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最端教室と日常

作者: 璃須ナナ

 7限の授業が終わり緊張していた空気がわっと和らぐ。

 移動教室先であったものの、同教室にてHRが行われることとなった。

 生物基礎担当の峰谷先生は我々のHR教員、いわゆる『担任の先生』なのだ。

 峰谷先生は授業の周到さからして非常に生徒熱心な先生だと感じている。先程の授業では「これ作るの結構大変だったんですよ~」とか言いながら人間サイズのT2ファージ模型を持ち出してきたことには驚いた。これに関しては半分以上先生の趣味と言っていいかもしれない。

 一方、事務的な作業は避けがちであった。副担任が別件で出払っていた為「HRもここで済ませちゃおっか」とか言って授業終了の流れでHRも終了となったのもこの為だ。


 学校生活としての《本日のノルマ》が達成され、早くも各々に放課後が始まっていた。

 霧野優は生物教室の長机にくったりしながら、最近ネットで流行っている「レモンと動物」を眺めながらニヨニヨしていた。

「なーに、スマホ眺めながらニヤニヤしてんだか」

 突然後ろから肩を引っ張られヒヤッととする。体の重心をあらぬ方向に置いていたなら、椅子から転げ落ちてしまう所だった。

「びっくりした、普通に話しかけてよ」

 霧野の不満をよそに、左の通路側から入ってきた高美屋風音はやけに楽しそうだった。

「あ、これ最近流行ってるやつじゃん!可愛いよね~」

 どうやら風音も「レモンと動物」を知っているらしい。というのも、風音はSNSどころかスマートフォン自体ほとんど使っていない。一年前から「急に目が悪くなった」と我慢し始めて以来、そのままスマホから離れた生活を過ごしている。案外、生活には無くても良い存在なのかもしれない。

「うん、可愛いよね~。このワニのやつとか」

「ワニ派か~。うーん、確かに捨てがたいけど、私は猫ちゃん派かな~」

 知らない内に動物ごとに派閥が出来ているらしい。「レモンと動物」はシリーズもので、ワニや猫の他に牛、カエル、犬など様々な動物が存在する。

「風音がこういうの好きって珍しいよね」

「知ったのは最近なんだけどね。ハマっちゃって色々集めちゃった」

 と言うと、風音は筆箱の中から「レモン&猫」のアクリルホルダーを出し、手元でゆらゆらして見せた。


 授業で扱った資料や機材を片付ける。昨晩徹夜で作った巨大T2ファージくんは生徒たちに喜んでもらえただろうか。まぁ小難しい話の間の緩急になったならば、それで良い。

 教師の役目はあくまで「きっかけ」だ。そこで興味を持ってくれる生徒いて、更に知りたいと思ってくれたなら尚良い。

「おー、何だ、やけに楽しそうだな」

 軽過ぎも重過ぎもしない足取りで準備室の扉を開ける。

 定員60人のだだっ広い教室の、教卓から少し離れた二列目の席にぽつんと霧野と高美屋の姿が映る。

「あ、先生!お疲れ様です」

「お疲れさん。レモンだとか何だとか聞こえたけど、何の話だったんだ?」

 瞬間、高美屋の目に輝きが宿る。

「先生!最近流行ってる『レモンと動物』って言うやつです!ご興味がお有りですか!」

 高美屋の方が盛り上がっていたとは。意外だった。

『レモンと動物』は確か最近SNSで流行ってるやつだったはずだ。穏やかな世界観のイラストで意外なリアクションをする動物達が、特に若年世代で人気が爆発しているキャラクターコンテンツだ。

「俺は動物よりレモンの方がいいな」

「先生ってたまにそういうトコありますよね」

「なんだよ、レモンにはレモン一個分のビタミンが入ってんだぜ?過酷な教員職には持ってこいだろ?」

「生物の教師がそんな適当な事、ん?適当じゃないのか?」

「峰谷先生、風音が混乱してます」

 とりあえず「悪い悪い」と返しておく。

(こんな些細なことでもこれだけ盛り上がれたら十分幸せといえるのかもしれない。)

 彼らにとって一見何気ない話題でも、何気ない日常の一場面であっても、一度終わった人間の目には輝いて見える。

 夢中になれることがあれば生活は色鮮やかになる。たとえそれが一過性のものであっても。


 峰谷先生が参戦してから3人で長らく話し込んでしまった。

『レモンと動物』の話から、授業のこと、最近の身の上話へと延々に広がっていったのだ。

 気づけば最終下校時刻と定められている17時を過ぎていた。

 空は薄暗くも橙色と水色で不思議な模様を創っている。

 最終下校時刻を過ぎたといっても、実際には多くの生徒や職員にとってそこからが帰宅準備開始の時刻である。

 終業モードの職員室は閉園時間を迎えた遊園地のようなもの寂しさをまとっていた。

「ごめんね、付き合わせちゃて」

 下校前に提出ボックスを確認しに行くのが霧野優の習慣である。

 学年が上がってこの習慣が定着するまでに、課題のプリントや返却物を持って帰るのを忘れて困ることが何度もあった。

「いいよ、私も一応確認できたし」

 風音は時折ガサツな所があるが、こういう人付き合いのようなものを嫌わない。

「ずっと話してたし、何か飲んで行かない?」

 教員室入口から南向きに校舎を抜けると購買がある。もっとも、この時間では購買は閉まっているが外側に自動販売機が併設されているのだ。おまけにちょっと安い。

 高校生にとってジュース一本160円はちょっと悩ましい値段だが、ここでは500mlのものも100円で買えてしまう。有名メーカーのものなら更に少し割高だったり、パックジュースなら80円スタートのものもあったりとものによって様々だ。

 風音は自販機に向けて「レモンのやつにしよっかな~」と呟きながら指をくるくるしていた。その様子うが、また微笑ましいのである。


「レモンジュースにはレモンジュース一本分のビタミンが入ってるでしょーが!」

「えぇ」

 さっきは峰谷先生に「そんな適当な事を」とか言ってたのに。間違ってはいないけれど。

 ザラついたキャップが指に馴染み、カシュっと爽快な音が響く。

 結局自分も風音と同じレモンサイダーにしていた。

 あれだけレモンの話をしていたから口の中のイメージがレモン味にセットされてしまっていたのかもしれない。


「帰るかぁ」

「帰りますか」


 最終下校時刻をさらに過ぎた静かな放課後の中、風音と優は長い中庭を歩く。

 穏やかに吹く風が木々の葉を優しく揺らした。

 それはまるで、一日を締めくくる最後の合図のようだった。









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