孤独なネジと、影の物語
使い方が分からないので、試しに投稿してみた短編です。
空がひび割れ、大地がカラカラに乾いた遠い未来、世界のいちばん深い暗闇の中に、たった一本の古いネジがありました。
このネジは、世界がバラバラにならないように、重力の決まりや、人と人とを結ぶ絆の鎖をギュッと締め付けて守る、大切な要石でした。
もうずっとずっと長い間世界を支え続けてきたネジは、もうクタクタでした。
「……少しだけ、休ませておくれ」
ネジはほんの少しだけ、自分の体を半回転だけゆるめてみました。その瞬間、世界はパニックになりました。
重力がなくなって石ころが空へ吸い込まれ、おじいさんの白いヒゲが重力に逆らってピンと上を向きました。
さらに恐ろしいことに、時間の流れが狂い、仲良しの友達が「あなたは誰?」と他人のような顔をして笑いました。大好きだったあの子のことも、なにも思い出せなくなってしまったのです。
ガタガタと震える世界を見て、ネジは気づきました。当たり前に明日が来ること、友達と笑い合えることが、どれほど奇跡のようなバランスで守られていたのかを。
「……ううっ、負けるもんか!」
ネジは錆びついた体に力を込め、もう一度自分をギュギギッと締め直しました。
ゆるめてしまった半回転を取り戻し、重い世界をもう一度背負い直したのです。
やがて世界は元通りになり、人々は何が起きたのか忘れてしまいました。
けれど、一つだけ不思議なことが残りました。
太陽がどこにあっても、人々の影はすべて、世界の中心にあるネジの方向を指して伸びるようになったのです。
荒野を旅する人も、町で暮らす人も、影がどこを指しているのかは知りません。けれど、自分の影を見つめると、みんな不思議と心が温かくなりました。
それは、見えないところで自分たちを支えてくれている誰かへの、ありがとうの気持ちでした。
ネジはもう、寂しくありません。
みんなの影が見守ってくれる中で、ネジは今日も誇り高く、世界を支え続けています。
◇
それから、さらに長い年月が流れました。
相変わらず世界は乾き、砂嵐が吹き荒れていましたが、人々は自分の影が指し示す世界の中心に、何かが眠っていることに気づき始めていました。
ある時、一人の少年が旅に出ました。
彼は自分の影がいつも同じ方向を指しているのが不思議でたまらず、その先にあるものを確かめたくなったのです。
影を道しるべにして、砂の海を越え、深い谷を降り、少年が老人になる頃、ついに世界の最も深い闇へとたどり着きました。
そこには、誰も見たことのない、巨大な黄金の歯車がありました。そしてその中心で、今にも壊れそうなほど錆びつき、必死に世界を締め付けている一本のネジを見つけたのです。
「……君が、みんなを支えてくれていたんだね」
老人は、ネジが今にも泣きそうなほどギリギリの状態で踏ん張っているのを感じました。
ネジの体は熱く、震えていました。ネジは孤独な暗闇の中で、たった一本で世界という重荷を背負っていたのです。
しかし老人には、ネジを助ける力はありません。締めてやることも、緩めてやる事もできないのです。
だから老人は優しい声で歌い、語りかけることにしました。
太陽のこと、雨の匂いのこと、町でみんなが笑い合っていること。そして旅の途中で出会った、自分にとっては世界で一等美しい妻のこと。
ネジが守っている外の世界がいかに素晴らしいかを、静かな声で歌い、語りました。
すると、どうでしょう。ネジの震えが、少しずつ静まっていきました。
ネジは老人の言葉を通して、自分が支えている世界の手触りを初めて知ったのです。
これまで義務として耐えていたネジの心に、温かい誇りが灯りました。
老人が地上に戻ると、不思議なことが起こりました。
これまで一本の線のようにネジを指していた人々の影が、ほんの少しだけ、柔らかく揺らめくようになったのです。
それはまるで、影たちがネジに向かって「ありがとう」と手を振っているかのようでした。
ネジは今も、暗闇の中で世界を締め続けています。
でも、もうその体は熱くありません。
時折、影を通じて届く人々の喜びや、旅人の歌声が、ネジにとって最高の潤滑油になっているからです。
世界は今日も、一本のネジと、それを想う人々の心によって、静かに、そして正しく回り続けています。
◇
それから、さらに長い年月が流れました。
世界はあいかわらず乾ききり、激しい砂嵐が吹き荒れています。
そんな中、足元のふらつく一人の旅人が、道のない荒野をヨロヨロと歩いていました。
「私はかつて、世界中を旅する商人でした。誰も行ったことがない場所へ行き、珍しい宝物を見つけるのが、何よりも大好きだったのです。
どんなに険しい道でも、『私なら大丈夫、絶対に乗り越えられる!』と胸を張って、どんどん突き進んでいきました。
ですが、その自信が私を追い詰めてしまいました。広い砂漠の真ん中で道に迷い、食べ物も飲み水も、すべて底をついてしまったのです。
一緒に旅をしていた仲間も、荷物を運んでくれたラクダも、みんな砂嵐の向こうへ消えてしまいました。
あんなにワクワクしていた私の心は、今はもう、ボロボロに疲れ果てています。
あんなに強気だった自分が、今はまるで、ちっぽけな砂つぶになってしまったかのように感じられました」
そんなことをつぶやきながら、『自分はまだ助かるんだ』と信じて前に進もうとする商人でしたが、もう次の一歩を踏み出す力さえ残っていません。
商人はついに、力なく倒れ込みました。
砂嵐にすべてを奪われ、最後に残ったのは、地面にへばりつく自分の影だけ。彼はその影が指し示す暗闇の底へと、吸い込まれるように転がり落ちていきました。
商人がたどり着いた暗闇の底。そこにあったのは、巨大な歯車のきしむ音と、たった一本の古いネジでした。
商人は、それがこの世界を支える大切な要石であることには気づきませんでした。ただ、その金属の体からかすかに伝わる、熱のような温もりを求めて、震える手でネジをそっと包み込んだのです。
「……ああ、神様。私はもう、売るものも、差し出せるものも何もありません」
商人はかすれた声でこぼしました。商売人として生きてきた彼は、何かを手に入れるには、代わりに何かを差し出す対価が必要だと知っていました。けれど今の彼には、消えそうな命の灯火しか残っていません。
彼はネジに寄り添い、冷え切った体をネジの熱で温めながら、最後の贅沢として、自分がかつて扱ってきた美しい品々の思い出を語り始めました。
「あの町で見た絹は、空に浮かぶ雲よりも柔らかかった……」
「遠い国で出会った香料は、一粒あるだけで冬を春に変えてしまう魔法のようだった……」
それは、暗闇に閉ざされたネジが、これまで一度も知ることのなかった地上のきらめきでした。
すると、不思議なことが起きました。
商人の話を聞いていたネジが、喜びでかすかに震えたのです。その震えは歯車を伝わり、この世界のルールをほんの一瞬だけ書き換えました。
商人がふと目を開けると、何もないはずの暗闇の中に、一つの奇跡が生まれていました。
ネジのすぐそば、岩の隙間から、ありえないはずの透き通った水がひとしずく、またひとしずくとあふれ出していたのです。それはまるで、世界を支えるネジが流した、黄金の汗のようでした。
商人はその水を口に含みました。それはどんな高級なワインよりも甘く、乾いた体に命を吹き込んでくれました。さらに、どこからか迷い込んだ一粒の果実が、足元にコロンと転がってきました。
「……ふふ、取引成立だね」
商人は涙を流しながら笑いました。
彼はネジに、世界の美しさという物語を代わりにお支払いし、ネジからは生きるための力を分けてもらったのです。
元気がわいてきた商人は、もう一度地上へ戻る決意をしました。
彼は去りぎわ、服の奥に大切にしまい込んでいた金色の小さな鈴を、ネジのそばに置いていきました。
世界が揺れるたび、その鈴がチリンと鳴ります。
それ以来、砂漠で道に迷った商人の間では、こんな噂が流れるようになりました。
「もし絶望して影の底へたどり着いたなら、世界に物語を語って聞かせるといい。そうすれば、世界を支える主が、ほんの少しだけ奇跡を分けてくれるだろう」
ネジは今日も、鈴の音と商人の思い出を胸に、誇らしげに世界を締め直しています。




