封印の令嬢は追放を静かに受け入れる〜私を捨てた国が妖の呪いに沈む中、解き放たれた最強の犬神に「俺だけのものだ」と甘く重く囲い込まれました〜
短編です。
続きは迷っていますが際どい気がします。
ムーンライト版とかになりそう
【一】断罪の夜会と銀の枷
豪奢なシャンデリアが放つ黄金の光が、大理石の床を滑るように照らし出している。
王都の中心にそびえ立つ白亜の王城。建国記念の祝賀会が催されている大広間は、色とりどりのドレスを纏った貴族たちの熱気と、甘ったるい香水の匂いでむせ返るようだった。
しかし、その華やかさの底には、常に冷たい澱のような沈黙が潜んでいた。
「セラフィナ・オルトゥス公爵令嬢! 貴様との婚約は、本日ただいまをもって破棄させてもらう!」
楽団の優雅なワルツを切り裂くように、第一王子レオンハルトの傲慢な声が響き渡った。
広間が水を打ったように静まり返る。数百の視線が一斉に、広間の中央に佇む一人の少女へと突き刺さった。
セラフィナは、表情を崩すことなく王子を見つめ返した。
豪奢な夜会には不釣り合いな、首元までを覆い隠す漆黒のドレス。肌の露出を極限まで抑え、重苦しいベルベットの生地で全身を包んだ彼女の姿は、鮮やかな貴族たちの中で異質な影を落としていた。
そして何より人々の目を引くのは、彼女の首に食い込むように装着された、重厚な銀のチョーカーだ。そこには禍々しい術式がびっしりと刻まれ、微かに紫色の光を放っている。
「理由を、お聞かせ願えますか」
静謐な、しかしどこか非現実的なほど透き通った声だった。焦りも、悲哀もない。ただ事実を確認するだけのその態度が、レオンハルトの自尊心を逆撫でしたらしい。彼は傍らに侍らせた、可憐なピンク色のドレスを着た男爵令嬢の腰をこれ見よがしに抱き寄せ、吐き捨てるように言った。
「その陰気で気味の悪い態度だ! 常に重苦しいオーラを纏い、ろくに笑いもしない。隣にいるだけで肌が粟立つような不気味な女など、光り輝くこの国の王妃に相応しいはずがなかろう! お前のような呪われた影を連れ歩くのは、もう限界なのだ!」
クスクスと、周囲から嘲笑が漏れ始める。
「確かに、公爵令嬢が近づくと急に寒気がするのよね」
「まるで行く先々に不幸を振りまく死神のようだわ。レオンハルト殿下が気の毒に」
「あのような不吉な女、追放されて当然だ」
悪意に満ちた囁きが、冷たい石の壁に反響してセラフィナの耳に届く。
しかし、彼女の心は凪いでいた。
(……陰気、気味が悪い、か)
彼らがそう感じるのも無理はない。セラフィナが常に纏っている重苦しい気配は、比喩でも何でもなく、文字通りの『死と呪いのオーラ』なのだから。
オルトゥス公爵家は、建国の昔からある重大な秘密を担っていた。
それは、この王都の地下深くに封じられた『厄災』の管理。かつて大陸の半分を焦土と化し、無数の命を喰らった異形。西洋の魔法体系では到底太刀打ちできない、異邦の理を持つ最強の大妖——【犬神】。
公爵家の直系は代々、自らの肉体と魔力を『檻』として、その犬神の怨念を封じ込め続けてきた。セラフィナの首にある枷こそが、犬神と世界を隔てる最後の防壁だった。
封印を維持するためには、莫大な精神力と魔力を絶えず消費し続けなければならない。明るく笑う余裕などあるはずもなく、犬神から漏れ出る呪詛の影響で、体温は常に低く、纏う空気はどうしても重く冷たいものになってしまう。
すべては、この国を、そして目の前で自分を嘲笑う愚かな人々を護るため。
その献身の結果が、この理不尽な断罪だった。
「オルトゥス公爵家は、王家の慈悲により辺境の地へ追放とする! 二度と私の視界にその不気味な顔を見せるな! お前のような『呪いそのもの』が、我が国の太陽である私に触れることなど許されん!」
レオンハルトの決定的な宣告が、広間に響いた。
その瞬間、セラフィナの中で張り詰めていた「何か」が、ふっと音を立てて切れた。
理不尽な怒りよりも先に、深い、深い安堵が胸に広がった。
もう、耐えなくていいのだ。この傲慢な者たちのために、自らの命を削り、化け物の怨念を抑え込み続ける泥沼のような日々から、解放されるのだ。
「……承知いたしました。レオンハルト殿下」
セラフィナは、ドレスの裾をつまみ、この人生で初めて見せるほどの、美しくも妖艶な微笑を浮かべた。
その氷の彫刻が溶けたような絶世の笑みに、レオンハルトも、周囲の貴族たちも、一瞬息を呑んで硬直する。不気味だと思っていたはずのその顔が、あまりにも美しく、そして恐ろしかったからだ。
「私を追放するという王命、確かに賜りました。――これで、私の役目は終わったのですね。この国を愛し、守り抜こうとした、私の……そして我が一族の誓いも、たった今、潰えました」
セラフィナはゆっくりと両手を首元へ運び、冷たい銀のチョーカーに指をかけた。
彼女の指が微かに震えているのは、恐怖からではない。何百年もの間、閉じ込められていた『巨大な愛憎』が、主の意思に呼応して歓喜に震えているからだ。
「な、何をしている……? 不気味な真似はやめろ!」
レオンハルトが怪訝な声を上げ、数歩後ずさる。
セラフィナは答えず、チョーカーに刻まれた術式に、自らの全魔力を逆流させた。
ガチンッ――。
重苦しい金属音が響き、何百年もの間、厄災を閉じ込めていた銀の枷が砕け散った。
破片が大理石の床に落ちて、乾いた音を立てる。
次の瞬間、広間にいた全員の肺が、鉛を流し込まれたような圧迫感に襲われた。
【二】水彩の侵食と、顕現せし災厄
世界が、塗り替えられていく。
煌びやかだった黄金のシャンデリアの光が、突如として血のように赤黒い色へと変貌した。
冷たく無機質だった大理石の床が、まるで墨汁を垂らした水面のように波立ち、ぐにゃりと歪む。
「ひっ……!?」「な、なんだこれは……空気が重い! 息が……!」
貴族たちの悲鳴が上がる。
それは、西洋の物理法則が、異邦の『妖気』によって上書きされる瞬間だった。
虚空から、鮮やかな紫と真紅の靄が、水彩画の絵の具が水に滲むように広がり始める。空間そのものがキャンバスになったかのように、現実世界が幻想的でおぞましい和の情景へと侵食されていく。
壁を割って、毒々しい赤色をした曼珠沙華(彼岸花)が次々と狂い咲き、宙には銀色に輝く幻の桜吹雪が舞い散る。美しい。しかし、それに触れたシャンデリアの硝子は一瞬で腐食し、壁のタペストリーは瞬く間に灰となって崩れ落ちた。
圧倒的な『死』の美学。
そして、狂い咲く彼岸花の中心、濃密な妖気が渦巻くその場所に――『それ』は顕現した。
月光をそのまま紡いだかのような、滑らかで眩い銀糸の長髪。
雪のように白く、一切の瑕疵がない透き通るような肌。
身に纏っているのは、西洋の衣服ではなく、極上の絹で仕立てられた純白の狩衣。そこには、飛び散った鮮血のような真っ赤な彼岸花が描かれている。
すらりとした長身の、息を呑むほどに美しい青年だった。
まるで、熟練の絵師が極細の筆で描き出した繊細な線画が、そのまま命を得て抜け出してきたかのような、人ならざる美貌。
しかし、その切れ長で艶やかな瞳だけは、底なしの狂気と殺意を宿した『鮮血の赤』に染まっていた。
彼の頭部には、ピンと立った獣の耳。そして背後には、ゆらゆらと揺らめく巨大な銀色の尾が九つ、空間を撫でるように広がっている。
「……あ、あ……化物……」
レオンハルトが腰を抜かし、床に這いつくばって後ずさる。
それが何なのか、知識としては知らなくとも、魂が本能で理解していた。
あれは、触れれば国が滅ぶ『災厄』そのものだと。
大妖の青年は、パニックに陥り逃げ惑う貴族たちや、腰を抜かす王子を一瞥すらしない。
彼の赤い瞳に映っているのは、ただ一人。
枷を外し、静かに佇むセラフィナだけだった。
青年は、音もなく大理石の床を滑るように歩み寄り――セラフィナの目の前で、恭しくひざまずいた。
万物を殺す絶対者が、ただ一人の少女の足元に平伏し、その華奢な手首を、壊れ物を扱うようにそっと両手で包み込んだ。
「あァ……」
青年の口から、甘く、熱く、そしてひどく渇いた吐息が漏れる。
「ずっと、ずっと……この時を、待ち焦がれていた。俺の、愛しい檻よ。貴女のその指が、俺の枷を解いてくれる瞬間を……夢に見ぬ夜はなかった」
【三】狂犬の溺愛、理性の融解
「……お前の名は、何と言うのだったかしら」
セラフィナは、目の前でひざまずく美しき厄災を見下ろした。
封印の底で常に声は聞いていた。呪詛となって脳を灼くその声は、恐ろしくもどこか心地よく、孤独な彼女の唯一の伴侶だった。
「白夜と、お呼びください。我が魂の、そして生命の半分よ」
白夜と呼ばれた大妖は、セラフィナの手のひらに、自らの頬をこれ以上なく深くすり寄せた。大型の獣が甘えるようなその仕草と、彼から発せられる致死量の妖気とのギャップに、周囲の人間たちは恐怖で声も出せない。
「やっと……やっと、俺をその軛から解き放ってくださった。三百年間、暗い底で貴女の魔力を味わい、貴女の鼓動だけを聴いて生きてきた。俺は……貴女のすべてに狂いそうだ。いや、既に狂っている」
白夜はゆっくりと立ち上がり、セラフィナをその腕の中に完全に閉じ込めるように抱き寄せた。
ヒッ、と息を呑むセラフィナ。
彼の肌は雪のように冷たいのに、耳元に吹きかかる吐息は、火傷しそうなほどに熱かった。
「……白夜、近すぎるわ。ここはまだ、他人の目があるのよ」
「足りません。こんなものじゃ、到底。それに他人の目? あァ、あそこにいる不浄な羽虫どものことですか。心配いりません。貴女のその美しい瞳に、これ以上不快なものが映らぬよう、後でまとめて潰しておきますから」
白夜は、セラフィナを抱きしめたまま、その細い首筋に飢えた獣のように顔を埋めた。
チョーカーが外れたことで剥き出しになった、無防備な白い肌。そこに残る、銀の枷が長年食い込んでいた痛々しい赤い痕跡を見て、白夜の瞳に昏い悦楽と、制御不能な殺意が混じる。
「この跡、ひどく痛ましい。……けれど、最高にそそる。貴女を縛り付けていたのは俺だ。貴女を苦しめていたのも、笑わせなかったのも、全部俺だ。貴女を陰気だと蔑んだ者たちは、貴女が俺のためにどれほど削り取られ、耐えてきたか、何も分かっていない。……許せない。俺以外の何かが、貴女の形を変えたことが。そして俺自身が、貴女をボロボロにしていたことが、狂おしいほど愛おしい」
白夜の長い指が、セラフィナの背中を這い上がり、うなじへと滑り込む。
彼の濡れた長い舌が、首筋の赤い痕をねっとりと、慈しむように舐め上げた。
「ん……っ、あ……」
セラフィナの口から、無意識に甘い声が漏れる。
白夜の濃密な妖気が、皮膚を通じて彼女の体内に流れ込んでくる。それは三百年以上も拒絶し、抑え込んできた『猛毒』のはずなのに、今は何よりも甘美な『蜜』のように感じられ、彼女の理性をドロドロに溶かしていく。
「逃がさない。もう二度と、あの冷たく暗い底には戻らない。……主、俺の可愛いセラフィナ。これからは、貴女を縛っていた鎖の代わりに、俺の愛で縛られてくれ。もう歩くことさえ必要ない。俺の腕の中で、俺の与える快楽だけを食べて生きていけばいいんだ」
白夜の九つの尾が生き物のように伸び、セラフィナの腕、腰、そして細い太腿へと絡みついた。柔らかな毛並みに包まれているはずなのに、その締め付けは、彼女のすべてを己の所有物として刻印しようとするほどに強烈で、絶対的だった。
白夜の指が、セラフィナの唇を強引に割り、自身の独占欲を誇示するように口内を蹂躙する。呼吸を奪われ、視界が白く染まっていく中で、セラフィナは生まれて初めて、他者に魂ごと飲み込まれる「真の自由」を感じていた。
「貴女を捨てたあの男……あァ、いい表情をしている。恐怖で魂が腐り始めている。……どうしますか? 今ここで、細切れにしてあの女の目の前で食ってやってもいいんですよ? 貴女が望むなら、この国すべてを血の海に変えて、貴女の門出を祝いましょう」
【四】圧倒的な『ざまぁ』と、絶望の百鬼夜行
「待て……! その女を放せ! それは、私の婚約者だ……私の所有物だぞ!」
腰を抜かしていたレオンハルト王子が、震える声で、しかし往生際悪く叫ぶ。
隣にいた男爵令嬢は、既に恐怖のあまり失禁し、白目を剥いて泡を吹いて倒れている。
白夜は、セラフィナを抱きしめたまま、首だけを王子の方へ向けた。その表情には、もはや人間に対する慈悲など欠片も存在しない。あるのは、ただの『処理対象』を見る冷徹な視線だけだ。
「婚約者? ……あァ、先ほどこの宝物を『気味が悪い』と捨てたのは、貴様か。……ほう、まだ喋れるのか。俺の主が、貴様らのようなゴミを護るためにどれほどの地獄を耐えてきたか、その薄汚い脳みそでは理解すらできんようだな。貴様のような羽虫に触れられていたと思うだけで、反吐が出る」
白夜が低く囁くと、王子の周囲の空間が、目に見えるほどぐにゃりと歪んだ。
「ぎ、あぁぁぁぁ!!」
不可視の重圧。レオンハルトの両腕が、見えない力によって逆方向に、ゆっくりとねじ切られる。ミシミシ、ボキボキと、生々しい骨の砕ける音が静まり返った広間に響き渡る。
「レオンハルト殿下。私に言ったはずですわ。私の纏う空気が肌寒く、不気味だと。……どうですか? 今のこの空気は。これが、私があなたの代わりにずっと、一人で抱えてきたものですのよ。あなたが謳歌していた平和の裏側、私の血管を流れていた絶望の温度ですわ」
セラフィナは白夜の腕に抱かれ、彼に体重を預けたまま、冷たく王子を見下ろした。
その瞳に、もはや一片の慈悲もない。
「待っ、待ってくれ……! セラフィナ! 私が悪かった! 婚約破棄は取り消す! 謝るから、頼む、その化け物を……早く封印してくれ! このままでは国が……城が、私の……私の王都が壊れてしまう!!」
レオンハルトが涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして命乞いをする。その醜悪な姿に、セラフィナはただ、悲しいほどに晴れやかな笑みを浮かべた。
「お断りします。私は先ほど、あなた方によって追放された身。オルトゥス公爵家としての義務は、あなたが踏みにじった。……そして、この方は『化け物』ではありません。私の、たった一人の、愛しい騎士様ですわ」
白夜は嬉しそうに喉を鳴らし、彼女の耳たぶを甘噛みした。
「騎士……あァ、いい響きだ。俺の愛しい主。……さあ、宴を始めろ。我が眷属たちよ。三百年の空腹を満たすがいい。ただし、あの王子と、あのピンク色の羽虫だけは殺すな。最も苦しい方法で、永遠に呪い続けろ。死ぬことすら、俺が許すまでは許さん」
白夜の号令とともに、城のあちこちから漆黒の影が這い出した。
犬神の眷属たる何百、何千もの妖の群れ。彼らは飢えた獣のように、絶叫を上げて逃げ惑う貴族たちへと一斉に襲いかかる。
白亜の王城は、内側から爆発するように崩壊を始めた。
西洋の魔法使いが放つ火球も、騎士たちの剣も、異邦の理を持つあやかしには一切通じない。壁は崩れ、豪華なシャンデリアは落下し、悲鳴と血臭が王都全体へと広がっていく。
かつてセラフィナを「不吉な女」と呼んだ者たちが、今、本物の不吉に飲み込まれていく。
「あァ……美しい地獄だ。これが、俺たちが世界に捧げる門出の炎ですよ、セラフィナ」
白夜はセラフィナをふわりと横抱きにした。
彼の背後の九つの尾が、二人を包み込むように巨大な銀色の繭を作る。その中は、外の惨劇が嘘のように静かで、甘い沈香の香りが漂っていた。
「さあ、行こう。俺の、俺だけのセラフィナ。これからは、貴女を泣かせるものは何もない。……俺が、貴女の理性を溶かすほどの愛で、一生かけて……いえ、魂の終わりまで、甘く壊してやるからな」
白夜はセラフィナの唇を、奪い取るような深いくちづけで塞いだ。
逃げ場のない愛の中で、セラフィナは初めて、自分を縛っていたすべての重荷が消え、白夜という名の深淵へと沈んでいく圧倒的な幸福を噛み締めていた。
崩落する王城の向こう側、二人の姿が妖の影の中に消えた後には。
ただ永遠に続く呪いと、地を這う絶望に彩られた、かつての国の残骸だけが残された。
――そして、少女は真実の、そして最も重く甘い幸福を、手に入れたのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【★★★★★】をいただけますと幸いです。
評判良ければ続きも考えます!




