遭遇
ガルムの力は驚異的であった。何かの手品を見せつけられている気分だった。
確かに筋骨隆々な体つきをしているから、それなりに戦えるし、それなりに強いのだろうと予測はしていたのだが……その予感は良い意味で裏切られることとなる。
あり得ないと思った。
彼の体では到底出せるはずのない速度で動き、僕が大苦戦して倒した魔獣の首をたった数秒の間で切断しその命を奪っていく。
明らかに現代物理の範疇を超えている速度と剛力。
人間と同じ大きさなのに、初速はチーターのトップスピードを凌駕し、ゴリラと同程度かそれ以上の怪力を持つ。
体は岩をも砕くモーショボーの嘴を真っ向から受けても、切り傷の一つもつかないほどの硬度。
これが獣人種の本領。
基礎的な体術や身体能力、生体機能が人間とは比べ物にならない。
もはや獣というより巨大化した昆虫に近いだろう。
彼は近くにいた中級魔獣をその爪と牙を持って駆逐し終えた後、四足歩行を解いた。
どうやら戦う際には、二足ではなく両手も地につけて四足で機動したほうが体の構造上、適しているらしい。
「凄まじいな」
と僕は思わず呟いた。感心の気持ちよりも、むしろ恐ろしさで戦慄していた。
「|獣人種(俺たち)は初速で最高速度が出せるんだぜ。俺の親父はァ俺より数倍早いぜ」
(初速で最高速度が出せるとか、ゴキブリかよ。どんな体をしてんだ、こいつらは)
僕が苦戦しまくっていた事が馬鹿らしく思えてくるくらい、中級魔獣はいとも簡単に屠られていった。
闇の中で断末魔が鳴り響いたかと思えば、数十秒後には、魔獣の返り血を浴びて青く染まったガルムが姿を表す。
しかし彼はその偉業を誇ることなく、ただただ鬱屈そうな顔をしている。
どうやら彼にとって中級魔獣との戦いは準備運動にすらならないらしい。
「どいつもこいつも動きがトロくて、反吐が出るぜ」
「三つのギルドが合同して突入部隊を募ったと聞いたけどさ、何でガルムは、ダンジョン探索を志願したんだ?」
僕は血に塗れる彼に聞いた。
ガルムは体毛に付着した魔獣の血を犬みたいに体を震わせて、辺り一面に散らしてから
「ア? 別に理由なンかねェーよ。ただダンジョンってのには、つェー魔獣が沢山いるって聞いたから、興味本位で来ただけだ。しかし拍子抜けしたぜ、どいつもこいつもウスノロだ」
(お前の身体能力が異様に高いだけだよ……)と心の中で僕はツッコミを入れる。
ナンナさんからギルド隊員は「臨で集められた素人の集団」と言われていたが、ガルムの闘能力を見る限り納得は出来ない。
素人の集まりで「このレベル」なら、王都直属の軍兵なんか一体どれほどの強さを誇るというのだろうか?
ガルムが異質なだけか、それかギルド隊員は皆ガルム程度の実力なら当たり前に有すというのか?
おそらく前者が正しいと思う。
こいつが強すぎるだけだ。そう思いたい。
「というかよォ、ヨータ、テメエはしっかり自分の役割を真っ当してンのかァ?」
「ああ、うん。一応ね。取りあえず虱潰しで隈なく散策していこう」
「ケッならいいンだけどよォ。頼むぜェ? 俺ァ、頭を使う作業は苦手なンだよ」
「取り敢えずガルムは、この階層にいる魔獣を手あたり次第ぶち殺してくれ」
「ハッ。単純明快な指示で助かるぜッスノトラみてーにめんどくせえ事を言わねえからよォ」
「スノトラ?」
「俺のことを逐一監視してくる小せェガキだァ。アイツが横にいるといつも説教してくるからダルいんだよッ。しかもアイツは俺の手柄を横取りするからなァ。あの雌はよォ」
ガルムが言う「スノトラ」という少女が誰のことかは指しているのか分からないが、おそらく彼と同じ第四区所属のギルド隊員だろう。
しかし、ガルムの話は冗談にしか聞こえない。
一体どうやったらガルムの超人的な機動速度よりも早く、対象の魔獣を屠ることが出来るというのだろうか?
そんな空想にふけっていると、目の前の暗闇から威圧を放つ魔獣が姿を表した。
僕はその圧にやられ、思わず二歩ほど後方に下がった。
対照的に、ガルムは口元に付着した青色の血を舐めて口角を上げて笑って見せた。
「……やっと、それなりに戦えそうなヤツがやってきたなァ」
ガルムはズボンのポケットに両手を突っ込みながら言う。
暗闇から姿を現したのは、重厚な甲冑を着込み、腐敗して内臓をむき出しにした馬に乗る首の無い騎士。
僕たちを見つけると手綱を引いて馬を停止させた。
右手には三刃に分かれた鎌を握っている。
今までの魔獣とは一線を画すオーラと雰囲気を漂わせている。
僕は魔術大全を開いて確認をした。
こいつは……上級魔獣の「デュラハン」だ。由緒ある騎士や貴族が死んだ際、体内の樹素が怨念により、冥府に導かれず残留した場合に生じる魔獣。
その実力は、王都の魔術師が十人がかりで戦い、やっと勝利可能なほど。
彼が纏う風情は中級以下の魔獣とは明らかに気色が異なる。
「その風格、上級魔獣かァ? おめェ、ハハッ」
先手必勝、と言わんばかりに、ガルムはデュラハンの首に向かって飛び掛かり、鋭い右手を奮った。デュラハンの甲冑に亀裂が入り、胸部から煙が立つ。
「ハ、口ほどでもねェ。上級魔獣」
勝負あり――と思われたが、デュラハンは何一つ異変なく気を抜いているガルムに向かって、その鎌の刃を振るい返した。
ガルムは油断して反応が遅れたといえども、その刃は彼に届き得て体表の皮を切る。
彼の背中に一筋の切り口が刻まれた。
「ほう、鋼鉄よりも硬ェ俺の皮膚を切るとは……中々やるじゃねェかお前」
一旦デュラハンと距離をとって傷口の血を親指に付着させ舐めるガルム。
「気を付けろガルムッ。デュラハンは生半可な傷じゃ倒れない」
僕の忠告よりも数秒早く、ガルムはデュラハンが放った二発目の斬撃を避けた。
ガルムは思い切り跳躍し、棒高跳びの選手のように空中で弧を描き着地する。
完全な死角からの攻撃であるのに、それをも俊敏に回避するガルムの危機察知能力と格闘能力は抜きん出ている。
「さてさて、こっからだぜ。ちょっと本気出して動くからついてこいよ、上級魔獣……」
ガルムは好敵手を見つけ胸の高まりを抑えきれずにいる。だが、しかし、彼が再び動き出そうとした瞬間、あろうことか吐血をしてその場に座り込んだ。
(ンだァ? これはァ……術式か? クソ、小賢しい手を使いやがってッ)
ガルムの視界が揺らぐ。
胃の中にあるものが吐瀉物として喉に湧き上がってくる気持ち悪さを味わった。
この吐き気、眩暈、吐血、それに立ってもいられないほどの気分の悪さ。
「その刃に何か仕込みを施してやがるぜェ、この上級魔獣」
感づいたガルムは思わず声を出した。
「ガルム。大丈夫かッ」
僕は彼を心配して近寄ろうとした。
しかしガルムは右手の平をこちらに向け、これ以上近づいてくるなと警告のシグナルを見せた。
デュラハンは、吐血し地面に座り込むガルムを見下したまま、ふと何かを呟く。
その言葉の真意が、魔獣でない僕らに解読できるはずもない。
「クソ……見下してンじゃねーぞ、上級魔物」
「ガルムいいから早く逃げろッ。もう一度立て直してからだッ」
「うるせェ、ヨータッ! 俺がァ上級魔獣如きにビビッて逃げるワケねーだろうが」
「分かるだろ? 今は勝てない。一度逃げるべきだッ」僕も負け時と押し通す。
「チッ……誰が勝てないって? クソが。魔獣相手に本気を出すなんて屈辱だ。しかし……」
ガルムは体勢を立て直し、再び四足歩行となる。そしてデュラハンを鋭い視線で見つめ
「……どうやらァ、ちっと本気を出さねェとやべェのは、確かだな。クソ、燃費がわりィから、この術は使いたくなかったけどよォ……〔鉄鎖蝉脱〕」
短文詠唱と共に、ガルムの身体機能は、また一段と強化される。
【獣人種は生得的に類まれなる身体機能を有す種族である。現実世界とは異なる物理挙動をみせる異世界において、その法則性に見合った独自進化を遂げてきたのが獣人であり、彼らが暮らすニヴルヘイムという大陸において、自然界の頂点に位置する生命体を総称して獣人種と呼称する】
【手つかずの大自然が一切開拓もされぬまま放置されてきた所以は、その自然環境の熾烈さにあった。大陸の大部分が干上がった砂漠で構成される大地、その中心には広大なアマゾンが存在し、そこでは、人間界とは比べ物にならないほどの生物多様性が保持され、また芳醇な樹素が大気中に舞う。大陸中央と沿岸部の極めて濃淡の差が大きい樹素の配分率、アマゾンの樹素を求め、大多数の生物は大陸中央に集中し数え切れぬほどの争いを遂げ続け、一年で絶滅する種の数は軽く十万を超えるという】
【誕生し、絶滅し、進化し、適応し……生物淘汰と発生を数万年もの間永遠と続け、その強烈で過酷な自然環境のサイクルの果てに生み出された生命体が獣人種。彼らは自然の選定を受け続け、偶発的に生まれた究極生命体であり、奇しくも、人類と同じ二足歩行を最終的に選択した】
【絶え間ない弱肉強食が生み出した産物たる彼らは、言葉を理解し合える脳と器用な手先、狼のものよりも切れ味の良い爪に、鮫よりも鋭い牙と鰐よりも強靭な顎、像よりも硬い皮膚と、ゴリラに勝る怪力、チーターを凌駕する脚力と……身体的な能力において、各生物の種が保持する武器となる長所を全て包括して会得した強靭なスペックの高さを誇る。それに加え、自然淘汰の末に身に着けた「大気中の樹素を皮膚で感じとる」能力は種の繁栄にとって圧倒的な助力と成りえた。数多の試行錯誤を終え、彼らが極めたのは「自身の身体に樹素の動力を加える」ことで、ただでさえ類をみない身体機能をさらに強化するフィジカル特化型の術式だった】
【彼らが独自に開発した術式は――闘術と呼ばれ、人類が後に生み出した「剣術」もその影響を色濃く受けていると言われる、超短期特化型の身体強化術式である】
【中でも、〔鉄鎖蝉脱〕は大気中に存在する樹素を体に必要以上に取り込み、外界樹素を敢えて枯渇させることで、大気の樹素から受ける抵抗力を軽減させると同時に、取り込んだ樹素を即時に体内で分解、特殊な結合体で構成された筋繊維に瞬間的な爆速で流し込むことで、一切の無駄なく起居動作を加速させる離れ業である】
【圧倒的な身体能力に、外界樹素を取り込み、内包樹素として崩す――という一連の流れを理論上、最速で行える術式たる闘術。この二つの要素が合わさった獣人は、その発生が確認されてから約三百年もかからずして、スヴァルトアルフヘイムの環境に適応し、その王位に君臨した。単純明快にして圧倒的な覇者。つまりは――】
ガルムの筋肉が瞬間的に膨れ上がり、心臓の鼓動音が離れた場所からでも聞き取れるほど大きく響く。
血流のポンプとしての役割を担う心臓の鼓動回数の増加は、交感神経が優位な際――危機的状況に陥り、身体が戦闘態勢に変化している証拠である。
彼の四肢は血流が激流と化したが故に赤く染まり、爪は更なる強度と切れ味を獲得する。
再びガルムは四足歩行形態となった。そして
〔式。系統は闘素――狂凶暴虐〕
一撃、二撃、三撃、四撃。
たった数秒の間にガルムの爪と牙の傷が幾重にも重なり、デュラハンの甲冑を粉砕していった。
僕の目にはガルムの動きが残像として残り、線として認識される。
彼の動きは余りにも速すぎて僕の動体視力では、その動作を正確に知覚することは不可能であった。
まるで鎌鼬に襲われるように、気づけばデュラハンの体はズタズタに引き裂かれていた。
デュラハンは落馬すると共に、青色の血を噴き出しながらその生命活動を停止する。
「ハハッ、鍛錬が足りねェじゃねえかァ? 馬に乗って、高みの見物してねェーで、ちっとはァ、足を動かせや、魔獣」
ガルムの強さは圧倒的であった。
上級魔獣すら難なく屠る彼は、疲労した様子も見せず更なる好敵手を求め、身に余る闘争心を抑えきれずにいる。