物語の終わり
「どうなるかな」
燃えて炭と化した寄生樹の残骸を見つめながら、陽太は呟いた。
真横にはリーヴ=ジギタリスの姿があった。
「知らん。世界樹という異世界の根幹を燃やしたのだ。異世界は崩壊する可能性の方が高いだろう」
「その割には、リーヴ、お前は僕を弾劾しないんだな」
「決まっている。貴様が勝利したのだ。ラグナロクは貴様が決める権利がある。今の我はただの傍観者だ」
そう言ってリーヴは再び地面に座りそっぽを向いた。
陽太は少し笑いながらそんなリーヴの様子を見つめた後、今度は原初ユミルに近づいていき
「ほら、最後の仕上げだ。今僕が持ってるのが『巫女の魂』だ」
「やはりな」
陽太の言葉を聞いて、リーヴが口を挟む。
「やはり巫女と貴様の魂が交換されていたのか。それが恐らく、我が貴様を仕留めきれなかった理由だな。我の内部にあった貴様の魂が、本来魂の所有者であるはずの立花陽太、貴様を殺すことをためらい、『根源の異なる力』を抑制したのだ」
「ああ、そういうことだったのか」
「そんなことにも気づいていなかったのか、間抜けが」
「……」
そして陽太は黙って思考した後、決意を固めて問う。
「なあ、ユミル、巫女の魂の代わりに、僕の魂を差し出すのじゃ駄目か?」
冷静な態度で、反応を示したのはまたもやリーヴだった。
「そうくるか」
「お前はどう思う? 僕の魂とユミルの魂で異世界が安定するんじゃないかなって」
「……原則でいえば不可能ではない。貴様の正の因果律は巫女をも超える指数だ。異世界の基盤となるに足る資格はある。とはいえユミルの魂と双子魂であるとは限らないが…………魂には共鳴作用がある。双子魂は連鎖して共鳴するのだ。つまり巫女と貴様が、巫女とユミルが、それぞれ双子魂の関係性にあれば、巫女の魂を媒介して、貴様とユミルの魂も双子魂……チェインソウルになっている」
黙っているユミルに代わって説明をするリーヴ。
「友達の友達は、友達! みたいな感じだろ? じゃあいけるんじゃないかな」
「貴様はそれでいいのか?」リーヴが逆に尋ねる。
「……」
「一生、ユミルと共に異世界の恒常的実在のために生きていくことになるんだ。魂体だからそこに苦痛や意思はないが……貴様がそれを納得するのか?」
「いいんだよ、それに……巫女さんは……いや緑はさ、もう皆のために身を粉にして何度も何度も転生して、尽くしてきたんだ。もう……楽にさせてやりたくてさ。代わりに僕は、何もないしな! 特にやり残したこともないし、異世界のために魂が利用されるのも悪くないかなって」
「器たる貴様が、決めたのならばそれでいい」
「じゃあ、お願いするよ、ユミルさん。ちょっと悪いけどさ、僕の魂で許してくれ」
そう言って、陽太は自分の胸に手を当て、自分自身に魂に干渉する術を浴びせる。
するとリーヴのときと同じく、陽太の体から陽太の魂が抽出される。
魂が肉体を離れたことで、陽太の肉体は苦しげに小刻みに震える。
震える手を抑え、なんとか自分の魂をユミルに捧げようとした、その瞬間。
「!!」
陽太が手にしていた巫女の魂が、陽太の魂よりも先にユミルの魂の方へと自発的に向かっていき、ユミルの魂にたどり着くと、輝かしい光を発しながら結合していく。
その様子を唖然としながら見つめる陽太。
はっと我に帰ると、陽太は全てを理解し、今にも泣き出しそうな大声で
「どうしてッ……どうしてだよッ!! 緑……なんで……なんでッ!!」
陽太の自己犠牲を防ぐために、巫女の魂が自ら動き、ユミルと結合し双子魂と成った。
そこには明らかに、その魂の元所有者であった千歳緑の幻影が介在していることは明白である。
「僕が、僕が代わりになるって……そう決めたのにッ!」
泣き叫ぶ陽太に向かって、魂体となった緑は、陽太の脳内にだけ伝わる言葉で優しく話しかけた。
―陽太、ありがとう。私を覚えていてくれて。私を追ってきてくれて。私をここまで連れてきてくれてー
「まだだッ、まだ僕は君を助けてないッ!」
陽太は大声で叫ぶ。
ーいいの、元から私はこうなる運命だったから。ただそれでも、千歳緑だった私を救おうとしてくれた、君を犠牲には出来ないー
「まだ約束が果たせてないじゃないかッ!」
陽太は光に手を伸ばすも、謎の力で弾き返される。
それでも、何度も何度も手を伸ばし続ける。
ー約束、果たしてくれたよ。私の本を読んで、感想を語ってくれた。私を追って異世界にやってきてくれた。私を巫女の呪縛から剥がしてくれた。これ以上無いくらい、沢山、私、受け取ったよー
「それでも、君はまだ、まだ誰かのために、犠牲になってるッ!」
ー犠牲なんて言い方しないで。私はお父さんが語ったこの異世界が好き。だからこの異世界のために、この魂が使われるのは、とても嬉しいことだと思うの。それにこの魂は私であって私ではないから、私はあくまで千歳緑という一時的に、この魂の器であった者でしかないから、そんな私の些細な感情で、私の魂の使い道を変えるのは、愚かなことだと思うの、これが運命だったんだー
「運命なんて……そんな……そんな言い方するなよ……」
陽太は地面に伏して泣いた。
どうにも出来ない自分の不甲斐なさと、緑への申し訳なさで、泣くことしか出来なかった。
ー陽太を、私の勝手な事情に巻き込んでしまったのは、私のワガママ。でも陽太には陽太の人生がある。これからは、陽太の人生を生きて、私のぶんも、生きて。それが私と陽太の、最後の『契約』だからねー
その言葉を最後に、緑の魂と結合したユミルの魂は突然、根で覆われた天井を突き破り、空高く飛翔していく。
そして一瞬のうちに異世界のてっぺんへとたどり着き、太陽のように光り輝いて、異世界全土を照らした。
すると、その光に焼かれるように、世界樹の地表――不可侵領域内部にいた「世界蛇」ユミルは浄化され、黒色の灰へと帰化していき、ゆっくりと消滅していく。
こうしてラグナロクは、緑の魂とユミルの魂が結合され、異世界が恒常的に確立されたことで確定した。
異世界の空はラグナロクを経ても、青いままであり、大地も初々しい緑を保っている。
*
ーじゃあ、行こうか。イオルー
小さな少年の横には、一匹のヘビがいた。
ヘビはとぐろを巻いて寝ていたが、少年の声を聞くと起き上がり、舌をチロチロと出して喜んで、少年の腕に巻き付く。
少年は、イオルという名のヘビを愛らしく撫でてから。
横にいる小さな少女の手を取った。
「アウズもやっと来たしね」
「お兄ちゃん、今度はどこに行くの?」
「今度はちゃんとした夢の世界だよ、それを、僕とアウズ、イオルの三人で作ってくんだ……あれアウズ、暫く見ないうちに少しだけ大人らしくなった気がするよ」
「だって、アウズ好きな男の子出来たから」
「何てことだ、僕の妹にいつの間に! どんな子だい?」
「へへっ、内緒」
そしてアウズと呼ばれた少女は後ろを振り向く。
そこには、泣き崩れた陽太の姿があって。
陽太とアウズの目が合った。
陽太の目には、アウズという少女が緑と重なって見えて。
段々とアウズの幼気な姿は成長していき、緑になる。
「陽太、君のことだよ。ありがとう、バイバイ」
緑は満面の笑みで、小さな声で陽太に呟くと。
再び正面を向いて、ユミルと共に歩いていった。
その後姿はもはや緑ではなく、アウズという少女に戻っている。
陽太はその様子を見て、立ち上がり涙を拭いて、できる限り威勢を込めて
「ユミル!!! 緑を……緑をっ! よろしく頼んだぞ!! 邪険に扱ったら承知しないからなっ!!」
皆に聞こえるように、涙声の情けない声で、しかし爽やかな声で、言い放った。
緑と陽太の関係と、陽太自身の物語は、こうして理想的とは言わないが、陽太の努力に呼応した終わり方を迎えた。
そのラグナロクは旋律通りでは無かったが、きっと、緑が自身の創作の物語に書いていたような、終わり方であったことには間違いない。