第2話 結界の迷宮と銀猫の秘密
夜の帳がゆっくりと商店街を包み込む頃、澪と灯はアークライト探偵社の小さなオフィスに戻っていた。
机の上には、佐伯から預かった猫の予備首輪と、澪がスマホで調べた結界管理者・葛城涼真の情報が並んでいる。
「葛城涼真……魔術師登録局に名を連ねる記録系のエリートだ。大学の同期でもあるが、最近は消息が掴めていない」
澪が言葉を詰めるように続けた。
「それで、彼が何であの神社の結界を管理してるんだろう?」
灯はふと机の上の首輪を手に取る。鈴には微かな魔力の痕跡がまだ残っていた。
「……クロがあの結界の中にいるのは間違いない。問題は、どうやって中に入るかだ」
* * *
翌日、二人は早朝から神社の鳥居の前に立っていた。
澪は首から提げた魔力計を慎重に動かし、結界の薄い隙間を探る。灯は手に持った小型の巻物をじっと見つめている。
「巻物って……もしかして、これが鍵?」
「そうだと思う。これには“空間転移解除”の呪文が書かれているらしい」
澪は灯の手から巻物を受け取り、呪文を小声で唱えた。すると、鳥居の前にあった結界の輪郭が淡く光り、ゆっくりと消えていく。
「行けるぞ」澪は低く言った。
「じゃあ、突入するよ!」灯は目を輝かせて鳥居をくぐる。
澪も続く。結界の内側は昼間とはまるで違い、薄暗く冷たい空気が漂う。
境内の地面には奇妙な魔法陣がいくつも描かれており、時折微かな光を放っている。
「ここは……まるで迷宮みたいだ」灯が言う。
「そうだな。葛城が設置した空間魔術が重なっている。慎重に進まなければ」
二人は声を潜めて奥へ進んだ。しばらくすると、祭壇の前に小さな銀色の猫が佇んでいるのが見えた。
猫は灯を見ると、目を細めて甘えるように近寄ってきた。
「やっぱりクロだ!」灯が笑顔で駆け寄る。
「でも……何か様子がおかしい」澪が眉をひそめる。
猫の身体には微かな光の網目模様が浮かび、通常の生き物とは違うオーラを放っている。
そして首には、昼間見た巻物が小さく括り付けられていた。
「この猫、何かしらの魔術で保護されているようだ」澪はスマホを取り出し、巻物の呪文と照合する。
「これだけ強力な魔法陣に守られているとすると、依頼人の話だけじゃ到底説明がつかない……」
突然、祭壇の背後から音がした。二人が振り返ると、薄暗い影がゆっくりと形を成していく。
それは葛城涼真本人だった。
「お前たちがアークライト探偵社か」涼真は低く静かな声で言った。
「なぜここに?クロは……」澪が問いかける。
「クロはここで安全だ。外の世界は危険だらけだ」
涼真の目には深い疲労と、何か隠された決意が宿っていた。
「話を聞かせてほしい」灯が前に出る。
「……時間はあまりない」涼真は言葉を続けた。
「この結界も、長くは保たない。何者かが破ろうとしている」
二人は互いに目を合わせ、覚悟を決めた。
これから始まる戦いは、ただの猫探しではない。魔法と陰謀が渦巻く大きな事件の入り口だった。
* * *
澪はスマホの画面をじっと見つめた。
そこに表示されていたのは、見知らぬ番号からの短い警告文。
「――深入りするな。命を失いたくなければ距離を置け」
文字の冷たさが、静かな部屋に重く響いた。
澪は息を深く吸い込み、目の前の書類に視線を戻す。
「挑戦は受けた」心の中で決意を固める。
* * *
翌朝、二人は再び神社へと向かった。
結界の揺らぎは収まるどころか、ますます激しさを増していた。
境内に足を踏み入れようとする灯の手を澪が掴む。
「気をつけて。今は警戒が必要だ」
境内の魔法陣は淡く震え、不安定な光を放っている。
その中心で、銀色の猫がじっとこちらを見つめていた。
「クロ……」灯の声が震える。
猫は近づいてきて、灯の膝の上に飛び乗る。
その体はほんのり温かく、魔力の波動が微かに伝わる。
「やっぱり、この子は特別なんだ」灯はそう言いながら、巻物をそっと撫でた。
* * *
澪はスマホで魔術師登録局の過去記録を検索しながら、思考を巡らせていた。
古代魔術に似た高位術式を使う敵の存在、そしてクロが運ぶ「使命」……。
「このままでは、結界はいつ破られてもおかしくない」
澪は顔を上げ、灯に語りかけた。
「私たちで結界の強化魔術を施そう。私の記録魔術とあなたの干渉魔術の組み合わせなら、可能性はあるはず」
「やるしかないね」灯は力強く頷いた。
準備を整え、二人は境内の中心に向かう。
澪は記録の魔法陣を起動し、光の結界を張り巡らせる。
一方、灯は自らの魔力を巻物に込め、干渉魔術で結界の脆い部分を補強していった。
そのとき、結界の外から鋭い魔力の波動が襲いかかる。
敵の攻撃だ。
「来た!」灯が叫び、防御魔法陣を大きく展開する。
澪も即座に反応し、記録の魔法陣で攻撃の軌跡を分析、隙を突く準備をする。
敵の攻撃は強力だが、二人の連携は見事だった。
攻撃を防ぎつつ、相手の動きを読み解く。
「敵の術式は破壊を目的としたものだが、結界の強化にも限界がある」澪が言う。
「このままだと、何度も繰り返される攻撃に耐えられないかもしれない」
「もっと早く敵の正体を突き止める必要がある」灯も焦りをにじませた。
* * *
戦いの後、静けさが戻った境内で三人は互いに情報を交換した。
葛城涼真は、過去の事件や魔術師社会の闇を語り始める。
「この街には、長い間隠されてきた秘密がある」
「その秘密が、今回の事件の鍵だ」
澪と灯は真剣な表情で聞き入った。
真実が明らかになるにつれて、二人の絆もより強くなっていった。
「私たちが守るべきものがある限り、諦めるわけにはいかない」澪が静かに決意を告げる。
「うん、一緒にがんばろう」灯も微笑みながら応えた。
銀色の猫クロは二人の膝の上で丸くなり、静かにその使命を見守っているかのようだった。