ギルド隊員
彼女は何やら渋っているような態度を見せている。
「う、うーん。でも……ねえ……」僕の体を上から下までじっと観察した後、消極的な態度を見せた。どうやらあまりお勧めの仕事ではないようだ。
それでも、金が無くてはやっていけないことは重々承知である。
僕は嘆願しながら彼女を見つめる。その圧に圧され、ナンナさんは根負けして渋々語り出す。
「ギルドの隊員だよ。人間界内に出現した魔物や魔獣を倒す仕事をする人のこと。確かに金払いは良い職業だけどさ……でも、大変だし危険な職業だよ?」
「ギルドの隊員?」
いきなり異世界らしい単語が出てきて、少しだけ気分が上がる。
僕の脳内には、ギルド隊員として魔物を討伐し、実績をあげている未来の成功図が浮かんだ。
「是非、やらせてください!」頼み込んで言った。
「式を使わないでモンスターを討伐する人もいるにはいるけど……そうゆう人たちは皆、筋骨隆々なパワータイプだし……陽太くん、そんなに強そうには見えないから、危ないと思うよ?」
ここで僕は当初の目的を突然、思い出した。
そうだ、僕がこの世界に来た理由は、決して魔物や魔獣を討伐して名誉を勝ち取るためではない。緑と、彼岸花を探すためである。
ここは彼女の言う通り、自分に似合った仕事を探して、日銭を稼ぎ情報を集めていくことがまずは先決すべき事柄であると考えた。
(いや、まずは……彼岸花の情報だ。その花に関する情報を得るためにすべきことをしよう)
そう思い直して、自分の胸の内を正直に告白することにした。
「ナンナさん……実は僕、ある彼岸花を探しに来たんです。そのために遥か遠くの故郷からここまでやってきました」
「へえ、彼岸花? ……って彼岸花?」
彼女は一度納得するような態度を見せた後、何かあり得ない話を聞いたかのように、こちらを振り返って凝視する。
「はい」
「彼岸花って……ミッドガルドには生えてないよ? あの伝説の花でしょう?」
「伝説の花って……そんな大した花でもないですよ」
何故か焦っている彼女とは対照的に僕は至って冷静なままだった。
彼岸花なんて探しに行けばそこら中に生えている花である。
雑草のように生え茂る花を「伝説の花」とは呼ばない。
「空想上の花だよ、彼岸花って。現実で見たことがある人なんていないんじゃないかな。だってあの花は、人間が侵入できない領域にあると言われているし」
「いやいや空想上の花って……ナンナさん、僕を田舎者だと思って馬鹿にしてません? 彼岸花くらいそこら中に生えていますよ」
「それは冗談? それか本気? 彼岸花は伝説の花だよ。魂しか侵入することができない領域に足を踏み入れることができる唯一の花だからね」
「また、またあ、そんなユニコーンみたいな言い方しないでくださいよ」
僕は冗談を返すようにおどけて言った。しかし彼女は至って冷静なまま
「ユニコーンこそそこら中にいるでしょ」
「……マジですか?」
「うん」
「……」僕は無言で考えた。
どうやら、この異世界と現実世界では様々な常識に食い違いがあるらしい。
この異世界では、ユニコーンのような架空の生き物こそ有り触れた生物であり、彼岸花が伝説の花とされている。
ここで僕は、再び教訓を心の中で唱え直した。
【異世界を、現実世界の常識や価値観で捉えてはいけない】
そうだ。ここは異世界。現実世界では当たり前のことでも、こちらの世界では超希少な現象である可能性もゼロではないのだ。
「だとすると、陽太くんがギルド隊員になりたがる理由が分かるよ。隊員として実績を摘めば、別大陸への渡航も解禁されるからね。そうすれば彼岸花も探して見つけ出せるかもしれない。しっかし……それにしても……彼岸花を見つけ出したいだなんて、そんな夢物語を大真面目に語る人、初めて見たよ」
感心するかのように言い放つナンナさん。
「あはは……理想主義者なもので」頭を掻きながら言った。
「そりゃあ飛竜の背中に乗ろうとするよね。分かったよ。ギルド入隊を許可します」
そう言うと、ナンナさんは机の引き出しをごそごそとかき乱し、何かを探し始めた。
そして一枚の紙を見つけ出すと、テーブルの上に置く。
「はい、これが入隊申請書。本当は入隊に四百クローネを払う必要があるのですが、今回ばかりは無償でいいですよ。無一文の人間から金をせびるほど卑しい人間ではありませんから」
「どうしてナンナさんがこんなものを?」僕は純粋な疑問をぶつけた。
「私がギルドの管理人だからですよ。この第九区の」
「偉い人じゃないですか」
「面倒な仕事を押し付けられているだけです。お世辞はいいから、早く記載してください」
ナンナさんは少し照れくさそうにしながらその紙を僕に向かって押す。
申請書は、摩擦でテーブルを滑りながら僕の前へと移動された。
彼女から羽ペンを渡され、黒色のインクをペン先に付着させて様々な個人情報を記載する。
その様子を見ていたナンナさんは口を開いて
「まずは術式の勉強からです。それが終わってから、低級の魔物を討伐しにいきましょう」
「え。ギルド隊員なら、式の勉強はしなくていいって言いませんでしたっけ?」
「それは真面目にギルド隊員の仕事をこなさない場合のみです。日銭を稼ぐことだけを考えて隊員になるなら、術式は会得しなくてもいいですが……陽太くんは彼岸花を探しに行きたいのでしょう? ならば本格的な術式の習得は不可欠です」
ナンナさんが次に出してきたのは、大量の書物。書物。書物の山。
埃を被った本の数々が、テーブルの上に置かれる。
あまりの重さにテーブルの木が歪んだ音を立てた。
「これを全部とはいいませんが、よく読んでおくこと」
「これを……ですか?」そのあまりの量に、思わず唾を飲み込む。
「はい、とりあえず基礎部分は全て。その後、式を媒体となる紙に刻む練習を一万回」
「一万回?」俺は言い間違いだと思って確認し直す。しかし彼女はニコリと笑った後
「はい。それだけやって初めて実戦で扱えるくらいの技能になります。何か反論はありますか?」
「そ、そこまでしなくてもいいのではないのでしょうか?」
「へえ……私がわざわざ式を一から教えて。え? それでギルド入隊も無償でさせて。え?
住む家はどうするんですか? クエストの報酬が手に入るまでの間はずっと私の家に住み着くことになりますね? その間、あなたは何を食べるのですか? まさか何も食べないで暮らしていくつもりではないですよね? 勿論、私が衣食住全てを提供することになりそうですよねえ。それだけ労わり尽くせりの対応をしてもらっているのに。何か反論があるのですか?」
「はい……善処します……」
彼女の威圧は凄まじく、早口で正論を列挙され、僕は苦汁を噛む思いで渋々頷く事しか出来なかった。
「良い子ですね。では、日中は私、向こう側のギルドに受付嬢として仕事に行っているので。その間の家事やら掃除やらは全てお任せする方針でよろしいでしょうか? あと、陽太君の寝る場所は屋根裏部屋でよろしいですよね? ていうか家にはそこしか空き部屋が無いです」
「屋根裏って……あの埃臭い所」
「何か言いましたか?」
「……な、何も」
「そうですか。では、私はもう仕事だから。家事と掃除お願いね。それを終わらした後、魔導書を読み込んで、知識を蓄えてから、式を実際に紙に刻んでみること。まあ最初は失敗ばかりだけど気にしない! 今日で最低五百枚は書き終えたいね。それじゃあね、頑張って」
ナンナさんは怒涛の剣幕で僕を追い込むように言葉を淡々と話す。
そして言うべきことだけ言ってから、施錠の術式を解いて、玄関から外に出ていった。
おそらく仕事をしにいったのだろう。
僕は茫然として、ぼーっと、頭の中で今やるべきことを考えた。
考えたが。その内容があまりにも多すぎたので、その内思考することを止め、早速掃除に取り掛かり始めることにした
箒と塵取りを引っ張り出して、階段を駆け上がり、早速、屋根裏部屋――僕の住処となる場所から掃除を始める。床には東北の街に降り注ぎ溜まる雪のように、埃が積み上げられている。
これを掃除するとなると……この部屋だけでもざっと半日はかかりそうだ。
異世界転移。
無事転移を遂げたのは良いものの、やっていることは現実世界と同じであることに気づいて、萎えて、手首の力を抜いた。手から箒が抜けて床に落ちる。その衝撃で埃が立つ。
もう、さっそく嫌になってきた。
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