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夜道

 柊は湿った夜風に吹かれて歩いている。


 上弦の月が遠い空に沈もうとするのが、分厚い雲の隙間から見える。


 先ほどまで、彼は飲み会の席にいた。今日の会は准教授の還暦祝いパーティーで、参加せざるを得なかったのだ。

 会はまだ途中だったが、柊ひとりが抜けてもきっと誰も気づかないし、問題はないだろう。むしろ、二次会まで参加した自分を褒めてやりたい気分だった。


 柊は飲み会が嫌いだ。飲み会に限らず、大勢の人が集まる場所を嫌悪している。


 そんな場所にいた後は、決まって「発作」に襲われる。苦手な季節である夏が到来したことも、憂鬱な気持ちに拍車をかけていた。


 喧騒と肉の焼ける煙の中で交わされる会話は親の還暦祝い、交際相手とのあれこれ、地元の兄弟姉妹のこと、生まれる予定の子の性別……


 そのどれもに柊は縁がなかった。


 大した苦労も知らず、親の金で大学に通う奴ら。なんの変哲もないけれど安定して曇りのない将来を、軽々と描ける奴ら。


 完全な嫉妬だとはわかっている。が、今日の柊は、彼らとの付き合いを仕事のうちだと割り切ることができなかった。


 部屋でひとりで飲み直そう。

 そう思った時、背後から声がした。


「先生ー!」


 振り返らなくとも声の主はわかった。


「先生先生先生先生先生先生先生先生先生ーー!」


 柊は振り返った。

「呼び過ぎだ」


 夏帆は膝に手を置き、肩を激しく上下させている。

 夏帆が呼吸を落ち着かせ顔を上げるのを待ったが、彼女は逆にしゃがみ込んでしまった。


「どうした?」

「……気持ち悪い」


 こんな所で吐かれても困る。体を支えて、少し先にあったバス停のベンチに座らせてやる。もう終バスは過ぎているはずだ。

「酒飲んで走っちゃダメだろ」

 柊も隣に腰掛けた。


「だって先生、いつの間にいなくなるから……」

 夏帆はそう言って体を傾け、柊の膝に頭を置いた。

「膝枕、いただきました……」

 柊は拒絶しなかった。街灯に照らされる夏帆の顔色の悪いのがわかったからだ。

 それに認めたくはないが、心の奥底では彼の不在に気づいてくれて嬉しい気持ちもあった。


「待ってろ」

 夏帆の頭を抱えてベンチに置き、柊はいったん腰を上げた。


 後ろの自販機でペットボトルの麦茶を買った。蓋をとって渡す。夏帆は頭を上げてそれをゴクゴクと飲み、再び柊の膝に頭を預けた。


「わー先生にお茶貰った……家宝にします、毎朝線香あげます……」

「死んでんじゃねーか」

 夏帆はペットボトルを胸に抱きしめている。

 声は弱々しいがいつもの調子に、柊は少しホッとした。


「私、先生から貰いたいものが他にもあるんです」

「何だ?」

「……結婚指輪」

 どうせくだらないことを言うのだろうと思っていたら、想像の千倍くだらないことだった。


「いやぁ、お酒の力って偉大ですねぇ。毎日飲もう! どんどん飲もう!」

 麦茶の効果は抜群で、顔色は徐々に回復してきた。

「お前は酒飲まなくても、常に脳内麻薬出てんだろ」

「先生のこと、骨まで愛してるんです」

「昭和歌謡みたいなこというな」

 すごい会話をしているな、と柊は思ったが、夏帆と出会ってから自分の方がおかしいのかと錯覚してしまうことも多々ある今日この頃。


「酒飲んでしちゃいけないこと知ってるか?」

「ハイハイハイハイハーーイ!!」

 夏帆は思い切り挙手した。手が顎に突き刺さりそうになったので、柊はのけぞって避けた。


「野球拳、立候補、墓参りです」

「なんでちょっとずつ(かす)ってんだよ」

 本当は「野球、政治、宗教の話、そしてプロポーズだ」と答えるつもりだったが、面倒になったのでやめた。


「ところで何しに来たの」

 柊は至極当然の疑問を口にした。


「先生の護衛兼、夜道の寂しさを紛らわす話し相手役を担おうと思いまして。四つ辻から躍り出てくる奇襲部隊にも見事対応してみせますし、銃弾の雨が降り注いだ際の盾ともなりましょう。寂しければ景気付けに『ロード』全十三章でも熱唱しますよ」


「うんうん、結構結構」

 柊は早口で発せられた長ゼリフ全てを聞き流した。ここ二ヶ月で、夏帆をあしらうスキルは格段に上昇したと自負している。


「決して先生の家を突き止めたり、あわよくば送り狼に豹変して襲いかかったりする意図はありませんからご安心くださいね!」

「うんうん、感心感心」

 柊は時々、夏帆の底抜けの明るさを、鬱陶しさを通り越して羨ましく思うことがある。


「倉永って実家?」

「はい……やっと私に興味を示してくれたんですね」

「イヤ、家に連絡しなくていいのかと思って」

「大丈夫! 『あんたは毎日律儀に帰ってきて。たまには朝帰りくらいしなさい』って母がうるさいんです」

「……」

 柊はため息を吐いた。

「お前さぁ、せっかくのモラトリアムをこんなことに費やしてると、悔いが残るぞ」

「いいんです、私は一度、死んでますから」

 夏帆は意味深な微笑みと共に柊を見上げている。

 でも、深入りはしない、絶対に。


「なんで俺なんだよ?」

 そう言えば聞いたことがない。

「運命の人だからです」

「何がどう運命なんだよ」

「先生のためなら死ねるんです」

「は?」

「だって運命の人だから」

「禅問答みたいだな」

 笑うしかなかった。


「先生の家、行きたいです……冥土の土産に」

「死ぬのかよ。酔いが覚めたなら帰れ」

 柊は立ち上がる。夏帆の頭がゴンッ!と木製のベンチにぶつかる。


「今日のところは諦めますか……」

 夏帆も立ち上がり、フラフラと歩き出した。

 どうするのかと見ていると、車道へスッと腕を伸ばし、親指を立てている。


「バカか?!」まさかのヒッチハイク。

 慌てて駆け寄って腕を下ろさせた。

「あ……間違えました、あっちに渡ってからやらないと」

 夏帆の目は完全に据わっている。

「では先生、ごちそうさまでした」

 車道に一歩踏み出す夏帆、鳴り響く盛大なクラクション。

 柊は再び夏帆の腕を掴む。


「三途の川の六文銭……」

 次に夏帆はそう言ってペットボトルをシャツの襟から中へ入れた。そのまま裾から落下する。

「おかしいな……」

 またシャツに入れて落とす。

 柊はもはや何を言って何をすべきなのかわからない。理解の範疇を完全に超えていた。


 その時、雨が降り出した。

「あーもう!」

 次から次へと……! 柊は頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。

「恵みの雨だ!」

 反対に夏帆はペットボトルを高々と掲げた。


「お前、住所は?」

「先生の心の中に決まってるじゃないですか」

 ニッコリ微笑む。柊は今世紀最大のため息を吐いた。

「俺ん()行くぞ」








 注)ロード……ロックバンド「THE 虎舞竜」による超長い曲。


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