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流星群

 目覚めると眼前に睫毛(まつげ)がいた。


 柊はぎょっとして起き上がりあたりを見回した。すぐに、研究室の隅で寝ていたことを思い出す。


 実験の反応待ちの時間を利用し、スプリングが死滅したソファで仮眠していたのだ。窓の外は濃い闇に満ちている。


 夏帆は白衣姿のまま床に直接横座りをして、柊の前に突っ伏している。


「おい、起きろ」

「……違う……そっちのパッションフルーツをくっつけても痛快な連鎖は成立しない……」

 夏帆は寝言を言っている。


「どんな夢見てんだよ」

 柊は夏帆の肩を揺すった。夏帆は跳ね起きた。


「あ、先生! 今何時ですか?!」

「十時ちょい前。お前なんで一緒に寝てんの」


「違いますよ! 決して先生の寝顔を凝視しているうちに満足して寝てしまったわけじゃないですからね!」


「まさか他のヤツらに見られてないよな?」


「皆さん、『もうすぐクリスマスだし熱い夜を過ごしたまえ』って、優しい微笑みと共にお帰りになられました」


 柊はため息を吐いた。

「お前もさっさと帰れよ」

「先生お願いです、一緒に屋上来てください!」


「これからひと仕事あるんだけど」

「今日じゃなきゃダメなんです」

 切実な響きに、柊はなんとなく察しがついた。やれやれと腰を上げる。


 白衣を防寒着に着替えた二人はいったん下におり、自販機で飲み物を買った。柊はホットコーヒー、夏帆はホットはちみつレモンを選んだ。


 エレベーターは止まってしまっているので階段で屋上を目指す。

「屋上って開いてるもん?」

「事務の人に交渉して、今夜だけ解放してもらいました」

「手回し良すぎるだろ」


 分厚いドアの向こうは闇の世界だったが、次第に目が慣れてくる。

 顔を上げれば、澄んだ夜空にちらほらと瞬きが見えてきた。


「空を見上げたのなんて、いつぶりかな」

 柊は白い息と共にしみじみと言う。

「結構、見えるもんなんですね」

「今日は何流星群? しし座?」


 夏帆は目を見開いて柊を見た。

「先生は超能力者ですか?」

「この状況なら大体わかるだろ」

「ふたご座です。十時頃にピークを迎えるそうです、まさに今!」


 二人は屋上の中央へと進んだ。


「ふたご座ってどの辺りだっけ?」

「オリオン座を目印にするといいって書いて──」

「ほらあそこ!」

 夏帆の言葉を遮って、柊が頭上を指差した。白い光の筋が天を走るのを見たのだ。


「先生だけズルい! あっ」

また流れた。


「首が痛いな」

 柊はコンクリートに仰向けに寝転んだ。夏帆も習って隣に並ぶ。


 二人は冬空の下、寒さも忘れて、放射状に次々と飛び出す光の軌跡を黙って見ていた。

 途中、夏帆が手をつないできたが、柊はされるがままに任せた。


 しばらくすると流星の数は減ってきた。

「ピーク過ぎたみたいだな」

「私、いっぱいお願い事しました」

 柊を向いてニッコリ微笑む。

「まず第一に、先生が幸せになりますように」


「サンキュー」

 決して叶うことのない願い。だがとりあえず礼を言った。


 再びしばしの沈黙が二人の間に生まれた。が、なんとなく、すぐに研究室に戻る気にならない。


「……先生」

 夏帆は繋いだ手をいったん離し、今度は指を絡めてきた。

「……何?」

 ドキリとする。


「恒星って、質量が大きいほど寿命が短くて、最後は華々しく大爆発を起こすらしいです。……でも質量の小さな星は長く長く生きた後、静かに死んでゆくそうです……」

「うん」

「……」

「……で?」

「人の一生にうまく絡めて話を広げようと思ったんですけど無理でした。忘れてください」

「意味深な感じで言うなよ……」


 柊は話題を変えた。

「ところでお前、就活してんの?」

「もうとっくに決まりましたよ」


「マジ? ホントにちゃっかりしてんな」

「だって聞かれないし」

「俺は人類全般に興味ないから」


「漁網とか扱ってる会社です。漁網扱う合間に先生に会いに来ますね」

 夏帆はにじり寄ってくる。

「来んなよ」

 二つの意味で柊は言った。


「……もしかして、漁網に嫉妬してます?」

「してねぇよ」


「安心してください、ここから徒歩で行ける所です。また、たくさん会えますからね」

「まぁ、年二回くらいなら」

「ハイ、週十で来ますね」

「俺は学食かよ」

 相変わらず会話が噛み合わない。


「ホントは先生のとこに永久就職したいんですけど」という呟きは黙殺する。


「……私、先生とキスしたいです」


「話飛んだな」

 柊は笑った。

「いいぞ、別に。就職祝い」

 眼前の雄大な宇宙に比べれば、キスのひとつやふたつくらい。


「では遠慮なく」

 夏帆は柊の上にかがみ込み、柊の唇にそっと口を付けた。そしてすぐに唇を離す。言葉に反して遠慮がちな口づけだった。


 拍子抜けした柊は身体を反転させ夏帆を組み敷いた。

 後頭部を手のひらで支え、舌で唇をこじ開け、熱い舌を絡め合う。

 人工的な甘ったるいレモンの味がした。夏帆の身体は一度ぴくりと跳ねたが、次第に力が抜けていく。

 あらゆる角度からひとしきりレモン風味を味わった後、柊は上体を起こした。


 柊の影となり、今夜はうまいこと睫毛が見えない。

「さ、戻るか。実験が待ってる」

 柊はさっさと立ち上がった。思い出してコーヒーの缶を拾い上げる。


「先生はなんでいつもいつも、途中でやめちゃうんですか?!」

 夏帆が抗議の声を上げた。当然だ。


「新天地でいい男見つけろ。続きはソイツとすればいい」


「……この状況で、よくそんなことが言えますね」

 語尾が震えている。

「女心を何だと思ってんですか!」

 仰向けに転がったまま、手で顔を覆っている。


「先生は残酷だ」

 そう言ってますます泣き出した。「この、寸止め男!」


「ホントはお前と、ヤッてヤッてヤリまくりたいんだよ」


 偉大な天体ショーの直後には、どんな言葉もさらりと口を出た。


「じゃあヤッてヤッてヤリまくればいいじゃないですか!」

 夏帆ははちみつレモンのペットボトルを投げつけた。それはコンと音を立て、柊の足元に虚しく転がる。


「俺もお前に、幸せになってほしいんだよ」

「二人、で、幸せになれば、いいじゃないですか!」

 夏帆はとうとうしゃくり上げて泣いている。


 柊はすっかり冷めてしまった元ホットコーヒーの残りを飲みながら、夏帆が落ち着くのを待った。

 レモン味の名残がコーヒーの苦味に洗い流される。


 自ら泣かした女に優しくしてやるほど、柊は冷たい人間になりきれなかった。


 見上げれば流星がひと筋、女の涙のように空をよぎった。


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