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海辺

「先生! 海ですよ海!」


 夏帆(かほ)が助手席の窓を開けたので、潮の香が車内に入り込んでくる。


「クーラー効かなくなるから閉めて」

 海に来ることなど日常茶飯事だった(ひいらぎ)の感情はあくまで平坦だ。


 はしゃいだ夏帆が柊の口にハードグミを押し付ける。

「あーんしてください」

「事故るからやめろ」

 喋った途端にグミが口内に侵入する。


「ハイ、『二人で海記念』にもうひとつ」

「遊びに来たわけじゃねぇんだぞ」

 柊は仕方なく二粒のグミを噛みしめた。


 夏帆は完全にデート気分に浸っているが、二人は単に研究材料の採集のために海を訪れたに過ぎない。


 乗っているのも学部所有の、情緒もへったくれもない年季の入った軽トラックである。


 軽トラックは二人乗り。


 柊が採集に行きたいと教授に申し出たところ、彼が「せっかくだから相棒も連れて行きなさいよ、助手として」と(おそらく冗談で)言ったのを、そばで聞いていた夏帆が「行きます行きます!」と強引に本当(リアル)の話へと持っていってしまった。

 柊の意見はないに等しかった。


「研究室公認の仲ですね!」と夏帆は喜んでいたが、柊の目は死んでいた。


 これまたそばで聞いていた准教授が「いいかい柊君、アワビとナマコは採らなくていいからね」とニヤニヤして何度も言うので、「次いらんことを言われたら大学のハラスメント窓口にチクってやる」と柊は密かに誓った。


 (ひな)びた漁師町の県道をひたすら行くと、目的の海に着いた。


 九月終わりの海は夏の名残の鋭い日差しを反射させ、キラキラと輝いている。中途半端な季節のせいか、人の姿は見当たらない。


 テトラポッドの影でウェットスーツに着替え、水中メガネとシュノーケルを着用する。夏帆が「全身黒タイツの先生も素敵です!」などとたくさん褒めてくれた。


「断じてタイツではない」

「私も水着持ってくれば良かったです。先生はむっつりスケベっぽいから、もちろん紐パンのビキニ」

「そうですね、そうですね」

 早く海に潜ってしまおう、と柊は足を速めた。


 沖に長く伸びる防波堤の突端で採集を開始した。網とナイフを手に潜り、ホヤや海綿などを採って浮かび上がる。

 採ったものは防波堤に立つ夏帆に渡り、クーラーボックスに入れられる。


 何度目かに浮上した時、

「あの、先生、このあたりにお手洗いないですか?」

 と夏帆が恥ずかしそうに聞いた。


「そこら辺でテキトーにしろよ」

「嫁入り前の娘がそんなことできません」

「あっちに小さいスーパーがあるから借りて来い」

「そうします」

 夏帆は浜の方へ駆けていく。


 防波堤に上がって採集した個体数を確認していると、よく日に焼けた中年男が近づいて来た。彼は、しゃがむ柊をじろじろとあからさまに見ている。

「あんた何獲ってんの」

 とクーラーボックスを指差した。

「M大学の者です。研究材料を採集してるんです」

「……ホントに?」

 疑り深そうな目付きに変化はない。どうやら密漁を疑われているらしい。


「主に海綿です」

 柊はクーラーボックスの中身を手で示した。

「ちゃんと県に許可取ってますよ」

「研究って何の研究?」


「海綿の中の生理活性物質を単離して、構造解析したり、いろいろです」

「はぁ? わけわからんこと言って、ホントはナマコとか獲ってんだろ」

 男はクーラーボックスを軽く蹴った。

「やめてくださいよ!」

 柊は必死にクーラーボックスを押さえた。

「警察呼びますよ!」

 その言葉に、男はカチンときたようだ。

「あ? 警察来たら困るのはそっちやろが」


「いやいやいや許可取ってますって言いましたよね?」

「こちとら生活かかってんだよ!」

 二人は綱引きみたいにクーラーボックスを引っ張りあった。


「助太刀いたす!!」

 そこに夏帆の声がした。遠目に状況を把握したようである。


「いざーーーーー!!」

 全力疾走で防波堤先端付近の柊へと向かって来る。途中で帽子が飛んだのもお構いなしだ。


 疾風のように駆けて来て、急停止すると思いきや柊と男の脇を通り過ぎ──


 ボチャン! という重たげな音と共に、そのまま海へと落下した。


「あっ」

「えっ」

 二人の男は一瞬動きを止めたのち、慌てて海を覗き込んだ。


 水深はそこまで深くない。しばらく待つが、透明な水を通して、夏帆の服の白い色がゆらめいているだけである。


 柊と男は顔を見合わせた。

 ──なに沈んでんだよ!!


 柊は慌てて水中メガネを装着し飛び込んだ。


 海底近くで、夏帆は逆さまになってもがいている。


 ──お前は一体何を目指してるんだ!


 夏帆の体を抱きかかえ、水面を目指す。防波堤横に設置された階段に体を引き上げると、夏帆は勢いよく咳き込んだ。


「ゲホガボガボゲホ!!」

「おい! 大丈夫か?」


 フジツボのびっしり付着した階段に、夏帆はぐったりと身を横たえている。その頬を、柊はペチペチと叩いた。

「しっかりしろ!」

「……ん……きゅ……」

「ん? どうした?!」

 柊は夏帆の口に耳を近づける。

「人工……呼吸を……所望します……」

「必要以上に元気じゃねーか!!」

 夏帆はニヤリと笑って起き上がった。


「奇妙なものを見ました……海の底で、母方のばぁちゃんと父方のばあちゃんが女相撲取ってて、母方の方が寄り切りで勝つんです。で、こっち見て『まだ来るな』って」


「そりゃ奇妙だな」

「でしょう? 二人とも、まだ存命なんですから」

 柊にはもはや突っ込む気力など残されていない。


 夏帆の肩を支え階段を登ると、上で男が笑っていた。

「悪かったね、ねぇちゃん。おいん()で風呂入るか?」

「大丈夫です、そのうち勝手に乾きますから」


 男はまたカラカラと笑って、

「後は若いモン二人に任せておいちゃんは帰る」

 と柊の方をみた。

「グッドラック」

 ニタニタ笑いつつ親指を立てて去って行く。


 夏帆の来ている薄手の白いブラウスは身体にピタリと張り付き、下着の線や胸の形をくっきりと浮かび上がらせている。

 柊だって男である。


 ──なぁにがグッドラックだよ……。


 柊は二つの膨らみから目を逸らした。


「お前、頼もしいな」

 海の方を向いて柊は言った。

「言ったじゃないですか。先生のためなら死ねるって」

 またその話題か。柊は無視した。


「まぁ助かったよ、ありがとう」

「じゃ、ひとつだけ私の言うこと聞いてください!」

「……何」

 嫌な予感しかしない。

「まだ決めてません!」

「あっそ……」


 しばらくして採集を終えた柊はまたテトラポッドの隙間で私服に着替えた。油断すると夏帆がいちいち覗こうとするのを、全力で阻止しながら。


「さっきのこと、決めました。先生の手に触らせてください」

 どんな無理難題をふっかけられるのかと恐れていたので、少しホッとする。


「わかった。じゃあ俺を指差せ」

「こうですか?」

 夏帆は柊に向けて、人差し指を突き出す。その先端に、柊も同様に人差し指をつくり当てる。

「何ですかコレ」

「E.T.のポーズだ。お前にぴったりだろ。ハイ終了」

「接触面積小さすぎです!」


「じゃあこう」

 柊は右手を差し出す。

「こうですか」

 夏帆が握る。その手を柊はブンブン振った。

「はい握手。コレカラモヨロシクネ。ハイ終了」


 柊は夏帆に背を向けてサッサと歩き出した。


「待ってくださいよ! 台本は私が決めます!」

 夏帆は柊の前に回り込んだ。

「えーとそうですね……《男女は寄り添うように浜辺に降り立った。》ハイ、降り立ちました」


「何それもう始まってんの?」

「《二人はテトラポッドのそばに並んで座る》」

 柊の疑問に構わず、夏帆は声のトーンを低くして、ナレーションを続行する。

 それから砂浜に腰を下ろした。観念した柊も隣に座る。


「《男は気だるげな視線を沖へ向けている。女の目には疲れの色が滲む。遠くで汽笛がピィと鳴った》」

「汽笛はポォだろ」

 これは長くかかりそうだ。柊は覚悟を決めた。


「《愛の逃避行に疲れた二人は、終焉の地としてここ、生まれ故郷の海を選んだのである》」

「俺たち死ぬの?」

 夏帆は無視して、

「『今日は風が騒がしいな』って言ってください」

「超凪いでるぞ」

「いいから言ってください!」

「『キョーハカゼガサワガシーナ』」

 柊は棒読みした。

「『えぇ……まるで、私達の心みたいね……』」

 どういうシチュエーションだよ、というセリフを柊は飲み込んだ。


 夏帆が寄りかかってくる。


 寄せては返す波音が二人を包む。ピーヒョロロとトンビの鳴き声が降ってくる。


 夏帆は左側に座る柊の左手を持ち上げた。しばらくはその裏表を検分していたが、不意に口へと持っていった。そして──


 ガプリ!!


「ア痛いッッ!!」

 柊は飛び上がった。

「お前はウツボか?!」

「すみません! 先生の指があんまり美味しそうだから、つい」

 申し訳なさそうに言う。

「塩味がよくきいていて、あと醤油があれば最高でした」

「俺を一体何だと認識してんの?」


「やり直します!」

 夏帆は柊の手を握り直し、頬へと当てた。

 頬ずりしたり指で軽く揉んだりと、存分に手の感触を味わっている。


 頬を赤く染め、目をうっとりとさせている。長い睫毛がふせられる。


 ──コイツは俺のこと、ホントに好きなんだな……。


 柊の右手は自然と夏帆の髪へと伸びた。乾きかけた髪が潮のせいで所々もつれているのを、手ぐしでなおしてやる。

 彼女の着るブラウスとキュロットスカートはほとんど乾いてしまっている。暑い季節でよかった、と柊は心底思った。


 夏帆はますます体重を預けてくる。


 柊の手は頭から肩、腕へと移動する。さらに下降し、腰の出っ張った骨をなぞった。

 何度も何度もなぞると、微かな身じろぎを感じ、その瞬間、柊は体内に湧き上がるものに突き動かされた。


 両手で肩をつかみ、夏帆の身体を砂に押し付けた。

 わずか二十センチの距離を隔てて視線が絡み合う。


 潮騒が消え、二人の息遣いだけとなる。夏帆が目を閉じる。


 数秒の()


 ──この睫毛がいかん、どうにもいかん。


 柊はギュッと両目をつぶり上体を起こした。


「《二人は終焉の地にて、公然わいせつの疑いで警察に任意同行を求められたのであった》……ハイ終劇」


 タッチの差で、理性に軍配が上がった。


 柊は夏帆を見ないように立ち上がる。乱暴に荷物を掴んで、堤防脇に停めてある軽トラへと向かった。


「バッドエンド、断固拒否します……」

 背後の力ない反対意見は聞き流す。


 とても振り向ける状態ではなかった。




 助手席で夏帆は柊から顔を背け、ずっと外を眺めている。


 そんな彼女の様子を、柊はチラチラと横目で見た。


 ──さっきはヤバかった。


 あのまま服を引き裂き、白昼の海辺で、十歳も年下の子どもみたいな女を、ぐちゃぐちゃにしてしまいそうだった。


 柊も男である。欲望を持て余しながら、海岸の道をひた走る。


 サイドウィンドウの外に目をやると、凪いでいたはずの海は、いつの間にか白波立っていた。


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