教育
ずっとそんな世界に没入していたからか、数分経ってやっと自分が異様で、赤い目で庶民から見つめられていることに気づく。
それもそうだ。今の僕は白色のパーカーにジーンズという、現実世界ではオーソドックスであるが、この世界では滅多にお目にかからないであろう異質な格好をしていた。
極めつけに、街行く市民のほぼ全員が、独特な髪色と目の色をしている。
真っ黒な頭に、一重の眠たげな眼。そしてパーカーとジーンズという格好は、この世界においてはただの不審者のする形相と変わらないようだ。
僕は逃げるかのように、元いた家に帰ろうとした。
ドアノブに手をかけドアを開けようとする。が、築何十年と経過しているからだろうか、自分が開けたドアはもう硬く閉まっていて、髪の毛の一本すら入る隙間がなく、それ以上開けることもできなかった。
そんなドアに向かって思い切り力を込めて何とか開こうとしている僕の様子を見て、街の人々はさらに笑う。そして僕はさらに顔を赤らめた。
そんな無様なことをしていると、後ろからツンツンと肩を叩かれた。
振り向くとそこには、眼鏡をかけた女性がいた。
背丈は僕よりも数センチほど高く、年齢は二〇代後半と言った所だろうか。
どこかの酒場の受付嬢なのか、女性らしさのあるタキシードを着用している。
髪は肩で綺麗にばっさりと切整えられていた。
大きな緑色の瞳に丸眼鏡が似合う。美人といっても誰も否定しないような容貌をしている。
「何してるんですか?」彼女は疑問符を表情で表現しながら言う。
「ドアが開かないんです……って、え? 誰ですか?」
「そりゃ開かないに決まってますよ。施錠の術式を付与していますから」
「セジョーの術式? ……え?」
「え?」
二人顔を見合わせながら、数秒後、苦笑いをした。
それは不可解で奇妙な僕が唯一見せることのできる友好の証、そのものだった。
*
彼女の名はナンナ=ルーアというらしい。この街――城郭都市グラズヘイムで生まれ育った女性だ。今はギルドという酒場に似た場所の受付嬢を仕事にしている。
外がうるさかったのは、彼女の住居であるこの借家の、大通りを跨いだ対面向こう側に、そのギルドとやらが存在するかららしい。
どうやら空から落ちてきた僕を保護し、意識不明な僕を看病してくれた人のようだ。
まあ端的に言えば、命の恩人である。彼女の仲間が僕のことを見つけ、保護術式をかけ、その後ナンナさんが看病をしてくれなければ、僕はあのまま落下して死んでいた所だった。
「感謝してもしきれません」僕はそう言って深く頭を下げた。
施錠術式とやらが付与されていた入り口の扉もナンナさんが触るとすぐ開いた。
僕があれだけ本気を出して引っ張ってもビクともしなかったのに。
これが、式とよばれる超能力じみた力の効力か。と思わず感心をする。
するとナンナさんは、謙遜するような態度をとった後、僕のことについて質問をしてきた。
「えっと……タアチバウナア=ヨータくん……だっけ?」
立花陽太という個人名はこの世界では珍しい名前のようだ。
ナンナさんの言い放ったイントネーションも間違っている。
「いや、立花陽太です。陽太。陽太っていいます」
「ああ、陽太。陽太くんっていうのね。珍しい名前だね、どこから来たの?」
「……え、えーっと……東の方……かな? 太陽が昇る方角です」
「……え? 太陽って?」ナンナさんはまた不審がる顔をした。
(そうだ。この世界の恒星は太陽という名前じゃないのか)
彼女が疑っている理由に気づいた僕は、急いで取り繕うかのように言い直す。
「あー空に浮かんでいる星のことですよ。光輝いてるヤツ! それが昇る方向と一緒です」
「術式天体が昇る方向で、自分の故郷の方角を語る人、私初めてみたよ」
「そ、そんな分かりづらい例えでしたか?」僕は冷や汗を垂らしながら聞いた。
「うん。だって空に浮かぶ術式天体は昼の時でさえ、二つもあるし、四つとも昇る方角も降りる方角も別だもんね。東から昇って西に沈むのは、アウストリだね」
「……アウストリ? ……術式天体?」
ナンナさんが語った言葉の意味が分からず首をかしげる僕。
その様子を見て、彼女は僕の額に手を置いた。
「大丈夫? もしかして落下の影響で記憶に齟齬が生じたりした?」
本気で心配をしてくるナンナさん。僕は弁明した。
「いやいや大丈夫ですって。あーそうそう、アウス鳥ね。アウス鳥。あれ、昔よく焼いて食べたなあ。あの鳥、胸肉が美味しいんだよね、意外と」
「……アウストリを焼いて食べた? 本当に大丈夫? 病院に行ったほうがいいよ」
ナンナさんは、知識のない僕を煽るようにそう言っているのではなく、本心から僕の状態を心配して言っているのだ。だからこそ尚更心が痛くなってきた。
本当のことを言うべきか。別の世界から転移してきたので何も知りません、と。
言うは易し。だが異空間転移はこの何でもありの異世界においても極めて珍しい現象だった気がする。そんな情報を伝え、更に頭の調子を心配されたりでもしたら、流石に僕は泣く。
ゆえに、事実の供述は避け、上手い嘘をついて己の無知に理由を付けようとした。
「じ、実は。僕、結構田舎の……凄く辺境の街から来た旅人でして……えー……」
何とか言葉を紡ぎ出そうとしている最中、脳裏に空を飛んでいた竜が浮かんだ。
「あ、えーっと……そう! 竜を追いかけていたんですよ! それでいつの間にか道に迷ってしまって……あはは……」
「もしかして、やっぱり飛竜の背中に乗ろうとしたの?」
(飛竜の背中?)
ナンナさんが何を言っているのかさっぱり理解できないが、都合よく勘違いしてくれているので彼女の話に乗っかることにする。
「そうそう。そうです。飛竜の背中に乗ってここまで来ました」
「……はあ、呆れた。本当に呆れた。世間知らずもここまでくるともう……はあ、本当に良かった。私の仲間が保護術式をかけてくれなかったら、君、あのまま落ちて死んでたよ?」
「はい、はい、その通りです。あはは……幸運だったなあ……」
彼女は、僕と鼻の先がくっつくほど顔を近づけて、説教をし始める。
僕はただ、苦笑いしながら己のしでかした罪を反省し続ける姿勢を見せる他なかった。
そうすること十分後、ついにナンナさんの怒涛の叱りが終わる。
叱りを受けた後はもう頭と呂律が回らなくなっていて、お叱りが終了した後、床にばったりと倒れた。
ナンナさんは台所から、湯気立つ紅茶を入れたティーカップを二つ、テーブルの上に置き、椅子に着席をする。
「はあ、今時飛竜の背中に乗ろうとする人間がいるなんて……君、どこ出身なの? 君の両親は飛竜について何も教えてくれなかったの?」
「両親は……もうこの世にいなくて……」
(正確には、この世界に、だけど)
両親を失っている(ようなもん)という現状を有効活用した。
するとその言葉を聞いたナンナさんの張りつめた表情が一気に和らぐ。紅茶を一口飲んだ後
「そう、それはごめんなさい。偉そうに説教したりして。ごめんね、忘れて」
と謝る。彼女が僕に向ける視線は、憤怒から哀れに変わる。
その様子を見ていると、嘘をついた自分に少し罪悪感を抱いてしまう。
親がこの世にいないという言葉に虚偽は含まれてはいない。まあ、多分現実世界で父親は元気に生きていると思うけど。
「でも、どんな事情があっても、もう飛竜に干渉しちゃダメだよ?」
「はい」ナンナさんの戒めの言葉を受け取り頷く。
「……親からは何を教わったの?」
「……この世界については何も教わっていないようなものです」
「そう。術式は知ってる?」
術式。二冊の旋律文書に記載されていた概念だ。
実際に僕はその術式を用いてこの世界への転移を可能としたわけだが……それでもその具体的な情報に関しては無知も良い所であった。
「いいえ」僕は正直に答えることにした。
「大気中の樹素を別の形へ崩すために用いる機構のこと。樹素は分かるよね?」
「ジュソ?」
ナンナさんは僕の度を越えた無知に驚愕するような表情を浮かべたが、それでも気を取り直して僕に教え始める。
「この世界についてどこまで知ってるの?」
「……ほぼゼロ。世界の中心にすっごい大きな樹が生えていることくらいです」
「……そう。じゃあ一から教えてあげる。その樹はイルミンスールという世界樹でね。その樹が全ての生命や物質を作った創造主だと言われているの。その世界樹から発生するエネルギーが樹素。私たちはそのエネルギーを用いて生活を送っている。そのエネルギーを自分の都合の良いように、崩して……ね」
樹素。それはおそらく、蘭の父が書いていた「未知のエネルギー」にあたるものだろう。
異世界は、石油などの化石燃料に頼らず、たった一つのエネルギーで暮らしの営みを可能にしているとは、二冊の旋律書に嫌というほど何回も記載されていた情報だった。
その正体が、樹素という名の世界樹から発生したエネルギーであるようだ。
頭の中で点と線がつながった気がした。
「その樹素というエネルギーはこの世に沢山蔓延している。それは大気中にも。そして私の体にも。ここにある家具にも。武器にも。飛竜の中にも。あらゆる場所に関与している。私たちはそのエネルギーで構築されているの」
「万能なエネルギーだな。現実世界にもあったらいいのに……」
感心して独り言を語っている様を、ナンナさんに見られた。思わず視線を逸らす。
彼女は「今頃知ったの?」と言わんばかりの顔でこちらを見つめてきた。
「そのエネルギーは普段は顕在化しないけど、こうやってある特異な手段を取ると、もっと扱いやすい形に変換できるの。樹素は陽太くんのいった通り、万能なエネルギーだから、あるシステムを通せば、いかようにも変化させることができる。その樹素を別の形態に変化させるために用いるものを総称して『式』と呼ぶのよ」
僕がナンナさんから言われた情報を頭で頑張って纏めていると
「とりあえず」そう言って、ナンナさんは手を叩いた。
「陽太くんはお金を持ってるの? 奇妙な格好をしているけど、それ、民族衣装か何か?」
珍妙な生物を観察するような目線を送ってきた。
「お金は……無一文です……バイトとか募集しているところは無いですかね?」
「バイト? ああ、仕事のこと? うーんそうだねえ。この城郭都市グラズヘイムに術式が全く扱えない人に務まる仕事があるかなあ……」ナンナさんは腕を組みながら言う。
やはりそう簡単には事が進みはしないか。
式という言葉すら知らないような、無知極まりない僕に務まる仕事は無いようである。
それは異世界では、式という技術が流通し、普遍的であるという事実を示している。
「あ、一つだけある……」
そしてナンナさんは何かに気が付いたように、遅れてふと、こう呟いた。
「ギルドの隊員だよ」と。
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