エイプリルフール
くっ。気づけばエイプリルフールが終わっていた。完全に壮大で圧倒的に魅力的な大虚言でも取り繕おうかと思っていたのに。「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」とはよく言ったものか芭蕉。しかしよくよく考えて見れば、日々したためているこの文字列はフィクションの権化だ。この世界ではエイプリルフールの1日だけは嘘が許されると言うなら、裏を返せばそれ以外の日に嘘をついたら許されないことになる。当たり前かヘンペルのカラス的証明。年間通してこちとら嘘を書き連ねているわけで、それが何やら許されているというなら、年中エイプリルフールと言い換えても差し支えない。つまりはこの文字列を書いた日はエイプリルフールになる。世界は今、この文字列によって嘘を許すか許さないかの境界線が決まろうとしている。そうだとすれば、圧倒的論理展開の果てに導き出した答えは、今日はエイプリルフールである。記念日や年中行事は人間が創り出した虚像。その中を行き交ふ年もまた旅人なり。エイプリルフールの日だけは処刑台が使われない。罪人を裁くことが嘘にならないように。ここは毎日が許される優しい世界。虚構が常に許される世界こそ、人間が生きやすい世界だ。