって、相当意地悪だ)

真山は知っている。高坂が、他人のだらしなさに対して本来はもっと容赦がないことを。本当に興味がなければ、ネクタイが曲がっていようが、「身だしなみを整えろ」と一言注意して終わりにするはずなのだ。


それなのに、高坂はいつも文句を言いながらも、自ら手を伸ばして真山のネクタイを締め直す。この奇妙な甘い時間は、二人の間でいつの間にか暗黙のルーティンになっていた。


「よし、できたぞ」


高坂が満足そうに呟き、結び目をキュッと引き締めた。しかし、いつもならそこで「早くデスクに戻れ」と突き放すはずの部長が、なぜかその場から動かない。


「……真山」


結び目を整え終えた高坂の右手が、離れるどころか、そのまま真山の左胸のあたりにぽんと置かれた。薄いワイシャツの生地を通して、トクトクと、うるさいほどに脈打つ鼓動が、高坂の大きな手のひらにダイレクトに伝わってしまう。


真山は息を呑んだ。逃げようにも、背中はすでに給湯室の冷たい壁に張り付いている。


高坂はふっと大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべ、さらに一歩距離を詰めた。耳元に近づく熱い気配。低く心地よい声が、鼓動をさらに加速させる。


「嘘が下手だな。……心臓、鳴りすぎだ」

「え、あ、それは……」

「ネクタイが苦手っていうのも、嘘だろう?」


高坂の目が、すべてを見通しているかのように細められた。真山は完全に固まった。すべて見抜かれていたのだ。最初から。

自分が大好きな上司に近づきたくて下手な芝居を打っていたことも、その手に触れたいと願っていたことも。


「気づいて……いたんですか」


消え入りそうな声で白状すると、高坂は愛おしそうに笑った。


「気づかないわけないだろう。お前、先週の重要クライアントとの会議の朝、めちゃくちゃ綺麗なウィンザーノットでネクタイを結んでいただろう。俺は見ていたぞ」


言い逃れのできない証拠を突きつけられ、真山の顔が一気に赤く染まる。

恥ずかしさのあまり下を向こうとしたが、高坂の大きな手が真山の顎をそっと持ち上げた。


「なんであんな嘘ついたんだ?」


問いかける高坂の瞳には、怒りの色は微塵もなかった。むしろ、新入社員の可愛い反抗を愉しむような、焦れるような熱が混ざっている。


真山は覚悟を決めた。ここで引いたら、ただの「手のかかる部下」で終わってしまう。


「……そうでもしないと、高坂部長、俺に触ってくれないじゃないですか」


精一杯の強がりを込めて、高坂の目を真っ直ぐに見つめ返す。


「俺、仕事の指示以外でも、部長に近づきたかったんです。新入社員としてじゃなくて、男として、俺のことだけ見てほしくて……っ」


一気にまくし立てると、高坂は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。だが、すぐに降参したように深くため息をつく。


「お前な……。本当に、気がついてないんだな」

「え?」

「俺が、興味のない部下のネクタイを、毎日毎日わざわざ結び直すと思うか?」


今度は真山が目を見開く番だった。

高坂はネクタイを緩め、首元のボタンを1つはずし苦笑いする。


「お前の嘘に気づいてからも、ずっと泳がせていたんだ。そうじゃないと、俺もお前に触れる口実がなかったからな。」

「それって……」

「お前が俺に仕掛けたつもりの罠に、俺は最初から喜んで引っかかっていたんだよ、真山」


高坂の手が、真山の頬にそっと触れた。親指が優しく唇の端をなぞった。大人の男の、少しざらついた指先が酷く心地いい。


「もう、ネクタイが曲がっていなくても触れられるな。これからは、嘘つかずに俺に甘えろ」


給湯室のドアの向こうから、他の社員の足音が近づいてくるのが聞こえた。

高坂はちいさく舌を打ち、真山の耳元で「今日の夜、美味い店を予約してある。残業せずに上がれよ」とだけ告げて、いつもの完璧な上司の表情に戻る。それから、真山の左手をぎゅっと骨が軋むほど強く握りしめ給湯室をあとにした。

残された真山は、ネクタイに手を当てながら、これからはじまる大人の男との甘い夜を想像して、熱い吐息を漏らした。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!実は最初からすべて見抜いていた高坂部長と、必死に可愛い嘘をついていた真山くんのお話でした。大人の余裕を見せつつ、本当は焦れていた部長がお気に入りです。もし「いいな」「この二人の続きが見たいな」と思っていただけましたら、いいね・ブックマーク・評価などで応援していただけると励みになります!

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