親子の連打
息子が幼き日、約束したことがある。
シングルマザーで学童に通わせる余裕もなかったから、息子は一年生から鍵っ子になった。
その約束とは
――インターホンを連打した時は、お母さんだから玄関の鍵を開ける。
ということだ。「お母さんよ。開けてちょうだい」という感じ。まるで、狼と七匹の小山羊みたい。
その約束をして十年。その約束は今でも生きている。いつしか、私及び息子が帰宅した時は、互いにインターホンを連打するようになった。
ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピンポーン
という感じ。
小さな指でピポ、ピポ、ピッポーンみたいにぎこちなく連打していた息子も、今や連打の達人だ。私より早く連打するのではないだろうか。
あまりに早く連打するので、
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピンポーン!と聞こえる。その超人的技に、息子の成長を感じている私である。
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「また、やっちゃったね。大家さんに怒られるかな……」
そう言って母さんはスーパーの袋をダイニングテーブルの上に置いた。
「んー……前、直してもらったのって何年前?」
「確か三年前。最新式のを取り付けてもらったのに。絶対怒られるよ」
「んー……」
俺は曖昧な返事をする。
今日、インターホンが壊れた。正式には数週間前から鳴りが悪くなっていたのだけれど、今日、母さんが帰ってきて鳴らした時には、うんともすんとも言わなくなっていた。
インターホンを壊したのは、これで二回目だ。このアパートの大家さんは悪い人ではないのだけれど、ぶっきらぼうな雰囲気のところがある。
前にインターホンを取り替えてもらった時も、業者の手配が面倒くさいという空気が電話越しから伝わってきたと母さんが言っていた。
そもそも、これを機にインターホンを使うのを辞めたらいいのではないかと思った。自分の鍵を使えばいい。
「インターホン、直さなくていいんじゃない?」
俺がそう言うと母さんは「それはダメよ!」と間髪入れずに言った。「もし、ここを引っ越すことになったら、壊れてたのに直さなかったって揉めそうだもの」
母さんが言うことも、わからないではない。
「早速、電話して修理の日程決めないと。明後日パート休みなんだけど、その日にできるかしら」
母さんは独り言を言いながら、豆腐やキャベツやその他もろもろの買ってきた食材を冷蔵庫にしまい始めた。
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大家さんに電話すると、やはり背後から面倒くさいなという空気が伝わってきた。年配なのに記憶力は優れているらしく
「302って、お宅、前もインターホン修理しなかったか?」
と訊かれた。「はい。すいません」としおらしく謝ると、それ以上、追求はされず、ほっとした。そして、運よく私のパートが休みの明後日に業者がきてくれることになった。これで一安心。
明日一日は息子も私も自分の鍵を使って玄関を出入りすることになるけれど、たまには鍵を使うのもいいかと思いながら、夕飯の回鍋肉の準備を始めた。
修理当日。業者は約束通りの時間に来て、三十分ほどでインターホンを付け替えてくれた。ピンポーン! と再び高らかに音が鳴った時は、ほっとしたし心が弾んだ。
私は早速、息子にメッセージを送る。
〈インターホン直ったよ! 帰ってきたら思いっきり連打して〉
数分して息子から〈了解〉と返事がきた。そして数十分後。
ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピンポーン!
高らかにインターホンが鳴る。二日ぶりの連打に息子の腕も鳴ったのだろう。今までで一番、キレのある連打だった。
「おかえり」
ドアを開けると息子は「ただいま」と言って家に入ってきた。ドアの横には真新しい黒色のインターホンがついていた。
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