分断
【因果律の操作技能は22世紀においての支配階級層『アモル機構』のみが習得することを許されていた】
【因果の操作として『圧縮』『拡張』『停止』『転送』『予見』などが一般的なものである】
【例えば因果の『圧縮』技術を用いることで擬似的な空間転移を可能とする技能や、因果を指定点で『停止』することで一時的な時間停止が可能となった】
【これらは全て樹素を魂の破片たる『因果』に系統変換させることで成立している】
【ただ因果律の操作において、因果の『抹消』と『創造』は座たる『ユミル・アウルゲルミル』のみしか使用が不可能である】
【因果の『抹消』と『創造』とは文字通り、元あるはずだった結果を『抹消』無かったことにし、元来あるはずのなかった結果を『創造』する権能であり、つまりは『事象の書き換え』とでも言うべき、まさに人間が手にするには烏滸がましい、神の力】
【現在観測されている限りで、『創造と末梢』の権能が行使されたのは2回】
【まず“現実世界の北欧神話に関する情報や伝承、記録形態』の『抹消』”】
【次に“S解機構の存在とそれに関する情報、そしてS解兵器群による破壊行為及びに寄生樹に関する事象の『抹消』”】
【何故、ユミルがこの『事象の書き換え』の力を僅か2回しか使用していないのか、その理由は定かではない。発動するために何か条件があるのか、発動することに多大なる負荷や労力がかかる可能性が考えられる】
*
揺れる馬車の中。
シグルドが霊剣の代わりに支給された兵士の剣を丁寧に磨いていた。
刀身は磨かれ、鏡のように輝き、シグルドの顔を反射する。
そこに映った自分の姿を見て、少し驚くシグルド、自分はこんなにも冷徹な目をしていたのか、と。
霊剣が十三神使族に没収された今、シグルドは他の兵士と同様にただの剣で戦闘を行うしかない。
ただの剣や並大抵の式具では、シグルドの強大な力を受け止めきれず刃こぼれし破壊されてしまう。
そのためシグルドはできる限りの本数の剣を携帯していた。
たかが剣一本、しかし「龍殺し」はその剣一本にすらも経緯を払う。
剣士として生きることは、剣に生かされているということ、どれほど粗末な品でさえ、武器として作られ、それを扱う以上、感謝の心は忘れてはならない――というのがシグルドの剣士としてのモットーの一つである。
シグルドは尋常ならざるほど「剣士」というものに固執している。
正直なところ、霊剣を使えない今、簡単に刃こぼれし欠損してしまう剣を使用するよりもはや生身で戦った方が幾分かやりやすいくらいだ。
ただそれでもシグルドは剣を選んだ。
親の顔すら知らない、生まれ物心ついた瞬間から「剣士」として生きてきた以上、シグルドが「剣士」であることは、シグルドをシグルドたらしめる唯一無二のアイデンティティと化している。
「剣士」でなければ「我」ではない。
「剣士」以外の生き方をする「我」に価値はない。
極めて異質な価値観、だがその価値観こそがシグルドのブレない精神力の基盤となっている。
何がどう変わろうと、何がどうなろうと、剣があればシグルドは自分でいられるのだ。
たとえ長年連れ添った相棒が死のうとも、剣士である限り彼が堕ちることは決して無い。
無論、シグルドにはそのような相棒はいないのだが。
シグルドは今、十三神使族からの上意を受け、人間界内の僻地へと向かっている。
ラグナロクが確定して以降、今まで全く内界に関わろうとしなかった特定排斥種――呪縛種が水面下で不穏な動きを見せており、僻地にて良からぬ策略を企てているという情報が十三神使族の耳に入った。
この僻地は王都ギムレーから最も遠い位置にあり、馬車を最高速度で走らせても数日はかかる距離だ。
しかもこんな僻地にいる呪縛種の討伐命令のために、シグルドだけでなく「熾」剣士グリムヒルトまで任命されているらしい。
軍で動けば大規模な移動になり、そうなった場合呪縛種に見つかり雲隠れされる危険性がある。そのため、極少数の最高戦力で叩く、それが今回の作戦内容だった。
グリムヒルトはシグルドとは異なる馬車に乗っているが同じ目的地へと向かっている。
幽霊都市の騒動や不可侵領域内の戦闘を経て、1年半以上経過した今でも王家の兵軍は深刻な人手不足に陥っていた。
1年半前の戦闘による一般剣士の大量死、そして1年半の間で規則や因習も大きく変化を余儀なくされ、沢山の熟練者が王家の軍隊から去ったためだ。
その結果、今や剣士の総数は200にも満たない程度。
そして中でも深刻なのが上意階級の剣士が皆無なこと。
もともと幽霊都市以前は「9人」存在した最高階級の「熾」剣士。
しかし今や現存している「熾」剣士は僅か「3人」。
グリムヒルト、シグムンド、ビヨルンの3名、いずれも「熾」剣士内でも名が知られる実力者たち。
今や剣兵軍の総力の3割はこの3名が占めていると言われるほど。
ちなみに残りの7割を占めていると言われるのがシグルドである。
このように実にパワーバランスが偏った組織内で、そのうち主戦力であるグリムヒルトとシグルドを派遣する意味が、正直なところ、シグルドは理解できなかった。
それほど呪縛種の連中が危険だということなのだろうか?
シグルドも呪縛種についてほぼ何も知らないも同然。
一応、呪術と呼ばれる奇怪な術式を使用することだけは辛うじて知っているのみ。
一般人では特定排斥種と呼ばれ、その真名を知る者すら一部に限られる呪縛種。
その実物を拝むのも、今回が初めてだった。
ただ、単独で神種すらも討伐できるほど成長した今のシグルドに頼むほどの任務なのだろうか?
その疑問は否めない。
そうやって悶々と考えていると、いつの間にか馬車が止まり目的地に辿り着いた。
馬車から降りると、そこは渓谷。
大地が断絶されたような深くて大きな溝、底は見えず、落ちた岩が反響する音が無限に続くほどの深度があることは確か。
…と観察するも束の間、渓谷の断崖絶壁に穴が空いており、そこには奇妙な黒いローブを被った人間? が数名おり、何やら邪悪な術を編纂しているのが目に写った。
彼らは到着したシグルドを見ると、慌てて穴の奥へと逃げていく。
「遠隔発動型の呪術を編纂しているとすると厄介だな、我が行く」
シグルドより若干遅れて到着したグリムヒルトに対し、そう告げてシグルドは剣を鞘から抜き、その場でしゃがみ込む。
「油断するなよ」
グリムヒルトも速度に優れるシグルドが一瞬で片付けた方が良いことに同意を示し、一言告げてシグルドを見守る。
〔略式〕
瞬間、短文詠唱で発動した居合術により急接近。
雷のごとき速度で数百メートル崖下にたどり着き、見事逃げている呪縛種の連中の背中を剣で背後から貫いてみせた。
「すまないな」
そう一言告げるシグルド。
背後から心臓をひとつき、胸からは血が滴り落ち、一瞬で絶命する――と思いきや。
「ᚺᚨᚢᛖ ᚣᛟᚢ ᛒᛖᛖᚾ ᚠᛟᛟᛚᛖᛞ?」
背後から貫かれた呪縛種の男はニヤリと悪意を孕んだ笑みで呟くと、その途端――シグルドの周りに術式の陣が浮かび上がり、背後を貫かれた男と共にシグルドは一瞬でその場から消え去る。
「!!」
気付いた時には――シグルドは全く知らない場所に移動していた。
来たことのない場所だった、周り中に腐敗の匂いが満ち、空は紫色でおどろおどろしく、ありとあらゆる場所に墓石が建てられていて、人骨が積み上がっている。
「これは転移術式!! 罠かっ!」
一瞬で状況を理解するも、時すでに遅し。
シグルドの周りを十数人の正体不明な者たちが取り囲んでいる。
その者たち全員が黒いローブを羽織り、その下の体表にはルーン文字の入れ墨が掘られていた。
そのうち一人がフードを脱ぐと、額から顎にかけて縫われた傷跡が目立つ顔が見え
「……ヨウコソ、リュウゴロシ、コキョウ二、カエッテキタ、キブンㇵドウダ?」
カタコトの言葉を用い、この世の悪が煮詰められたような形容しがたい表情で笑った。
術式と因果律操作、何が違うの?って思われた方も多いんじゃないんでしょうか。
基本的に因果律操作は「現実世界」で使え、またある程度は異世界でも使用可能です。
ただ術式は基本的に「異世界のみ」でしか機能しません。
(例としては、大月の未来予知[因果操作]とシグルドの未来予知[術式]が分かりやすいかと。本編で前に書いた通り、シグルドの霊剣による未来予知では現実世界の力「根源の異なる力」で生じた未来を予測することは不可能でした。しかし大月の未来予知ならば、「根源の異なる力」も未来予知が可能です)
何故かというと、異世界は樹素でほぼ全てが構築されているからですね。
樹素は世界樹由来のもの、因果は魂由来のものだからです。
因果律操作も樹素を利用しているため、理論上、異世界人でも樹素を因果に変換できれば同じことができる可能性はありますが、因果は「魂の破片」なので実質的に無理と言って良いです。
ただ樹素に後天的に「因果」が宿るケースは結構あって、例えば主人公 陽太の使用した「契約儀式でのフレア」とか、あとは本来「魂を持つ者」しか侵入できない虚数領域に異世界の生物が入れてる例なんかがそうです。